訪日(第162回You Tube(神話) 、第163回You Tube(思考停止)、ブログを始めた頃の記事)(#17)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
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木庵の般若心経(3回目)
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第162回You Tube(神話)
国譲りの話

『古事記』に書かれている「国譲り」の神話から、現在の我々日本のあり方を考えさせてくれるものがありそうである。また、現在世界は戦争の連続で、混沌としている。その中にあって、日本の国譲りの神話の中に、解決策を見出せそうでもある。

高天原の神々のことを「天つ神」という。それに対して、日本国中の土着の神々のことを、「国つ神」という。

「国つ神」は大国主命(オオクニヌシノミコト)によって平定された。そして
大国主命の造った国が繁栄すると、高天原の天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、天菩比神(アメノホヒノカミ)を地上の大国主命のところに派遣した。ところが、3年経っても何の報告もなかった。そこで次は天若日子(アメノワカヒコ)を派遣した。ところが、大国主命の娘と結婚してしまい、8年間も報告しなかった。
そこで、第3の使者として建御雷神(タケミカヅチノカミ)が遣わされた。
出雲の稲佐の浜に降り立ち、大国主命を呼び出し、国譲りをするように迫った。
そうすると、大国主命は「私の一存ではお答えできません。息子の事代主神(コトシロヌシ)がお答えいたしましょう。ですが、あいにく美保の岬に鳥や魚を取りに遊びに行っております」と答えた。
事代主神は「この国は天つ神の御子に差し上げましょう」と、いとも簡単に国譲りを承諾してしまった。
ところが、もう一人の息子、建御名方神(タケミナカタノカミ)は「この国が欲しいのなら力比べだ」と言って、建御雷神の腕をぐいとつかんだ。そうすると、建御雷神の腕が氷の柱や鋭い剣に変わった。建御名方神 が驚きひるんでいると、今度は建御雷神が建御名方神 の腕をつかみ、葦の若茎のように軽くひねって投げ飛ばした。 建御名方神 は恐ろしくなり、逃げ出した。そして、とうとう信濃の国(現在の長野県)の諏訪湖辺りまで逃げた。そこで、建御雷神は建御名方神を組み伏せてしまった。
建御名方神 は「私は諏訪の地から外には出ません。葦原中国は全部お譲りしますから助けてください」と命乞いをした。
この、建御名方神(タケミナカタノカミ)と建御雷神(タケミカヅチノカミ)の力比べが、相撲の起源になったと言われている。現在でも相撲界では、諏訪大社に信仰が篤い。
そして、大国主命(オオクニヌシノミコト)は、高天原に届くほどの屋根が高い神殿を築くことを条件に国を譲ることに同意した。それが現在の出雲大社である。
平安時代、子供のもの覚えのためにつくられた「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という言葉があった。日本で背の高い建造物を3人兄弟にたとえて、①出雲大社(出雲太郎)、②奈良の大仏殿(大和次郎)、③京都の御所の大極殿(京三郎)の順だというのである。
今の出雲大社は高さが24メートルであるが、最近、宮柱の根元が発見された。木庵はその根元を見ている。根本の直径は1メートルを越していたと思う。これだけの根本なら、奈良の大仏よりも高い、48メートルの空中神殿を建てることができただろう。大国主命が国を譲ってくれた代償として、日本一高い出雲神社を「天つ神」側が承諾したということは、興味のあることである。勝者が敗者をすべて撲滅するのではなく、敗者の自尊心を傷つけないための配慮が成されたのである。また、日本が国家統一を成し遂げる上で、「国譲り」が重大なことであったことが、理解できる。

前述したように、信濃国諏訪の湖に追い詰められた建御名方神は、信濃の国を出ない事を条件に国譲りした。
しかし、建御名方神は敗残者の神であるが「軍神」「武神」として、名だたる武将に崇敬され、諏訪社は全国に一万社以上もの多くが勧請されている。
諏訪信仰の広がりを考えると、古代においての宗教的な一大中心地が諏訪に成立していたのではないかという推論がなりたつ。
ヤマト朝廷は東征しながら出雲・吉備・紀伊などを征服・服属させてきた。
そして最後に残ったのが「諏訪」であったのではないか。ヤマト朝廷にとって、諏訪との全面戦争は得策ではなかった。軍神として名高い建御名方神(タケミナカタノカミ)を信奉している信濃国一帯に君臨していた守矢氏族は、武力で征討するには負担が大きすぎたのだろう。
そこで画策されたのが、宗教的封印(封じ込め)で、中心地である諏訪の安泰を保証する代わりに、武力放棄の契約をさせた。
その証しが、春宮・秋宮の建設であり、国司が派遣されてくるが、諏訪大社はその国司の命令を聞かず自治を行っても良い事になっていた。
当時の朝廷にとって、「諏訪の王」が決して中央を脅かさず、永遠に山奥に逼塞すると誓わせ、政権の安定を図ったのが「古事記」ではないかという解釈が成り立つ。
出雲の国にしても、信濃の国にしても、何もなければ神話に盛り込む必要がない。別に、国譲りの話など入れなくても直接、天孫降臨の話を進めても物語的には、何の支障もない。わざわざ、この話を入れなければならなかったということは、出雲と信濃の「国つ神」たちの勢力が強かったというのではないか。


第163回You Tube(思考停止)
https://youtu.be/AjFfNawViGQ
 

<久しぶりにYou Tube 登録に成功した。「一人語り」である。読者の人で興味のある人はYou Tube に入ってもらいたい。「一人語り」の場合文字化するとき、実際に語ったことを今までのようにコピーするのではなく、その内容を深めるというか、付け足すこともあると思う。その作業を明日からする。木庵>

ブログを始めた頃の記事 
左翼の跋扈(#2)

2017年10月19日(木) 15時24分00秒
koreyjpさんのコメント
共産主義がこれほど猖獗(しょうけつ)を極めるのには、それ相当の理由があるに違ひないです。その理由とは、地球人を破滅に追ひ込む、悪い宇宙人の陰謀ではないでせうか。それは人類の自己破壊の本能を巧みに利用して、天皇といふ中心的なご存在を抹消すべく動いてゐます。だから、スターリンが日本で革命を起すには天皇が邪魔だから抹殺せよとの指令を出し、その指令を日本共産党は忠実に守ってゐるのです。また、日本を戦後一挙に共産主義に追ひ込んだのは、共産主義にかぶれたアメリカでした。アメリカも、日本がつぶれてくれたほうがいいと思ってゐるのかもしれません。共産主義に対抗できるのは、皇道だけです。神武天皇の八紘一宇こそ、共産主義を排した世界連邦的大理想なのです

上記のコメントを書いてから、暫くベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」をYOUTUBEで聴いてゐました。この曲も、「第9」と並んで、ベートーヴェンの作曲の双璧を為すもので、「第9」ほど人口に膾炙(かいしゃ)してはゐませんが、やはり相当に深いものが感じられます。そこには祈りがあります。共産党が跋扈する現代には、やはり祈りが欠如してゐる。そこには人間の顔をした悪魔が潜んでゐます。日本の政界も、この秋に人心が一新され、やがて新しい年を迎へますが、なんとかして悪魔を放逐して神を迎へ入れる年にしたいと思ってゐます。トランプさんも日本に来ることですし、日米の良識派が世界を安定と繁栄に導いて頂きたいと願ってゐます。
2017/10/20(金) 午前 3:02 [ koreyjp ] 


木庵の反応
<共産主義は「地球人を破滅に追ひ込む、悪い宇宙人の陰謀」。全くその通りである。人類の歴史の中で、共産主義が誕生してどれだけ多くの人が殺され、不幸になったことだろうか。共産主義に対抗するのはただ祈りしかない。その祈りも太陽のように明るく、だれもを幸せにしようとする祈りでなければならない。太陽の光から隠れて暗闇の中で暗躍しているのが共産主義である。口では大多数の人のためなどと言いながら、本当は大多数を奴隷にしようとする意図をもっているのが、サタン共産主義である。木庵>

治安維持法制定以降の共産主義運動の展開
1917年(大正6年)のロシア革命による共産主義思想の拡大を脅威と見てつくられたのが「治安維持法」である。

1930年代前半左翼運動がほとんど潰滅したため標的を失ったかにみえた治安維持法であったが、以降は1935年(昭和10年)の大本教への適用(大本事件)など新宗教(政府の用語では「類似宗教」。似非宗教という意味)や極右組織、果ては民主主義者や自由主義者の取締りにも用いられ、必ずしも「国体変革」とは結びつかない反政府的言論への弾圧・粛清の根拠としても機能した。

治安維持法の下、1925年(大正14年)から1945年(昭和20年)の間に70,000人以上が逮捕され、その10パーセントだけが起訴された。日本本土での検挙者は約7万人(『文化評論』1976年臨時増刊号)、当時の朝鮮半島では民族の独立運動の弾圧に用い、2万3千人以上が検挙された。

ところが、日本内地では純粋な治安維持法違反で死刑判決を受けた人物はいない。ゾルゲ事件で起訴されたリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実は死刑になったが、罪状は国防保安法違反と治安維持法違反の観念的競合とされ、治安維持法より犯情の重い国防保安法違反の罪により処断、その所定刑中死刑が選択された。そこには、死刑よりも「転向」させることで実際の運動から離脱させるほうが効果的に運動全体を弱体化できるという当局の判断があったともされている。ゾルゲ事件では他にも多くの者が逮捕されたにもかかわらず死刑判決を受けたのはゾルゲと尾崎だけだった。戦後ゾルゲ事件を調査したチャールズ・ウィロビーはそれまで持っていた日本に対する認識からするとゾルゲ事件の多くの被告人に対する量刑があまりにも軽かったことに驚いている(ウィッキペディア参照)。

治安維持法は紆余曲折を経て進展しているが、昭和16年(1941年)に至って、「国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的とするに落ち着いている。

治安維持法は大体において日本の国体を破壊する人もしくは団体に適用されたと考えてよい。共産主義は天皇制打倒が目的であり、日本の国体を破壊し、共産主義国家を設立するものであるので、当然日本では否定され弾圧されたのは当然である。

ところか、共産主義者にとって、第二次大戦の日本の敗北は絶好の日本進出の機会到来であった。それに、第二次大戦ではソ連とアメリカは同盟国であり、日本占領国の一員であったソビエトの意向が戦後の日本に影響を与えたのは事実である。ところが、戦後すぐにソ連、アメリカの冷戦構造が始まり、日本でのソ連とアメリカの意向が対立した。といっても、広島・長崎に原爆と投下したアメリカが日本占領政策の主役についた。

だから、戦後の日本政策はアメリカの力がほとんど働いたと考えてよい。

アメリカにとっての日本は、真珠湾攻撃をおこなった憎い国。特に硫黄島の戦いで、日本兵の死傷者よりアメリカの死傷者の方が多く出させた脅威の国であるという認識で日本に上陸した。天皇を処刑しないという裏取引き(?)により、日本上陸は衝突がなくスムーズに行われた。しかし、GHQの心の底には、日米戦で、命を捨ててまで戦ってきた恐ろしい日本人像があった。その元凶(アメリカにとって)は天皇であるが、天皇を処刑すれば、戦後の統治はほとんど不可能であると判断し、天皇の命は救った上での統治になった。

統治の目的は、日本民族の強靭な精神を打ち消すことであった。そのためには天皇は象徴に留めておいて、日本民族の団結心を打ち崩すことにあった。

そのための第一工作が戦争放棄を謳った平和憲法の設立であった。憲法9条の戦争放棄の条項によって、日本の去勢化を謀った。第二の工作が戦前の指導者の公民権剥奪である。それに教育やマスメディアを通しての自虐史観の植え付けであった。この戦争はすべて、日本の軍部、とくに陸軍に責任があるとした。海軍は世界をよく知っていて、本当は戦争に反対であった。昭和天皇も平和主義者で戦争に反対であったので戦犯の対象ではなかった。その自虐史観を植え付けるのに最高の効果があったのは東条英機を始めとする陸軍上層部6名と外交官一人の処刑であった。海軍は誰一人、極東裁判で処刑されていない。


写真:大国主命(オオクニヌシノミコト)
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