訪日(第167回You Tube(理性)、ビルマ(ミャンマー))(#44)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第167回You Tube(理性)(intelligence)
https://youtu.be/UXaVFPDvXMU


浜崎洋介が述べたことから、理性を考える
最近、浜崎洋介氏が語る動画を見ることが多くなった。彼の肩書は文芸評論家であるが、最近、京都大学経営管理大学院特定准教授になられた。彼の経歴を調べると、日本大学芸術学部卒業、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻修了、博士(学術)。文芸批評家。東京工業大学、日本大学、法政大学などでの非常勤講師を経て、現職の京都大学特定准教授になっている。
京都大学の教員紹介に、彼のメッセージが載っている。


【メッセージ】
魚は水という条件があってはじめて「自由」に泳げるように、「自由」にはその条件があります。では、日本人の「自由」の条件とは何なのか。それを思想、文学(精神史)、歴史のなかで考えるのが私の仕事です。日々行っている文芸批評の研究・活動も、その延長線上での実践であることをご理解いただければ幸いです。

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浜崎氏の、特に福田恆存と小林秀雄に対する文芸批評は優れている。2022年、『小林秀雄の「人生」論』で、第31回山本七平奨励賞を受賞している。山本七平奨励賞が京都大学准教授への栄転につながったのだろう。確か彼は今43歳だと思うのだが、新進気鋭の評論家である。彼が出ている対談や討論会を最近よく見ている。難しいことを言っているが、すんなりと木庵の頭の中に入る。その謎が、最近解けたように思う。
一つは彼の育ちというか、彼の家系というか、彼の家での環境である。彼が言っていたが、「親戚のなかに、宮細工のような昔ながらの職人が多い」と。家にいると、職人たちの会話を聞いている。そこには、日本人の真の伊吹を感じる。ところが、大学生になり、外での友人や所謂インテリという人と接すると、どこか違う。職人達の醸す雰囲気と違う。その理由がよく分からず、「内と外は違う」程度に考えていた。そして、福田や小林を研究するなかで、彼たちは、常民、普通の人が感じていることについて書いているということに気づいた。特に文学は、普通の人の、例え夏目漱石のようなインテリでも、日本人としての呼吸の中に生きていることを表現していると思った。夏目漱石はイギリスに留学した。政府の「ヨーロッパに学べ」という命令で夏目は留学に出されたのだが、ヨーロッパ文明と己の心とがあまりにも離れているのに悩んだ。日本に帰国しても、日本の所謂インテリはヨーロッパを向いている。ヨーロッパの文献を翻訳するなど、ヨーロッパを研究することが、良き学者であるという雰囲気があった。そこに、夏目は日本でも、仲間との乖離を感じ、小説に取り組むようになった。小説とは、ヨーロッパとは関係ない、一般市民が日本という風土のなかで息づいている姿を描写することである。
福田も小林も、日本人の呼吸を基にして批評を書いていることを、浜崎氏は感じとったのである。そうだとすると、浜崎氏の身内の職人気質の伊吹は正しく、むしろ正常であることが分かったのである。
ハイデッガーのユダヤ人の弟子がいた。名前は忘れたが、彼は戦前日本で何年か暮らした。彼は「日本文化は素晴らしい」「日本人は素晴らしい」と感じたが、何か変だ、特にインテリは変だということに気づいた。例えで言うと、日本人のインテリは、二階建ての家に住んでいる。1階には日本的なものが溢れていて、二階にはヨーロッパ的である。しかも一階と二階をつなぐ階段がない。日本のインテリはヨーロッパの哲学、文化はよく知っている。しかし、それと日本そのものを結び付けようとしないのである。その兆候は今の時代もそうである。日本人が長年にわたって培ってきた文化、伝統を無視して、ただ西洋の解釈だけをしている。それがインテリであるという。右翼であろうが左翼であろうが、同じことだという。だから、日本の思想家と言われる人たちの言葉に、どこか馴染めないところがあるのである。「常人の心、伊吹が一番大事である。そこからスタートして、常人の心とヨーロッパの思想なり考えとどう繋がるかということを考えることが大事である」と、浜崎氏は言う。そのことを木庵も以前からうすうす感じていたが、浜崎氏の言葉から納得したのである。

さて、理性についてであるが、日本のインテリの理性は、ヨーロッパやアメリカばかり見ている。見ているから、日本の実情とは合わない。基礎となるのは日本の心、日本の呼吸である。最近グローバル化が進んでいるが、日本を基にしたものでなければ、それは単なる観念であり、日本にとって何らよくない。
理性を日本を基礎にしたもの、日本の普通の人の心を基にすることが大事で、そのことが、健康な理性だということになる。まったくカーター先生のアプローチとは違うが、木庵が感じる常人の心を基礎とした理性について述べたつもりである。木庵>


ビルマ(ミャンマー)
中共はアフリカでも類似する問題に起こしている。中共は、スーダンで多額の石油投資をしたが、スーダンの人権保護に注力せず、国際社会の強烈な反発を引き起こした。中央アフリカ地区の投資は更に広範囲な強烈な反対を招いた。特に、ザンビアで,野党の愛国前線は昨年、ザンビア選挙で、中共に反対する政治綱領を宣言した。

 ミャンマーにおける中共勢力の存在は、更に複雑な事情がある。それは中共がシットウェで開発しているベンガル湾海軍基地である この基地に対してインド側は懸念を抱いている。中共がインド西側のパキスタンで建設したグワダール港(Gwadar )海軍基地と同様に、インド国防の不安材料となっている。

 今度の僧侶、尼僧が参加する抗議の重要性の一つはこのデモが、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏との連合に発展したことを挙げられる。ミャンマー軍事政権は、僧侶と市民や学生、アウン・サン・スー・チー氏が団結した抗議活動に直面し、日に日に高める愛国主義と反中国共産党の感情が絡み合い、その上石油価格の高騰によりもたらされた苦しい経済状況で、ミャンマー軍事政権は窮地に追い込まれた。

 ミャンマーは1962年から軍事政権によって支配され、独裁者のネ・ウイン氏が1988年に民主運動で退陣し、軍事政権は1990年に総選挙を行ったが、国民の支持を得たアウン・サン・スー・チー氏に権力を渡すことを拒絶した。過去18年で、同氏が自宅に軟禁されたのは通算で約12年になる。

 かつて東南アジアでは最も豊かな国家ミャンマーは今や、国民の平均年収は200ドルの世界で最も貧しい国の1つである。政府はここ数年、経済を開放し、近隣の中国、インドとタイが狙っている大量の石油と天然ガス貯蔵区の採掘権が、軍事政権の支えとなっている。
(大紀元)


木庵の反応 
<中国が絡んでいるとなると、今後問題が複雑化してくる。今のところスーダンのように武器供与などの関与の情報はない(ビルマ少数民族への武器供与はあった)。
 しかし軍事政権を容認し、資源の買い占める一方で、安価な中国製品・中国人労働者を送り込み、地元経済に打撃を与えるパターンは、アフリカ諸国と同じやり方である。

 中国領内からミャンマー国内を縦断してインド洋へ抜ける輸送ルートが完成すれば、中共にとっては軍事的にもインド洋へ出るルートをおさえることが出来る。
 ネパール・ブータン情勢と合わせて見ても南方政策は活発化している。このまま手を拱いて静観しているだけでは、ビルマが中共の手に落ちるのは目に見えている。ビルマ軍部が中共と結びつかざるを得なかったのは、スーサン女史の民主化運動であった。選挙で敗退したのに政権を譲らず、彼女を軟禁した。その結果西洋諸国の批判を浴び、より世界から孤立していった。特に経済の退廃は軍事政府の脆弱さを意味し、そこに付け込んできたのが中共である。相手の弱みを握り、後は自分の思い通りにするのは中共のお手のものである。木庵>

現在ミャンマー軍政のトップ タン・シュエ議長の目指すもの
http://blogs.yahoo.co.jp/trzy_czerwony/3999890.html
  

木庵の反応
<みあけさんのブログ(上が彼女のブログアドレス)で現在ミャンマー軍政のトップ タン・シュエ議長について、それに現在のビルマと中国の癒着関係についての彼女のコメントと貴重な資料が掲載されていたので、それをお借りする。
  ネ・ウィン退陣後もまだネ・ウィン体制は存続していたと思っていたが、さにあらず。売国者(?)によってビルマは危険な方向に行っている。木庵>

「2002年、元独立義勇軍の一員だったために親日であったネ・ウィン元大統領を、彼の一族が、一部の軍関係者を取り込んでクーデターを計画したとして捕らえ、ネ・ウィン元大統領と孫3名に死刑判決を出している。」
 
謎に包まれたミャンマー軍政のトップ タン・シュエ議長
2007年09月26日 17:59
【9月26日 AFP】ミャンマーの軍事政権が首都をヤンゴン(Yangon)から同国中部の森林地帯ネピドー(Naypyidaw)に移してから、その実態は謎に包まれたままだ。 軍政のトップを務めるのが、タン・シュエ議長。

恐慌状態になって、軍事政権が恐れるものってナニ?
当然民主化が台頭して、軍事政権が倒されることに決まっている。

  ところで、この軍事政権を握っているタン・シュエ議長という人物って何者?

ビルマ社会主義時代の、ネ・ウィン政権時代に首相をつとめた人で、その後88年に社会主義政権が崩壊。
 国家平和発展評議会が、1988年の社会主義政権崩壊に対する反応として作られた時、タン・シュエはその21人のメンバーのうちの1人として指名された。彼は議長となったソウ・マウンの片腕となり、その後、1992年4月23日に、健康上の理由によるソウ・マウンの辞任に伴い、SLORC 議長(国家元首)、国防相、国軍最高司令官として彼の後継者になる。
Wikipediaより引用:

タン・シュエなる人物の記事を見る限りは、現在完全に独裁的な政権で、上だけで富を貪ってるような感じ??

タン・シュエ議長はじめとした、上層部の人間たちだけが、贅沢を極めた、すべて思い通りになる生活を送っているのであるとすれば、
 あれほどまでにヒステリックな、抵抗勢力と民衆への弾圧にも、合点がいくというものです。
つづく


写真:浜崎洋介氏
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