訪日(第165回You Tube(民主主義)、ビルマ(ミャンマー))(#29)
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You Tubeを立ち上げた
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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
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木庵の般若心経(3回目)
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第165回You Tube(民主主義)
ttps://youtu.be/zAHcKQPKM1E


『アメリカのデモクラシー(アメリカの民主政治)』に対しての伊藤貫氏の解説
■三つめは、民主主義社会自由主義社会では国民の多くが自分のことにしか関心を持てない利己的な拝金主義者になる。

 なぜなら、18世紀までのヨーロッパ社会では良くも悪くも価値判断のバックボーンとなっていたのはキリスト教的な人生観であり、キリスト教的な世界観だった。啓蒙思想というのは、繰り返しになるが、宗教などと言うのは迷信に過ぎないということで、我々は理性的な高等生物なので宗教などと言う迷信を信じる必要はないということから、キリスト教的な人生観や世界観を捨てたわけです。

 ことによって、どうなったかということ、キリスト教的世界観を持っていると言うことは神の存在を信じていて、人間は神から生まれたものであり、死んだら神の元に戻っていくことを信じていたが、啓蒙主義の下で生きている人間は、神はいないし、死んだ後に神の元に戻ることはなく、生きている間に金を稼いで欲望を満たしていい生活をするのが一番賢い考え方と考えるようになる。

 とどうなるかといえば、「今だけ金だけ自分だけ」の拝金主義者になるということに他ならない。トクヴィルに言わせれば、『民主主義と平等主義の社会では人々は、過大な自己評価とプライドを持つ、嫉妬深い存在となる。』と。

 私は、日本の場合には、僕はあまり過大な自己評価とプライドをもつ嫉妬深い存在になっているようには思わないが、アメリカはそうです。アメリカ人は皆さんものすごいセルフ・エスティーム(self esteem)自己評価・自尊心とプライドが強く、セルフ・エスティームとセルフ・リアライゼーション(自己実現)それからセルフ・フルフィルメント(自己充足)がアメリカ人の宗教のようになってるわけで、何でもとにかくセルフ、セルフ、セルフと高いセルフ・エスティームをもって、self realizationとself fullfilment self assertiveness(自己主張)をするために生きていくんだ!と。みんなが、これも主張するしあれほしいし、という生き方をするわけです。

 アメリカ人というのは特にNYとかWshingtonに住んでいる人は自由なように見えて、皆さんすごく嫉妬深いですから齷齪(あくせく)してて非常になんか生きづらそうに僕には見えます。『自分の判断だけに頼る自己充足主義者は他者との関係や自分にとって得となるか、損となるかの基準によってのみ決められるようになる。』


木庵の反応
<木庵はアメリカ西海岸に住んでいるので、NYとかWshingtonに住んでいる人が嫉妬深いかどうかはよく分からない。ただ、アメリカ人のセルフ・リアライゼーション(自己実現)とは、自己達成と同じ意味である。禅でいう自己実現は、無我になることである。アメリカ人の自己実現と禅の無我とは全く違った生き方である。このあたりに、アメリカの欠陥があるようである。木庵>

 トクヴィルは、『このようなアメリカ社会では道徳や隣人愛という言葉の意味まで変わってしまった。』と指摘している。要するにアメリカ人が道徳とか隣人愛と言うときに、トクヴィルは、La doctrine de intérêt de bien entendu、英語で言うと doctrine of self interest という皮肉を言っている。つまり、多くの人に承知されている(Widely Understood)という意味。

 なぜ皮肉の意味で言っているかというと、トクヴィルの観察に寄れば、『アメリカ人の道徳というのは自己利益を増大させるために、利他主義を主張するのがアメリカ人の道徳である』、と。つまり、人のため、社会のため、理想のため、人道主義のためという理想主義、利他主義を大声で主張し、自分が自分の利益を増大する、人からよく見られるようにして自己利益を増強していくのがアメリカ人のSelf interestのドクトリンであると指摘している。


木庵の反応
<アメリカ人が一番大事にするのは金である。金を持っている人は道徳的に正しく、金のない人は道徳的によくない。これはある意味で正しい。金持ちいは余裕があるので、慈善や友人との交友を楽しむことができる。ところが貧しい人は、生きるのが精一杯で、隙があれば他者の物を盗もうとする。ところが金だけを拠り所にすると、歪んだ人生を歩むことになる。金が全てでないというのは、アメリカ人も知っている。しかし、金が人間を幸せにすると思ってしまうのである。金は麻薬のようなものである。木庵>

 このように利他主義を説いて自己利益を増強していくのが道徳であるとアメリカ人は考えており、しかも、アメリカの牧師たちもキリスト教道徳を身につければこの世で得をするという風にお説教するという。キリスト教道徳というのは神の目から見て自分の行動が正しいかどうか判断する筈の道徳だが、アメリカの牧師たちはキリスト教道徳を実行しているように人から思われればあなたは評判がよくなって現世で得をする、と説き、キリスト教の本来の理論というのはこの世でたとえ報われなくてもじっと我慢して、徳のある生き方をしていけば次の世(来世)で神はそのことを認めてくださり天国に行けると言うことになっているのだが、アメリカ人のキリスト教は人から「Good Christian」と思われるようになれば評判が上がって、得をするからキリスト教の道徳を実行しているふりをした方がいいと言うこと。アメリカ人の誇示したがる宗教心もしくは宗教的な情熱の底には、自己利益増大のための冷たい計算が潜んでいる、とこのようにトクヴィルは言っています。


木庵の反応
<これは、木庵の完全な偏見であるが、アメリカのキリスト教の牧師の中で、「90%は、神を信じていない」。これは確かカーター先生も言われたと思うのだが。より勘ぐって言えば、一度は神を信じ、聖書研究に没頭した時代もあったが、職業としての牧師になってから、教会経営とか、信者同士いざこざに巻き込まれて、嫌になってしまうようになことがあるのではないか。それに、信仰としての神を信じることも、薄らいでいくのではないか。木庵>

 『このような平等主義、自由主義、民主主義社会において国民の道徳規範と価値判断能力は劣化していくから、低い価値判断しか持てなくなった人たちは自分の目先の損得だけに執着する拝金主義者になるということで、このような拝金主義者になるのは、ある意味で当然のことである。』

 『アメリカではすでに裕福な環境にある人たちでさえ、もっともっとお金をほしがる。ヨーロッパの上層階層では、一旦裕福になるとそれからあとは金儲けを軽蔑する態度をとるが、アメリカの金持ち階級はいつまでたっても金儲けに執着する。だから、民主主義社会に住む人の大部分は、まるで商売人のように打算的である。彼らは、高邁な理想を冷笑し、目先の利益をつかむことに意欲を集中する。人々はちっぽけな利益や優位性を求めて相互に競争し、小規模な財産や地位を獲得した人は自分の成功を他人に見せびらかすことによって人生の満足感を達成する。伝統的な社会に存在していた徳の高い人を尊敬するという心構えは民主主義社会から消滅していく。』と、彼はこのように言っている。


木庵の反応
<平家物語に「盛者必衰」というのがある。 どんなに成功しいた人も家も必ず衰える。いくら富を得ても、いつまでもその富を持続できないのである。ヨーロッパでは特に伝統を大事にするので、ヨーロッパ人は「盛者必衰」の歴史を良く知っている。それに対して、アメリカは歴史が浅いので、盛者が盛者であり続けているのである。盛者が本当にどん底を味わうような時がくれば、アメリカ社会も変わるだろう。木庵>

 

■次は、啓蒙主義プロジェクト、要するに民主主義、自由主義、平等主義を実行すると長期的には国民は真の自由を失ってしまう。

 これは、一体本当の自由とはなにかということの定義に寄りますから、例えば、好きなだけ酒飲んで、好きなだけ女と遊んで好きなだけ贅沢したいと、そういう人たちはもちろん、自分の自由を達成したもしくは充足しているつもりなんでしょうけど、トクヴィルに言わせれば、『そういう自由というのは、なんというか次元の低い自由というか浅い自由(シャローマインデッドなfreedom)でしかない。人間にはもっと大切な真剣な自由があるはずだろうが。』、というふうにトクヴィルさんはおっしゃるわけです。


トクヴィルは、その著書「アメリカのデモクラシー」の中で、人間にはもっと大切な、そして真剣な自由があるはずと言う。


木庵の反応
<多くの日本人はアメリカは自由の国であると思っている。それは正しい。自由に仕事を選べるし、自由に住みたいところに住める。しかも、自由にホームレスにもなれる。しかし、本当の意味の、心の自由を得るとなると、ほとんどのアメリカ人も日本人も分かっていない。本当の自由とは、生まれた時のままの状態を維持することである。人間は社会生活を送るようになってから、己が縛られる。しかし、その縛る外なるものから離れた時に、本当の自由を得ることが出来る。得るというより、本来人間は自由で生まれたのだ。木庵>

 啓蒙主義思想を実践すると、自由を求めたはずの人間が本当の自由を失ってしまうということについて5つに分けて説明している。これは哲学的な批判であり、必ずしも一般の方には説得力を持たない議論に聞こえるかもしれない。

 自由・平等・民主という啓蒙思想を実行すると国民は逆に自由を失っていくことになるということを、トクヴィルは次の五つの点から説明している。


木庵の反応
<まず自由と平等は両立しない。自由であると、不平等が生じる。能力のある人間と能力のない人間が同じになるはずがない。平等を追求すると、共産主義になる。共産主義とは、ソ連や中国のように、自由が束縛される社会である。
日本の多くの人は、アメリカは自由と平等の国だと思っている。自由な国だけど不平等な国である。木庵>



ビルマ(ミャンマー)

  イギリスはイラワディ=デルタの水田開発に力を注ぎはじめた。ビルマの農業が米中心とする植民地型の単作農業に作り上げられた。水田耕作の8割は下ビルマのデルタ地帯にあった。このような水田開発の裏には、アメリカの南北戦争(1861-65)の影響がある。カロライナ州からヨーロッパの米の輸出が途絶えたため、ビルマの米作が奨励されたのである。また。1869年のスエズ運河の開通は、その開発を一層刺激した。
  この水田開発の初期の段階において、下ビルマの人口増は、上ビルマのビルマ王国からの、下ビルマへの農民の流出による。かれらが、水田開発の労働力として利用された。当時ビルマ王国の治安の乱れ、旱魃、などがこの流入に拍車をかけた。ミンドゥン王の治世(1852-78)当時40万戸以上の世帯があったが、ティーボー王の治世(1852-78)にはわずか20万戸に減少している。
  下ビルマの開発には上ビルマからの流入だけでは労働力が不足していた。イギリス領下ビルマ政府は、インド人労働者の移入方針をたてた。1918年から38年にいたる21年間の間に平均3万7000人あまりがビルマに定住している。彼らのビルマでの賃金は、ビルマ人よりもはるかに低くても、安定した労働市場が確保された。ビルマ人地主は言っている。「インド人移民はビルマ人より高い小作料を払う』と、インド人小作人を歓迎していた。中国人の移住者も31年には19万を数えるようになり、精米・小売商などに従事していた。ヨーロッパ人が行政と経済の中枢を占めてビルマ社会の上層を構成していた。インド人は商人・金貸業者・地主・下級官吏・ヨーロッパ系商社の使用人として中間層を形成したほか、農業労働者・一般労働者として社会の下層にも食い込んだ。中国人はインド人よりもはるかに劣勢であったが、主として商人として中間層の一部を形成した。かくてビルマ人の大多数は、農民または農業労働者として社会の下層を形成したが、その地位さえインド人の進出によって圧迫されていった。ビルマの農民は貧窮のどん底へと落ちていった。だから、民族資本の成長する余地はまったく失われた。この民族資本の未成熟は、ビルマの民族主義運動の性格とその過激化に大きな影響を与えたといえる。

5)イギリスの植民地となり、奴隷状態になり、ミヨを中心とする伝統的農村社会が解体されたビルマ民衆のよりどころとなったのは、保護者たる国王を失って王朝時代ほどの権威はなかったとしても、黄衣の僧侶とバコダで象徴される仏教であった。ミヨとは王朝時代における地方行政組織の基本で、19世紀初めには4600ほど存していたと推定される。ミヨにはミヨ=ツーチ“-がおかれ、世襲化され、王朝の地方政治の末端に位し、王権を代表し、行政・司法の機能をにぎり、農民を支配するものであったが、同時に農民の利益を中央政府に対して主張した。ミヨとはミヨ=ツーチ“-を中心とする人格的結合組織である。
  仏教と伝統文化の衰退を憂え、その復興を目的とする結社が、早くも19世紀の終わりごろにあらわれた。しかし、1906年設立の青年仏教徒連盟は、第一次世界大戦中、1916年に開催された第4回年次大会で、「イギリスの勝利を祈り、イギリス政府に対し、ヨーロッパ戦線へ100人のビルマ兵士を派遣する機会を寛大にも与えられたことに、深い感謝の念を表明する」という決議を、万雷の拍手をもって採択している。このような限界にある仏教徒の組織ではあるが、1905年の日露戦争の日本の勝利、中国革命(辛亥革命)、インド国民会議の活動に影響される政治僧も現れるようになった。青年仏教徒連盟の基本的性格は穏健で、植民地政府に対しては協調的であったが、第5回大会では、民族主義的感情が支配し、ビルマ婦人の外国人との結婚反対、ヨーロッパ人専用の客車の廃止、ヨーロッパ人の土足でパゴダ参詣禁止などの決議が採択された。
  1920年代で注目すべき反植民地運動として、ラングーン大学ストライキが挙げられる。ラングーン大学の大学法はイギリスのケンブリッジやオックスフォードを模してつくられた全寮制の選ばれた少数の学生を収容することとなっていた。本来の目的は、植民地行政に忠実な現地人官吏の養成であった。しかし、門戸は狭く、カリキュラムは「奴隷的」であった。学生は1920年12月4日、大学法に反対し、全寮制廃止、学生収容数の増加、カリキュラム改正などを要求し、ストライキに入った。このストライキは単なるストライキの勝利で終わらなかった。植民地教育に反対する民族教育樹立への動きを導きだした。民族教育審議会が誕生し、民族カレッジが設立され、各地に民族学校が生まれた。この学生ストライキで結集されたビルマ人のエネルギーは、まさに、独立へといたる革命的民族主義の芽生えとなり、又底流となり、やがては地上に噴出し、激流となって行った。
   次に民族独立運動の軌跡として、サヤー=サンの反乱を挙げる。第一次世界大戦あとのビルマでは、政治性のない純経済的な要求を掲げたストライキが頻繁に起きた。例えば、1918年には、ラングーンのインド人港湾労働者の賃上げ要求のストライキや、翌19年にはビルマの油田で賃上げと有給休暇を要求したストライクが行なわれた。農民のあいだでも小作料の減免、籾の価格引き上げを要求する運動が起きた。20年代の終わりには、世界経済恐慌の波及をうけ、さらに労働者のストライキが続発した。28年には華僑の間に共産党が結成されたが、32年に共産党員は国外追放を受けた。29年3月には、ガンジーがラングーンを訪れ、自由獲得の為の非暴力不服従運動を説き、ビルマ人に深い感銘と勇気を与えた。そのような時代の流れの中で、1930年12月22日の夜、サヤー=サンが指導する農民反乱が起きた。彼は農民の窮状に同情し、秘密結社を組織した。ガロウンの入墨をすると不死身にあり、あたった弾丸は華やかな粉となると信じる武装集団であった。ガロウンは、インド神話のビシュヌ神の乗り物で、ナーガ(龍)を食にする怪鳥である。ガロウンは、植民地権力イギリスの象徴ナーガを取って食べる勝利のシンボルなのである。しかし、31年6月をピークとして、反乱軍の勢いは次第に衰え、サヤー=サンは賞金をかけられ、8月シャン州で捕らえられた。翌32年4月には反乱はまったく鎮圧された。反乱軍の戦死傷者は約3000人で、逮捕者8300人であった、逮捕者のうち約350人が有罪を宣告され、78人が処刑された。270人がアンダマン島へ流刑に処せられた。サヤー=サンは絞首刑上で「余を処刑せよ。しかし余の精神は滅びない。死後もあくまで邪悪なイギリス人に抵抗する」といって処刑された。彼のイギリス植民地主義に対する抵抗精神と、蜂起に際して試みた民族団結の行動は、その後のビルマ民族主義にうけつがれた。この反乱が示した民族統一・反植民地主義・伝統主義という民族主義の流れは、今日まで続いている。
  まず、サヤー=サンの反乱によって触発されたのが、若き青年たちの集まり、タキン党であった。タキン党の創立者タキン=バタウン、タキン=レーマウンらは、ビルマで教育を受けた土着的性格を持つ青年であった。タキン党の指導する民族主義運動は強烈なビルマ人意識に支えられた土着的性格を持っていたが、その土着性は世俗的な性格での仏教とはいちおう完全に手を切っていた。タキン=アウンサンは、「ビルマに今まで出現した唯一の非人種的・非宗教的・非人格的」と表現した。この変質は、彼らが近代的な政治理論に接し、彼らが彼らなりに学んだことによる。ヨーロッパ社会主義の書物は、主としてイギリスへの留学生を通じて、新聞記者ウー=トゥンペーなどの積極的な入手活動によって入っていた。マルクス・レーニンから、ナチズム・ファシズムに至るまでの様々な思想が入ってきていたのである。
つづく


写真:サヤー=サン
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