訪日(第170回You Tube(キルケゴール)、ビルマ(ミャンマー))(#56)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第170回You Tube(キルケゴール)
https://youtu.be/N8Ar2S4kw9I

カーター先生の解釈
キルケゴールのことは、哲学の歴史からほとんど消え去っていた。ところが、最近実存主義者によって、復活するようになった。キルケゴールの時代には実存主義という言葉さえなかったのだが、彼のことを実存主義者と呼ばれるようになった。キルケゴールのことは「憂鬱なデンマーク人」としてよく知られている。彼の哲学的な追及は、憂鬱を治してくれる解毒剤を発見することである。彼は知的な抽象的なことや哲学というシステムを軽蔑していた。彼の興味・関心は個々人、特に彼自身のことである。キルケゴールの個人的な質問はquo vadis? のみであった。quo vadis(クォ・ヴァディス ?) とは、ラテン話で「(主よ)いずこへ行き給うぞ」の意昧である。死に赴く前の主キリストに対する聖ペテロの質問や、皇帝ネロの迫害下、ローマを逃れようとしたペテロの前にキリストが現われた際のペテロの質問として有名である。キルケゴールにとっての quo vadis?は、「私(キルケゴール)はどこに行くべきか?」、もしくは、「私の憂鬱を解消するために、どこに行くべきか」ということである。

19世紀前半において、ヘーゲルは卓越した哲学者であった。ヘーゲルにとってのリアリティー(本質)は、普遍的なシステムである。そこには、個々人が入る余地などない。それぞれの人間の自由意志などない。キルケゴールはこのヘーゲルの考え方と極端に反対の立場である。キルケゴールはどのようなガイドブックに依存することなく、彼自身の存在自身に目を向けている。キルケゴールは理性を否定し、そして極端な自由意志を信じることによって、どこまでも「己は己の行動を選択する能力がある」ことを主張している。我々の自由意志は損なわれることない。選択は、もやがかかった崖から飛び降りるようなものである。我々の苦しみは人間であることから来ている。動物は自己認識がないので、自然のありのままの状態であるので、ありのままの幸せである。我々人間は理性があるので、己は誰だであるかを知っている。この意味は、我々は生得的な本能のみで生きていないという意味である。私の運命は私によって決まる。つまり、私はどのように、何をするかを選らばなければならない。

キルケゴールによると、人生には3つの選択肢がある。一つは美的な生き方である。キルケゴールの時代にはローマン主義が流行しだしていた。この流れにキルケゴールは影響を受けていたにちがいない。美的というより、快楽主義という方が適当なのかもしれない。19世紀のヨーロッパは、紳士の時代であった。欠点のない服装、完全なマナー、数か国語を自由に話す、裕福、ウイットに富む、それに文化的であることが要求された。紳士であることは、楽しいことではあるが、最終的には虚しい。魅惑的な芸術愛好家になることは、悪くすると、放蕩家になる可能性があるということである。そういうことで、美的な生き方は、本当に素晴らしい選択であるとは言えないのである。

二つ目の選択肢は、義務的な人生を送ることである。中心となる価値としての義務は、歴史的に儒教、ストア哲学(禁欲主義)、カント、ヘーゲルなどが取り扱っている。嘗て、義務は仕事上においての「貴方は●●すべきだ」という単純な定義づけがなされていた。ケルケゴールは、義務に関する問題において、カントに感謝している。カントの義務に関する問題提起は素晴らしが、それは個人の幸福に関して、何ら示唆するものがなかった。カントの義務論は、絶望しか引き出せなかった。というのは、カントの義務論は、私の個人的な愛着、欲望、家族、それに愛する人と切り離れることはないのである。ところが、カントの解決法は、驚くことに、特徴的なところがないのである。なんと、甘い見解ではあるが、一応実存的である。カントは宇宙の前に立ち、強調、要求している。神は存在し、死後その存在が分かるというのである。そうであるので、全ての存在は必然的にあるというのである。キルケゴールは義務における仲裁者を否定し、直接神と対峙しようとしたのである。
つづく


ビルマ(ミャンマー)
木庵の反応
<ビルマについて相当量書いてきた。一応曲がりなりにも、筋らしきものがあったと思う。この筋から外れた、雑多な知識を捨てておくのも勿体ないので、これから私の記録として、残しておく。木庵>

雑多なるビルマ論
1) ラングーンにある高さ98メートルの黄金の仏塔シュエダゴン・パゴダの仏塔の全面に張りめぐらせてある金箔の総量は10トン以上。これはイギリス統治時代の大英帝国が保有する金の総量を上回っていたという。また仏塔の上部に埋め込まれているダイヤは2000カラット超、その他にルビーやサファイアなどの宝石が埋め込まれていて、それらをお金に換算するとビルマの全国民を30年間養えるほどになるという。

木庵の反応
<ビルマが如何に東南アジアのなかでも豊かな国であったか、これを見ただけでも分かるだろう。またその富を狙ったイギリスの気持ちも分からないこともない。木庵>

2) ビルマ政府は気まぐれ。一夜にして紙幣を紙くずに変えた。わずか20年あまりの間に、三度「紙幣廃止」を行なった。その理由はこの国の経済に大きな影響力をもつインド人や中国人の力を排除するためであったという。

木庵の反応
<これは裏を返せば、軍事政権の民族意識が強く、外国の勢力を排除しようとした結果である。しかし、結局成功はしていない。このような小手先では何の力にもならない。木庵> 

3) 日本人は一番見晴らしのよい場所にホテルを建て、ビルマ人はパゴダを建てる。

木庵の反応
<仏教国ならではの話木庵>

4) ビルマ政府はよほどのことがない限り、外国人を処罰することはない。しかし現地の人は不条理な理由で簡単に逮捕、投獄される。

木庵の反応
<国柄なのだろう。反政府運動の激しい国。ある程度の強権は仕方がないが、近頃の軍部には理念がなくなっているようである。もはや支那中共の強権政治と同じになったのだろうか。木庵> 

5) タイやカンボジアの伝統舞踊が、もともと大きな影絵を操る影絵師の身のこなしを模倣して発展したといわれているように、肘を張るように踊るビルマ独特の伝統舞踊はマリオットの人形の動きを模倣したといわれている。そもそもマリオットは王朝時代、国の窮状を伝えるのに言葉では角がたつから、芝居の形にして王に伝えたとされる。国王はその芝居を見て、自らの態度を改めたという。こうしたガス抜きが結果的に王権を支える装置として働いていた。それより、王政時代にはこうした批判を受け入れる寛容さがあった。

木庵の反応
<それに対して、現軍事政権のタン・シュエはこの寛容さがあるのだろうか。木庵> 

6) モン民族がつくった古都タトンは、紀元前3世紀、仏教発祥の地インドでもスヴァルナ・プーミ(黄金の地)として知られた国際都市であった。中国の「後漢書」には、紀元97年にタトン「(手偏+古漢字の単)国王が後漢の和帝に朝貢したと記されている。この国がタトンと考えられている。彼らはビルマ文字の原形となったといわれる独自のモン文字を持っていた。その後紆余曲折の歴史を辿り、1757年モン王国は滅亡した。王国をなくしたモン民族は、支配者になったビルマ民族によって虐殺と文化破壊という徹底的な民族浄化を行なわれ、急速に衰退していた。イギリスがビルマにやってきて以来、マジョリティであるビルマ民族の宿敵はカレン民族に代わったが、モン民族はビルマ民族にとって煙たい存在であることにはかわりはなかった。かつて国連の事務総長を勤めたビルマ人のウ・タントは国連の演説で、「この世にモン民族などというものは存在しない」と発言した。すると同席していたタイの国連大使が「私の祖先はモン族だ」と言い返したという逸話がある。

7) カレン民族の場合、半数が仏教徒、残りの半数がキリスト教徒とアニミストである。イギリスの統治の時代、トップにインド人を置きその下に下級官吏としてマイノリティのカレン人を登用した。そうすることにより、ビルマ民族の不満や怒りの矛先を直接イギリス人に向かわないようにした、イギリスの得意とする間接統治であった。1980年代、タイの物価は日本の5分の1、ビルマの物価はタイの5分の1ほどであった。

8) タイでは3000頭の野生のゾウがいるといわれている。森林の多くが消失しているタイに対して、豊富な森林があるビルマでは1万頭を超える野生のゾウが暮らしているという。

9) タイでは、以前ゾウ使いを踏み殺したゾウを死刑にしたことがあった。ところがビルマでは、そのようなケースはあくまでも事故として扱い、事故を起こしたゾウをまた調教しなおし、使役の現場に復帰させるという。

10) シャン州ゴックは世界最高水準のルビーを産出する。シャン州の北のカチン州パガンでは、世界のヒスイの大半を産出するといわれている。ウランや希少金属、天然ガス、チーク材、そして大量の金がカチン州で産出される。しかし、こうした天然資源の採掘権の大半はビルマ政府や政府と関係する中国企業が収奪してしまうため、地元民に還元されることはない。わずかに地元の人々が恩恵を受けるのは砂金だけである。

11) 宇宙から夜の地球を眺めると3つの人工的な光が見えるらしい。街の光、漁船の漁り火、そして山を焼く炎、つまり焼畑の火である。山岳地方に住むチン族は多くの山岳民族同様、焼畑農業をしている。

12) アキャブ沖には豊富な天然ガス資源が眠っている。日本を始め各国政府はこの資源を獲得するためしのぎを削ってきた。しかし結局、採掘権を得たのはビルマの軍事政権に深くコミットした中国だった。

13) 第二次大戦初期に名をはせた日本の加藤隼戦闘機はアキャブの飛行場をベースにイギリス空軍や中国空軍と戦闘を重ねた。

14) イギリス植民地時代、ビルマ全土で人口の1割を超えるインド人が暮らしていた。しかし、独立後、インド人への風あたりは強く、多くのインド系住民は本国に戻った。それでもなお相当数のインド人系住民が、ビルマ国内で暮らしているといわれている。ビルマ政府はその数を100万ほどといっているが、じつは、その数は正確につかめていない。理由は、ビルマ政府の迫害から逃れるため民族名を隠しているインド人が相当いるからだ。

15) ビルマには多くの民族が割拠していた。その中で国家を持つことが出来たのは滅亡したピュー民族をはじめモン民族、アラカン民族、シャン民族そして現在の支配者ビルマ民族である。現在に至るまで国家を持ったことのない民族はカレン民族、チン民族、カチン民族なでである。前者は文字を持っていたのに対して、後者は文字を持っていなかった。
つづく


写真:ヘーゲル
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