訪日(第169回You Tube(愛)、ビルマ(ミャンマー))(#50)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第169回You Tube(愛)
https://youtu.be/ozXA1QQx4us

今回は愛について述べていきたいと思います。山辺さん(仮名)、木庵のブログの愛読者で、You Tubeでも木庵の「一人語り」をいつも見ておられる。その彼女がYou Tubeで「哲学や宗教のことについて話してほしい」という要望があった。特に、前々回取り扱った、「ヒュームが科学も哲学も宗教も否定しているのは彼の哲学だと理解できるが、人間にとって愛が一番大事だと思うので、愛について語ってほしい」と言われた。カーター先生の書かれた『Encyclpedea of Philosophy』では、きっと愛について扱っていると思い、「L」のところを探した。「Lave」というセクションがあった。 読んでみた。先生独特の「愛論」を展開されている。ただ、「Love」「愛」という言葉の定義づけに困惑、奮闘されていた。では、「Love」について先生はどのようなことを書いておられるか、紹介する。


Love
愛の概念について、哲学の世界では、ほとんど完全と思えるほど議論され尽している。ところが皮肉なことに、哲学の主な主題とはなっていない。Macmillan Publishers Ltd(木庵注: イギリスの大手出版社。 教科書,科学書,文学書,定期刊行物などが中心。 1843年,スコットランド出身のダニエル・マクミランとアレグザンダー・マクミランの兄弟が創業した書店、マクミラン Macmillan & Co.)が発行している『Encyclpedea of Philosophy』では、「Love」という言葉がリストに挙がっていない。私(カーター先生)が想像するのに、この事典の編集者は、愛という言葉から由来するものには、曖昧で実体なるものを発見できないと判断したからであろう。
何年か前、カーター先生の哲学のクラスで、愛について学生たちに考えさせることがあった。ところが、これはという意味づけに成功しなかった。
そこで、後ほど、愛という言葉の定義づけを試みた。ところが、納得できるような定義はできなかった。それからさらに数か月後、先生は先生の奥さんと二人の子供達と一緒にビーチにドライブした。その時、先生の心の中から素晴らしい感情が押し寄せてきた。先生はビーチをそれほど好きでないのに、なぜこのような感情が押し寄せたのであろうかと、自分に問われた。
「お前は、長い間結婚生活を送っている。そして、お前が妻や子供たちが幸せな時に、お前も幸せなのに、それを幸せだとは感じていなかったのではないか」と。このことの気づきは、先生の心の中にある引っ掛かりに、何かしかの刺激を与えた。
つづく


ビルマ(ミャンマー)
15) 旧共産党三派のうち最も強大なのはワ州のワ軍である。ワ州は南北に長い長方形で、東の長辺が中国と国境、西の長辺がサロウィン川でくっきりとくぎられ、北はコーカン、南はムシャン地区に接している。高野は奥地を目指した。ピックアップ・トップの荷台に便乗していったが、彼は弾薬が詰まった金属の箱の上に腰掛けた。弾薬のケースには中国語で「5百発」と記されていた。これから少なくとも中国から弾薬が流入していることが理解できた。弾薬だけでなく、武器も相当流入しているに違いない。中国はビルマ政府に莫大な武器援助および輸出をしている一方で、反政府ゲリラにも武器を売りつけているというもっぱらの噂である。
16) ワ州と共産主義、世界広しといえどもこれほどのミスマッチはない。かつて3人の土侯がいたが、わずかな盆地に微々たる力を及ぼしていただけで、村民から搾取などしとおらず、貧富の差や階級差別が生まれたのは、ビルマ共産党がやってきてからである。
17) 左腕のない老人が語りかけてきた。「ビルマ共産党の時代は本当にひどかった。どうして、わしらがよその土地まで行って戦わなければいけないのか」。彼によると、ビルマ共産党が侵入してきたのは1968年であった。その前は国民党の残党がうろついていたが、中国語を喋る人間は殆どいなかった。ところが侵入後は中国との往来が頻繁になり、「毛沢東語録」などを暗唱させられた。
18) ジャーナリストや研究者の資料によると、かつてビルマ共産党はビルマ南部を活動の拠点にしていた。それが、はるばるワ州の山奥まで引越ししてきたのは中国のおかげだ。中国がビルマ共産党を支援することを決めたのは1967年、文化大革命が猛威を振るっていた時期である。すでに中ソの蜜月時代に終わりを告げ、中国はソ連と親交を深めるビルマを敵視し、中国式社会主義、つまりマオイズムを輸出するため、ラングーン政府に反抗をつづけるビルマ共産党に目をつけたのである。
19) 1960年代の初めから中国に亡命し、マオイズムに染まりきっていたビルマ共産党の幹部を、当時ビルマ中部で活動していた共産党軍本体ともども、ビルマ政府の権威が届いていないワ州周辺を含む中緬国境地帯に送り込んだ。地元の土侯や国民党の残党らはこれに抵抗したが、中国の圧倒的な物量作戦になす術がなく、2,3年で駆逐された。中国は、武器や弾薬だけでなく、革命の理想に燃える紅衛兵の若者を何千という単位で投入した。現在でも、ワ軍・党に中国人の幹部が驚くほど多く、ともすれば中国人に牛耳られているように見える。
20) 1970年、ビルマ政府はソ連よりの外交政策を方向転換し、中国と親しい関係を結ぶようになった。以後、中国は公式にはビルマ共産党の直接支援を取りやめるが、戦略物資は流入し続けたといわれる。資金繰りに苦しくなったビルマ軍は、支配下のワ州、コーカン州、ムンシャン州で、侵入直後に禁止していたケシ栽培を復活させ、アヘン・ビジネスで荒稼ぎを始めた。
21) ワ州は中国の後押しで強烈なマオイズムを推し進めたカンボジアのポルポト派と似ているところがあるが。国の人口の3分の1が殺害されたにもかかわらず、未だに農民の一部でポルポト派に好感を持っている人がいるという。それと同じで、いまだにマオイズムを懐かしがる人がワ州にいるという。
22) 1989年、軍内クーデターにより、共産主義はビルマ人幹部と共に追放された。しかし、思いがけない遺産がたくさん残った。強力な軍隊。世界最大となったアヘンの生産。そして、それらを管理する中国式官僚システムであった。
23) ビルマは内戦に次ぐ内戦を重ねているにかかわらず、学校でのビルマ語教育が徹底している。学校で少数民族の言語を教えることは禁止されている。だから少数民族同士がビルマからの分離独立をめざしているゲリラたちですら共通語としてビルマ語を使用している。ところが地域丸ごとにビルマ語を解さないのはワ州の人だけだろう。
24) 高野の見解には説得力がある。なぜなら少数民族と共に生活し、彼らの心をよく理解しているからである。「ビルマの少数民族は多かれ少なかれビルマ人が好きでない。『ずるい』『平気で人を騙す』『差別する』と彼らは言う。また、外国のビルマ・ウォッチャーはジャーナリストにしても、アムネスティー・インターナショナルのようなNGO団体にしても、大半がラングーン中心主義である。民主化の問題さえ論じれば事足りると信じている人々も多く、少数民族の独立や自治については、アウン・サン・スー・チーらビルマ民主化勢力も、軍事政権と同じくらい否定的であるという事実を無視しており、少数民族側からビルマを見ている私はしばしば反発を覚えるという。つまり、ビルマの国のなかでも外でも少数民族差別もしくは軽視が改まる様子はないのである。」
25) ワ軍は以後、政府とべったりの関係、つまり『親政府武装勢力』となり、二度と反政府ゲリラに戻ることはなかった。政府に叛旗を翻していたのは高野が滞在していた前後1年余に過ぎないという。
26) 高野がワ州から出て10年、ワ州のことについてのニュースを高野は聞いているが、芳しくないことばかりだという。ワ軍が政府軍の代わりにシャン州軍と戦い、莫大な犠牲者をだした。ワ軍がタイ国境に支配区を広げ、そのためワ州の住民を何万人と強制移住させた。しかも、不慣れな低地のせいで大勢の人が伝染病に罹って死亡した。そのような話ばかりだという。
27) 高野は結論付けている。「ビルマ(ミャンマー)が民主化問題で国際的に孤立すればするほど中国の影響が強くなり、いまやビルマは中国の半植民地のような状態だ。ビルマ自体が中国人天国なのだから、それが中国系の牛耳るワ州とリンクしないわけがない。

 

木庵の反応
<私のブログに入って来られたビルマの女性の記事があったのでここで掲載する。彼女のブログ名とこの記事のブログアドレスは下記の通りである。木庵>
birumasamurai
http://blogs.yahoo.co.jp/birumasamurai127/26489509.html
週刊新潮、山口元大使の手記
2007/10/7 日曜日 - 17:29:21 by 後藤 修身

今発売している週刊新潮、10月11日号が手元にある。この146~149頁に『スー・チー女史が「希望の星」という「ミャンマー報道」は間違っている』という元ミャンマー大使の山口洋一氏による手記が出ている。私の友人たちの間でもこの手記のことは話題になっている。今の時期に軍政を支持するというのは一種の勇気かもしれないが、事実誤認が多い。いくつか取り上げてみたい。

実は、デモを行っているのはいわゆる一般市民ではなく、言葉は悪いですが、その多くは無頼漢や与太者、失業者などで、NLDから金銭の提供を受け、動員されているのは事実なのです。

これは、デモが盛んに行われていた頃に国営放送が放送していた内容と同じである。ミャンマーの国営放送は中国の国営放送と同じで、当局の都合の悪いことは流さない、政府の宣伝放送局である。私はデモが盛んだった頃何度もヤンゴン在住のミャンマー人や日本人に電話で聞いたが、今回のデモについては血気にはやった若者はいても、無頼漢や与太者と呼ばれるような人たちはいなかった。また、NLDから金銭の提供があったという証拠は現時点では出ていない。88年の『民主化暴動』のときは、文字通り暴動に近い事態になり、山口氏の書いている無頼漢や与太者たちが騒ぎに乗じて盗みを働くということが多くあった。
つづく


写真:アレグザンダー・マクミラン
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