訪日(第167回You Tube(理性)、ビルマ(ミャンマー))(#39)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

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*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第167回You Tube(理性)(intelligence)
https://youtu.be/UXaVFPDvXMU

今回は「理性」について考えたいと思う。勿論いつものように、カーター先生の【Encyclopedea of Philosophy』に書かれているのを参考にする。前回は「ヒュ―ムの懐疑主義』を扱ったが、懐疑、疑うことと信じることと、どちらが知的に高いのだろうか。信じるというと、「イワシの頭も信心から」とか、キリスト教の奇跡の話が思い浮かぶ。イエスが神の子であり、死んでから蘇ったという奇跡を信じないと、キリスト教の信者とはいえない。ヨーロッパでは神学といって、このあたりのことを色々深く論じている。普通の人なら、信じることが知的に高いというより、本質に到達するためには必要だと思ってしまう。デカルトは疑うことを徹底的に行って、「我思う故に我あり」という結論に到達した。その結論は結局のところ、信じる世界である。哲学の世界も最終的には信じることが勝利するのであろうか。本当に信じることが疑うことより知的に高いと、結論づけることができるのだろうか。

このあたり、カーター先生はどう論じているのか、先生の文章の中に入ってみよう。

理性は一般的に哲学の関心事ではない。このことは奇妙なことである。というのは、哲学では理性がいつも介在しているからである。認識論(epistemology)は、知識がどのようにやってくるか、そして色々な知識の分類分けのような作業を行う。しかし、「理性」(intelligence)という言葉を分類分けのプロセスにおいて使うことはほとんどない。その理由は、「理性」は各個人の内なる主観と関係し、認識論では主観性を避けるためである。ところで認識する知識というのは、外界、客観的事物からくる。哲学の歴史を俯瞰すると、考える主観は、ほとんど扱っていない。哲学は外界から我々に到達する知識を問題にする。そこには人間の心理性に頼ることはない。合理主義者や経験主義者は真理の元となる絶対的な客観的事実を探そうとする。その意味で彼等は、後ろ向き、過去を見ていたようである。ところが、知性は知識を得るための主体であり、思考は知識から生まれる副産物である。そういう意味で、認識論は理性を研究することができるし、研究すべきである。

理性は正しい選択をする能力である。アメーバーが一欠けらの食べ物を獲るために動くの。その行為は理性なのであろうか。動物の直観的な行動は理性なのであろうか? 植物が葉を太陽に向けるのは、どうなんだろう。それらは、理性の前段階的なものなのだろうか? しかも生命がない無機質なものは、己の行動というものがなく、外界の環境によって左右される。多くの動物、植物は恐れることがなく、理性という問題に関与するのであろうか。

進化のプロセスにおいて、脊椎動物や甲殻類に別れた。甲殻類は直観で行動している。脊椎動物が理性をもつまでの進化は長い。昆虫も哺乳類も共に脳をもっている。昆虫の頭脳は、昆虫の一生を規制するプログラムがインプットされているコンピュータのようなものが内蔵されている。そのプログラムは、昆虫が生存するために組み込まれている。そこには学ぶという機能はない。昆虫と哺乳類、とくに人間と比較すると、哺乳類には学ぶという機能があるのに対して、昆虫はそれがない。だから、環境が変化したときに、昆虫の場合は、その変わった環境に対応するプログラムがないので、死滅してしまう。それに対して、哺乳類は理性によって学ぶという機能をもっていて、環境の変化があっても、それに対応することができる。特に人間にはこのような機能が特にあるので、人間の理性は特別な意味があり、人間の誕生はどこか使命のようなものがあるのではないかと、思うほどである。

動物が問題に直面したとき、行き当たりばったりの行動をとる。ネズミを迷路に入れると、最初ただいきあたりばたりに動きまわる。そして、偶然にも出口にある餌を見つけて脱出することができる。このネズミをもう一度同じ迷路に入れると、間違いなく1回目より短い時間に出口を発見する。数年前ある動物心理学者がチンパンジーを天井の高い部屋の中に入れる実験をした。その部屋の中には2個の箱が置いてあり、天井からバナナを吊るしている。最初チンパンジーはランダムに動いてバナナを取ろうとしたが、ある程度のランダムな動きをしてから、ようやく箱を積み重ねてその上に昇り、バナナを得ることができた。バナナを簡単に得ることができたことは、他のチンパンジーにも伝達することができる。この実験から、チンパンジーは理性があることを証明できた。

カーター先生は書いていないが、ニホンザルの研究の結果、ある猿の群れには。サツマイモを海水につけて洗って食べる習慣があるという。この群れだけの一つの文化として伝達されているという。
つづく


ビルマ(ミャンマー)
 独立以来クーデタまでの外交政策は積極的中立外交であった。これらの外交政策は、ビルマが第二次世界大戦に自らの責任に関係なく巻き込まれた経験からきている。それより、本質的には反植民地主義の基本理念に由来すると考えられる。この外交方針の拠り所は国連機構におき、いかなる大国のも与することなく、地域軍事同盟にも加わらなかった。もしビルマ政府が特定の国から武器援助を受け続けていたなら、反乱軍に対して他の外国の援助がなされ、内乱は代理戦争の様相を呈し、ベトナム戦争の二の舞を演じ、分裂国家になっていたかもしれない。アメリカ経済協定を破棄し、イギリスの軍事顧問団の引き揚げを求め、中国とは国境を確定して友好不可侵条約をむすび、インド・パキスタンとは友好条約を締結し、朝鮮戦争では国連の立場を支持しており、朝鮮・ドイツのような分裂国家とは相方と外交関係を保った。この外交方針は、ネーウィン革命政府以後も堅持し、ビルマはサンフランシスコ講和条約に参加せず、日本との平和条約・賠償協定を結んだアジア最初の国であった。
  1962年3月2日の夜明け、ネーウィンは行動を起こし、首相ウー・ヌ以下46名を逮捕した。軍は直ちにネーウィンを議長とする高級将校16名からなる革命評議会を結成し、憲法を停止し、立法・行政・司法の三権を掌握した。やがて4月30日、「ビルマの社会主義への道」と題する革命評議会の基本綱領を発表した。これはアウンサンがめざし、独立以来ビルマが試行錯誤を重ねながら模索した結論とも言えるものであった。その文頭に「我らの信念」として、次のように熱く語られている。
 「ビルマ連邦革命評議会は、この世に人間同士が搾取し、不当な利益をむさぼるような有害な経済制度が存在している限り、全ての人間を社会的不幸から永久に解放させることができないと信じる。我がビルマ連邦に於いては、人間同士の搾取をなくし、公正な社会主義経済制度を確立することができた時にこそ、初めて、民族・宗教の別なく、全ての人民が衣・食・住の心配、及び衣食足らざれば、礼節を知らずが如きあらゆる社会的不幸から解放されて、心身ともに健全で、新しい豊かな新世界に到達し得ると信じる。・・・」
  この綱領を具体化するために、ビルマ社会主義計画党が結成された。幹部は革命評議会員と高級軍人が占め、単一政党の基礎がおかれた。
  72年に民生移管が決定するまでの10年間は、「ビルマ社会主義」への推進期間であった。一貫して国有化が推進された。外国資本の排除と私企業の国有化である。
  62年10月、非ビルマ人に対する輸入許可証の発行停止が行なわれ、翌63年2月、金輸出入業務・流通機構・米の購入の国有化などを含み新経済政策が発表された。これをもとに、全銀行の国有化、非ビルマ人に対する銀行融資の停止、外国人医師の開業禁止が施行された。そして、あらゆる分野の国有化が推進されていった。しかし、この急激な経済のビルマ化の結果、経済に未熟な軍人がビルマ経済のこれまでの主要な担い手であった非ビルマ人にとって代ったため、事務処理能率が極端に低下し、生産・輸入の減少、消費物資の不足となり、闇市場の拡大となった。
  経済のビルマ化の国有化政策が一応達成された1972年以後、革命政府は政権への人民への移譲、すなわち民生移管の準備に取り掛かった。
  ネーウィン体制は少数民族、学生勢力などの抵抗に遭遇するも、着々とそれらをきり崩し、安定した勢力を保持するまでになった。そして、81年8月8日、社会主義計画党大会の最終日にネーウィンは大統領辞任を明らかにし、11月にサンユイにその地位を委譲した。
  サヤー・サンの農民一揆からアウンサンへと連なる独立運動は、ビルマ人と非ビルマ人との融和・協力により国家の統一・民族の団結、反植民地、資本主義、自由な民主主義、経済的自立、伝統をふまえた世俗政府の建設、アジア諸国の連帯であった。このビルマ独立運動が追求し、アウンサンが実現しようとした、政治の基本理念の具体化の過程が独立以降のビルマの歴史であったといえる。アウンサンの後をついたウー・ヌ政府の独立ビルマの国家構想は、結果的にはアウンサンの基本理念からそれたといわざるを得ない。アウンサンの伝統重視を世俗国家におけるそれと解さず、仏教を国教にしようとしたのは間違いであった。又アウンサンの反資本主義。経済自立の理念も、インド人、華商の経済的実権の排除に成功しなかったために、植民地時代の経済機構が殆ど存続し、その実現にはほど遠い状態であった。自由な民主主義は無責任な言論の横行となり、政治的分裂となった。
  ネーウィン革命政府は、ウー・ヌ政府によってゆがめられたビルマ独立運動の基本理念を、その本来の軌道に引き戻そうとしたといえる。その功績として、ともかく国家統一、内戦対策における外国勢力の軍事干渉抑圧、第二のベトナム化阻止、国有化推進による非ビルマ人の経済勢力の排除、農地改革の推進、経済のビルマ化達成、外国資本導入拒否による経済の自律更生・自立化への試み、仏教教団に対する規制、その政治干与の禁止、文盲一掃運動などをも含む民衆教育、5年生義務教育をめざす初等義務教育の充実、保険衛生施設の充実などが挙げられる。
  しかし、反面、ビルマ式社会主義実現のための急激な政策の施行は、経済政策の失敗、言論・思想の統制、反共政策による自由な民主主義的政治行動への弾圧をもたらした。その結果、消費物質・日常品の不足、米の集荷量の低下、国内における配給米の不足、対外的には米の輸出量の激減、国際収支の悪化、密輸出入の盛行、闇市経済の支配、停滞経済、言論の停滞、民衆の面従腹背、であった。
  以上のビルマの独立運動、独立以後のビルマの動きをみてきて、その後に来るアウンサンスーチー女史の民主化運動を、ただ良しとする考えに躊躇せざるを得ない理由がわかってきたと思う。民主化の裏にイギリス、アメリカの罠が潜んでいる。またビルマは国境線が中国と接していることはベトナム化の危険性も十分あった。そこで、ネーウィン軍事体制により、アメリカにもソビエトにも中国にもイギリスにも頼らない中立外交をおこなったことは賢明であったといえるのではないか。ある意味の鎖国政策をとったことになる。江戸時代わが国は鎖国政策をとった。それは、ヨーロッパ列強により餌食にされることを日本の指導者は知っていたからである。この度のサイクロン被害に対して、他国からの援助を頑なに拒んだ背景には、ビルマならではの国情があることを理解すべきであろう。しかし、世界が民主化、専制国家排斥という動きのなかで、ビルマが孤立しているのは間違いない。それも、ビルマ国民のためと軍部は言っているが、軍部だけのためのように感じるのは。もはやアウンサンやネーウィンのような純粋な民族主義から離れているのではないかと疑いを抱かせるものがある。さて、このような歴史をふまえてビルマと日本はどのように付き合っていけばよいのだろうか。日本には純粋にビルマのために動いた南機関の鈴木敬司のような人がいた。それに、戦争という限界の中でもビルマ人をこよなく愛した人間がいた。ビルマと言っても人種的に相当のばらつきがある。しかし、「ビルマの竪琴」ではないが、ビルマ人と日本人の心の底に相通じるものがある。スーチー女史と結びつくのもよい。日本人とビルマ人の良心を信じて、今後行動をしていきたいものである。ただし、ビルマ歴史の底に流れる真実の声を我々日本人には到底理解できないという前提にたって。
つづく


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