訪日(ビルマ(ミャンマー))(#25)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵の般若心経(3回目)
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ビルマ(ミャンマー)
<書庫に眠っていては勿体ない。16年前に書いた記事を紹介する。ビルマ(ミャンマー)についてである。なぜこの記事を書いたかというと、木庵の友人が「ビルマについてよく分からないので教えてくれ」と言ったものだから、調べた。それに彼の主催でビルマについての講演会をしたように思うのだが、それはインドだったかもしれない。今となれば昔のことである。木庵も再読して、当時の自分の考えを振り返りたいと思う。そして、読んでから、新し感想がありば、新木庵の反応として書いていこうと思う。新木庵>

ビルマ(ミャンマー)
ビルマについてこれから書いていく。まず、ウィキペディアの記事を載せ、その後各トピックスごとに私の見解を書くことにする。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミャンマー連邦
 ミャンマーは、東南アジアの国。1990年までの名称はビルマ。首都はネピドー(旧首都はヤンゴン)。東南アジアのインドシナ半島に位置し、国境を中華人民共和国、ラオス、タイ、バングラデシュ、インドと接する。

国名
1989年以降の公式の英語表記は、Union of Myanmar(ユニオン・オブ・ミャンマー)。通称は Myanmar。
1989年以降の日本語表記は、ミャンマー連邦。通称は、ミャンマー。
1948年から1974年まではビルマ連邦、1974年から1988年まではビルマ連邦社会主義共和国、公式の英語表記は、(Socialist Republic of the Union of Burma )1988年から1989年まではビルマ連邦。通称は、独立以前から一貫して、ビルマ。漢字で緬甸と表記され(読みは「ビルマ」)、緬と略された(読みは「メン」。泰緬鉄道など)。日本軍統治(太平洋戦争)の間通称にされる。 緬甸は、中国語からのそのまま輸入されたもの。ビルマは、江戸時代末期に蘭学者によってオランダ語(ポルトガル語由来説もある)からもたらされた。
1989年6月18日に軍事政権は、国名の英語表記を、Union of Burma(ユニオン・オブ・バーマ)からUnion of Myanmarに改称した。軍事政権が代表権を持つため国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた。また日本政府は軍政をいち早く承認し、日本語の呼称を「ミャンマー」と改めた。日本のマスコミは多くが外務省の決定に従ったが、軍事政権を認めない立場から括弧付きで「ビルマ」を使い続けるマスコミもある。アウンサンスーチーやNCGUBなど軍事政権の正当性を否定する側は、改名が軍事政権による一方的なものだとし、英語国名の変更を認めていない。タイの英字紙、英BBC、「ワシントン・ポスト」などの有力英語メディアの一部、および主要な人権団体は「Burma」の呼称を続けている。アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア政府などは「Burma」としEUは「Burma」と「Myanmar」を併記している。
ビルマ語では、「ミャンマー」も英語のBurma(バーマ)の由来となった「バマー」も同じ意味の言葉であり、前者が文語的、後者が口語的に使用されることが多いという違いがあるだけで、国民は特に意識することなく併用している。いわば「にっぽん」と「にほん」の違いのようなものである。正式名称としては、独立以来ずっと文語的な「ミャンマー」の方を使用してきており、1989年の英語表記変更によって内外の呼称が統一化されたことになる。


歴史
ビルマ王朝
ミャンマー南部の地は古くからモン族が住み都市国家を形成して海上交易も行っていた。北部では7世紀にピュー人が驃国を建国したが、9世紀に南詔に滅ぼされ、南詔支配下にあったチベット・ビルマ語系のビルマ人がミャンマーに侵入してパガン王朝を樹立した。パガン王朝は13世紀にモンゴルの侵攻を受けて滅び、ミャンマー東北部に住むタイ系のシャン族が強盛になったが、やがてビルマ人によるタウングー王朝が建国され、一時はアユタヤ王朝やラーンナータイ王朝、雲南辺境のタイ族小邦を支配した。17世紀にタウングー王朝は衰亡し、南部のモン族が強盛となるが、18世紀中葉アラウンパヤー王が出てビルマを再統一した。これがコンバウン王朝である。

イギリス統治時代
コンバウン朝ビルマは、イギリス領インドに対する武力侵略を発端とする英緬戦争で敗れて、1885年に滅亡する。 1824年から1826年にかけて戦われた第一次英緬戦争ではビルマがインドを支配するイギリスに対してベンガル地方の割譲を要求、イギリス側が拒否すると武力に訴えたが敗れた。イギリスの挑発で引き起こされた1852年の第二次英緬戦争では、ビルマは国土の半分を失い、1858年~1861年新首都マンダレーを建設して遷都するが、1885年の第三次英緬戦争で王朝は滅亡し、1886年に、イギリス領であったイギリス領インドに併合されてその1州となる。ティーボー・ミン国王 (Thibaw Min) と王の家族はインドのゴアに近いラトナギリに配流され、その地で死亡した。
ビルマ人の対英独立運動は第一次世界大戦中にはじまり、世界大恐慌以後若い知識層の間に広まった。1930年にはタヤワディ地方で、農民が武装蜂起を行い、下ミャンマー全域に広がったが1931年半ばに鎮圧された。
1937年、インドから独立してイギリス連邦内の自治領になる。1942年、アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い日本軍と共に戦いイギリス軍を駆逐(ビルマ戦役の始まり)し、1943年日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国が建国された。その後、インパール作戦で失敗を繰り返すなど日本の敗色濃厚とみるや、アウンサンが指揮するビルマ国民軍は1945年3月、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こしイギリス側に寝返った。連合軍がビルマを奪回すると、ビルマ国政府は日本に亡命した。日本軍に勝利したものの、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となった。現ミャンマー連邦政府はその建国をビルマ連邦が成立した1948年としており、ビルマ国との連続性を認めていない。ミャンマー国軍は1942年のビルマ独立義勇軍建軍をもって国軍建軍としている。


新木庵の反応
<アウンサンの娘はアウンサンスーチーである。ここでも、ウィキペディアの記事
を転載する。
新木庵>



ウィキペディアの記事(アウンサンスーチー)

アウンサンスーチー(ビルマ語: အောင်ဆန်းစုကြည်(画像による標示:)、ラテン文字表記: Aung San Suu Kyi、ALA-LC翻字法: ʼOṅʻ Chanʻ" Cu Kraññʻ、IPA: /àʊN sʰáN sṵ tɕì/。1945年6月19日 - )は、ミャンマーにおける非暴力民主化運動の元指導者、元映画監督。元国家顧問。現在はミャンマー国軍のクーデターによって発足した現政府に犯罪者として扱われている。国軍統制下の裁判で19件の罪で有罪判決が決定し、刑期は合計禁錮33年として法の下に刑を下された

2016年3月30日にティンチョーを大統領とする新政権が発足したことにともない、外相、大統領府相を兼任(当初は教育相と電力エネルギー相も兼任していた)、さらに新設の国家顧問にも就任した。同国における国家元首は大統領だが、大統領を超越する存在としてアウンサンスーチーが事実上の最高指導者であった。2021年ミャンマークーデターを受けて、現在は刑務所に収監中。

ビルマの独立運動を主導し、その達成を目前にして暗殺された「ビルマ建国の父」ことアウンサン将軍の娘である。敬虔なテーラワーダ仏教徒とされる。使用言語はビルマ語、英語、フランス語、日本語。2013年、訪仏時はフランス語で講演し、訪日時は英語で記者会見した。

日本や、英語メディア、仏語メディア、独語メディアなどの報道では「アウンサン・スーチー」「スー・チー」などと表記されることもあるが、ミャンマー人(現在のビルマ語族の大半)は姓(名字)はなく、ミャンマー国内では通常「アウンサンスーチー」の一語で表記する。


写真:アウンサンスーチー
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