訪日(第167回You Tube(理性)、ビルマ(ミャンマー))(#41)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第167回You Tube(理性)(intelligence)
https://youtu.be/UXaVFPDvXMU

殆どの人は議論が嫌いである。議論には攻撃的で、他者を脅かすようなこがあるので、嫌になるのだろう。悪い議論者は、自分の意見が正しいと思い、他者の意見が間違っているのを証明しょうとする、己が偉いことを証明するために議論を行っているのである。勿論、このような議論をすると、最終的に失敗する。本当の議論は、両者が真理を求めるものでなければならない。ただ哲学者にはこのような議論には大きな問題が生じる。というのは、弁証法から絶対的な真理を得ることができないからである。結論は暫定的で、一時的なものである。弁証法的な議論は、一つの挑戦にしかすぎない。しかし、知的な人は議論に勝利して金持ちになり、多くの人は、貧しくなる。ということは、弁証法的議論をうまく展開するためには、知性が問われるのである。

プラトンや彼の哲学を継承した人々は、絶対的な確かさを求めている。そのためか、ソクラテスの弁証法はプラトンに適合しなかった。プラトンは数学に関心を抱くようになった。数学は歴史を通して、時間に制約されない確かさを提供してくれる。問題はヒュームが言っているように、純粋数学はこの世のことを一切述べていないのである。数学は絶対的な真理ではあるが、中身がまったくないのである。プラトンは、数学を神秘的なバカ騒ぎの世界に引きずり込んだ。現実の歴史の展開において、主要な哲学者の殆どのは、合理的で、完全な真理を求めている。彼等の試みは巧妙で、幾らかの哲学者は素晴らしい洞察力を創り上げているが、それらは全て間違っている。我々の理性は、この世に最初に誕生した生命体の持っていた理性とそう変わりなく、我々の外部にあるものを識別はできても、その知識は、便宜的に我々の考えが収斂して、理解できたと思っているにすぎない。

科学的方法は、理性の新しい形を創造していない。科学的方法はソクラテスの弁証法の新しい適応である。科学は仮説を持ち出す。母なる自然法のなかで一つでもネガティブなことを発見すると、その自然法は成り立たなくなる。このようにネガティブなことを発見して、悪い考えを除去しようとする。これは盲目の想像ゲームではない。科学者は統一的に見える自然に導かれている。科学の最初の足がかりは、天文学の大躍進によったのではない。科学的方法は、数学に収斂している。そして数学が完全なものとして取り扱われるが、数学的な理由づけは、実態がなく虚しいものである。数学的な理由づけが、成功しているように見えるのは、人間の理性の重要な要素として考えられるからである。

 (ジョン・デューイ)(John Dewey)は功利主義(プラグマティズム)の主唱者のリーダーである。功利主義は一つのセンテンスで言い表すことができる。「ある考えが正しいかどうかは、それが有用かどうかによって決まる」。功利主義が抱える問題は、真理に対して、どうでもよいようなところがある。功利主義の真理というのは、科学技術の発達に応じて変化する。私(カーター先生)の教授の一人がかつて冗談的に言われた。「 デューイの論文は真理の定義がよくない。ただ、真理を発見するのに良い方法かもしれない」と。功利主義の原理(principle)は理性の背後にある原動力である。理性は間違いに対して警鐘を鳴らす。馬鹿さ加減の物言いは、ゲームにさえならない。アメーバのような原始生命体についてもう一度考えてみよう。この生命体が生きているかの検証は、食べるという機能があるかどうかで決まる。それに、理性があるかどうかを見るのに、もみ殻と穀物の違いを識別することである。ではどうして、栄養になるものとならないものを見分けることができるのだろうか? その違いを最初から分かるはずがない。生き物は試行錯誤しながら、その生き物にとって良いものか毒になるものかを学んでいくのである。その意味からすると、全ての生き物は功利主義者であると言える。

最近の科学の発達は、 AIをより高度なものにしようとしている。 AIは人工知能(Artificial Intelligence)である。この方面を研究している科学者は、物以外の幽霊、天使、人間の霊などのようなものを排除している。そうであるなら、人間の理性というのはどうなのだろう。心理学においても、唯物論者は、
人間の心の現れを物質から説明しようとする。もし唯物論者が人間の心理を物質から説明するのに成功したとすると、人間の理性も同じように説明できるのであろうか。AIのテストは、シンプルで、単刀直入である。人間の心の働きをそのまま再生できるAIのコンピューターをつくろうとする。

その開発には、長い道のりが予想される。最大の問題は反射性である。知識というものは、私が単純に考えを持つというのではない。寧ろ、考えを持っていることを知ることである。あるコンピューターはチェスゲームにおいて私を打ち負かす。しかし、コンピューターはゲームの仕方を知っているのだろうか? コンピューターは単に数字で書かれたものに従っているにすぎない。コンピューターは何も知っていない。コンピューターは私が英語で書いた定義づけしたものに単に従っているにすぎない。それだけのことで、何も知っていないのである。コンピューターはユークリッド幾何学のルールに従っているだけで、ユークリッド幾何学の意味を知っていない。何かを知ったり、何かを欲したり、何かを信じたり、何かを好きになることなど、コンピューターは出来ない単なる機械である。我々人間は物からできていると同時に心をもっている。コンピューターは心がない。我々は人間と同じ形態をもった、心をもって、考えることが出来るコンピューターを作ることができるだろうか。もしそのようなコンピューターを作ったとして、それが人間であると言えるだろうか。唯物論者は全て物からできていると主張する。心さえ物からできていると主張している。そうだとすると、心をもったコンピューターさえ、ものから出来ていて、その心を物からどのように作るのであろうか。そう考えるとAIがどこまで発展するかを議論する前に、物と心の関係を十分に説明しなければならない。そう考えると人間の心をもったAIなんて、そう簡単に出来そうにないと思う。
つづく、


ビルマ(ミャンマー)
然し乍ら一方では、一部報道に拠れば、國家發展評議會(SPDC)のタン・シユエ議長の獨裁振りは物凄いらしい。1998年(?)9月29日の産經新聞に拠れば、地元紙の記者は「ミヤンマーでは法律は重要ではない。何でも議長の考へ次第だ」と云ふ。
 最近2〜3年で、議長の逆鱗に触れ、汚職等の罪を着せられて収監された軍人や政府職員は千人を下らないとも云ふ。それでもタン・シユエ議長の支配體制は磐石だと、ヤンゴンの外交筋は見てゐる。
 軍政内部では比較的穏健派と目されてゐた、當時のキン・ニユン首相は2004年10月、議長の怒りを買ひ、汚職罪等で懲役44年の刑を受けた。キン・ニユンに繋がる穏健派は徹底的に潰され、今や軍政指導部は強硬派で固められている。
 そして此の頃を境として、從來親日的であったミヤンマーは、現軍事政權の下、共産支那との繋がりを深めて行くのである。

 斯くして、現・軍事政權は言論や政治活動を嚴しく制限してゐる爲に、其の存在は國民の深い怨嗟の對象となつてゐる。僧侶達の怒りは正に其れを象徴するものである。しかし、だからとて「民主化」の美名の下、再び英國の影響下に落とし込められる道を開き、民族間の對立を再び驅り立てかねない、アウンサン・スーチー女史の主張にも、決して正當性を見出せないものである。

 遡ればビルマは、インドネシアと並んで、其の獨立に當り日本軍の絶大な支援を受けてゐる事から、彼等と日本との關係には特別な歴史が有ると見るべきであらう。單細胞的に英米に追從して、アウンサン・スーチー女史が拘束されてゐるとか、ノーベル平和賞受賞者である等と云ふ事に目を眩まされてはならないものと考へる。

我が國マスメデイアでの報道では、國民の支持を得てゐるのは獨りスーチー女史のみであり、其れを一方的に彈壓してゐるのが軍事政權である、との印象が刷り込まれてゐるが、現地に於いて實感する状況とは全く異なつてゐると云ふ。此處では、特定の新聞社の名前を舉げる事は差し控へるが、何故正しい情報が傳へられないのか・・・。元ミヤンマー大使・山口洋一氏も斯様に云つてゐるさうだが、此れは七不思議とも謂へやう。
 ミヤンマー國外及び日本には當然、祖國に居られなくなつた反體制ミヤンマー人が多い故、反體制側の情報ばかりが溢れてしまふ上に、日本メデイアによる情報収集が困難な地域での騒亂なので、情報の偏りが生じるのは、或ひは當然かも知れない。
其れを踏まへた上で、反對の立場からの情報をも確認する努力をせねば、我々はマスコミの好き勝手に踊らされ、状況判斷を誤る事となるのであらう。

民主化運動家は、物価高騰對策・少數民族問題對策等、重要な政治案件に關して具體的運動方針を示し、ミヤンマー國民と是を共有して置かねば、アメリカが「壞してから考へます」式で體制を破壞したイラクの様に、民主化後に殘つたのは混亂のみ、となりかねない。

 ミヤンマーの人々が貧困に喘いでゐても人間性豊かで、哲學的な人生への取組みが比較的確りとして見えるのは、佛教を基礎とする傳統文化を尊ぶ民族精神ゆゑである。
 佛教原理を価値観の頂點に置き、軍人でも有名なパゴダへの參拝と寄付を演出し、憲法を超える宗教律にこそ、其の統治の權威を縋る。佛教原理が「まつりごと」の求心力となつてゐる。
 タイが國王と佛教の權威を重ね持つ智慧に基づき、首相は國王に拝謁する形を踏襲して國家社會を安定させて來たやうに、である。

 しかし・・・ミヤンマー元國王が英國により印度に拉致されてから既に半世紀以上も經つた。其の權威の代替を軍部が行ふため、ミヤンマーの統治形態もペルシアやサウジと同様に、傳統的權威の確立は果てし無く遠のいてしまつたのである。

 唯、如何にも不可解なのは其のやうな佛教國・ミヤンマーに於いて、今回のデモ鎭壓で治安部隊が僧侶に對して暴行に及んだ事・・・。一部には、朝鮮戰爭に於ける「援朝人民義勇軍」の如く、支那共匪の一味が治安部隊内に入り込んでゐた、との話も聞く。宗教を否定する「共匪」ならば、成る程、納得出來るのだが。

 斯様な歴史的經緯とミヤンマー的統治原理を理解し得ない歐米が、完全に「英國化」し果て、ミヤンマーの傳統を無視するスーチー女史を支援する一方で、「人權」を楯とした經濟制裁を行つてゐる。
 此れは、或る意味に於いて「文明に對する罪」「人道に對する罪」だと私は考へるが、如何であらうか。


以下、週刊新潮に於ける、元ミヤンマー大使・山口洋一氏の論評を引用させて頂く。

(以下引用)
元ミャンマー大使・山口洋一氏の指摘 (週刊新潮・19年10月11日号)

◎今回の抗議デモにっいて
 「今回の反政府モの規模について、日本の全ての新聞は10万人と報じてきましたが、テレビ映像を確認する限り、明らかに誇大な数字です。・・・水噌しするのは、今回に限ったことではありません。
 私が大使だった時代、アウンサン・スー・チー女史は、毎週末、白宅前の道路で集会を開いていました。
 日本のメデイアは、そこに集まる参加者を、3000~4000人と報じていました。ところが、私が部下に数えさせたところ、実際は、500~600人しかいなかったのです。意図のあるなしを別にして、メデイアは、反政府運動の規模を5~6倍、酷いときは10倍にしたわけです。ですから10万人規模のデモという数字は甚だ信憑性に欠けるのです。」
 日本のメディアは、ミャンマーの国営放送が繰り返し、「NLD(スー・チー女史が率いる政党)が市民に金を払ってデモに参加させている」「デモ隊が投石し、武器を奪おうとしたので、治安部隊が止む無く発砲した」 と、放送していることを、殆ど伝えようとはしません。
 実際、デモを行っているのはいわゆる一般市民ではなく、言葉は悪いですが、その多くは無頼漢や与太者、失業者などで、NLDから全銭の提供を受け、動員されているのは事実なのです。
 また、ある地方では、僧侶が治安部隊を僧院に押し込め、その車に火を放つといった、およそ「平和的な抗議活動」とは思えない振る舞いを見せたそうですが、このことも日本のメデイアではまず報じられないのです。」


◎ミャンマーの法律
 「道路や公園などの公共の場所で5人以上の政治目的の集まりは禁止」「屋内における50名を超える政治集会は許可制」とされている。

◎スー・チー女史の挑発
 「この法令を逆手に取ったのが軟禁中だったスー・チー女史で、彼女は、自宅に広大な庭があるのに、わざわざ演説集会を自宅前の道路で開き、野次馬を集めて政府を挑発しました。 治安当局が集会を庭で開くように指導しても聞き入れず、もし取締りを行おうものなら、「民主化を妨害している」 と、国内外のメデイアに声高に叫んで見せたのです。」
つづく


写真:AI
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