訪日(訪日記、西部 邁論)(#3)
↓↓↓   ↓↓↓
https://ameblo.jp/naitotakaousa/
←(クリックはここ)アメーバーブログ
↑↑↑    ↑↑↑

You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

・・・・

木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
・・・・

木庵の般若心経(3回目)
↓↓↓   ↓↓↓
https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
↑↑↑  ↑↑↑

・・・・


訪日記(仏教徒とキリスト教徒の共通点)
今回の旅行で、博多にある興徳寺で一泊した。興徳寺は名刹であることは知っていたが、検索で調べるとただの名刹ではない。歴史的な寺である。木庵にとって、この寺との因縁は、この寺の住職が木庵の雲水時代の先輩にあたるのである。一応名前は伏せておくが、傑和尚としておく。木庵にとって、頼もしく、彼のような剛毅な人間になりたいと憧れた人である。それに頭がよく、普通の雲水ではないと感じていた。この度、2度目の訪問であるが、その謎が解けた。
傑和尚は福岡の名門修猷館高校出身である。修猷館高校は東大、京大合格者数は毎年10名を超え、特に九州大学合格者は福岡一番の130人以上を擁するほどである。彼は地元の中学では1番で、修猷館に入学したが、高校で野球に熱中して、大学受験にそれほど興味がなかったようである。高校時代に寺を継ぐかどうかを考えたがどうかは知らないが、恐らくお父さんが僧侶であることから、いつかは継がなければいけないと考えていたのだろう。これも勝手な想像だが、僧侶になることにそれほど興味がなかったようである。現にこの度、彼が言ったことに、彼の本心がでていたようである。「当時も今も僧侶には興味がない。ただ修行時代に世話になった老師や、後輩との付き合いは大事にしている」と。「僧侶に興味がない」と言いながら、伝統ある寺を守っているのである。寺には多くの檀家があり、葬式、法事などをこなすだけでも大変なことである。木庵が、「寺にとって大事な人がいるのでしょう」と言ったのに対して、「檀家の人は、誰も大事です」と言い切ったところに、檀家の一人一人との関係を大事にしているのが分かる。恐らく若いときには、いやいや寺を継いだところがあるが、今では、地域社会を結ぶ、伝統を守る住職であることに誇りと、それに情熱を注いておられるように思う。地味ではあるが、この地味さのなかに、禅の奥儀を見出しておられるのであろう。この寺で在留した間、宗教論も禅についてもほとんど話し合うことはなかった。それがかえって禅的であるとさえ思った。禅に熟達した人間は、むしろ、普通の会話をするものである。逆に言うと、あまり分かってない人間が、禅だの、宗教だのと話すものである。
寺の一日を観察していると、奥さんの助けによって、成り立っているようなところがある。簡単に寺経営というが、毎日の行事を遂行する気概がなければできない。早朝にはお経をあげ、寺の掃除だけでも大変である。これは奥さんの言葉であるが、「寺にある楠が落とす葉っぱの掃除だけでも大変なのです」。

日本旅行の最後に、千葉県大多喜にある三育学院中等教育学校で寮母をされている吉永さん(仮名)の家に2泊させてもらった。彼女の御主人も三育学院関係の管理の仕事をされ、この4月に定年にともなって非常勤になられた。夫婦は学校の近くにある民家に住んでおられる。二人とはロス時代から知り合いで、時には二人が信じているセブンスデー・アドベンチスト教会を訪れることがあった。木庵はキリスト教の色々な教会を訪れることがよくあった。信仰からではなく、西洋哲学に大きく影響を与えたキリスト教とは何かを探るためである。その中で感じることは、セブンスデー・アドベンチストの信者さんは良い人が多い。吉永さん夫妻は、特に人格が優れ、本当のクリスチャンはこのような人だと思うくらいである。吉永さん夫妻の息子さんと接することが最初であった。彼を見たパー子ちゃんは、「このような素晴らしいお子さんのご両親を見てみたい」と言ったぐらいである。パー子ちゃんは吉永夫妻とは、結局会えなかったが、青年が木庵と接触するのがほとんどなくなってから、木庵はご両親とより密接に繋がるようになった。夫妻が日本に帰国して、セブンスデー・アドベンチスト教会関係の仕事をされるようになってから、ラインのやりとりをするようになった。最初は鹿児島におられたが、2年ほど前から千葉に移られた。吉永さんによると、「千葉といっても、本当に片田舎なんですよ」と。実際に行くとその通り。木庵の田舎より田舎で、田園地域というより、山の中にあるような所であった。吉永さんが寮母であるということもあって、きっと寮の片隅にあるところに泊めてもらうと思っていたが、全くの民家であった。この地域は過疎化が進み、空き家がいっぱいあるという。その空き家を教会が改修して夫婦が住んでいるのである。この地域には、セブンスデー・アドベンチスト経営の中高等部、大学もある。それぞれを訪れたが、山の中にある美しい建物で、大学の神学科の学生であったのか看護科の学生であったのか、信仰に生きている若者を見た思いである。木庵のような俗な人間からすると、彼等の姿が清楚で、好感が持てたのである。
勿論夫婦ともに敬虔なるクリスチャンで、食事の前は勿論のこと、ドライブの前に祈りをしておられた。その意味で2日間、木庵もクリスチャンになったような気持ちになった。
木庵が関心を抱いたのは彼等の信仰だけでなく、彼等の過疎地での地域の人との触れ合いであった。よくある宗教の押し付けはなく、むしろ、地域の宗教、仏教の習慣に沿う生活をしているのである。吉永さんは、隣保の組長を先日までしておられたそうだが、葬式があると、組長として、それを仕切ることをされたという。この地域では葬儀において、親族より、葬儀を仕切った組長の方が、上座に座る風習があるという。千葉というと房州、日蓮上人の誕生の地、恐らくに日蓮宗の信者が多いのだろうと勝手に想像した。それが正しいかどうかを調べていない。
ただ、上総国分尼寺跡を見学した。国分寺(国分僧寺・国分尼寺)というと、奈良時代に聖武天皇が東大寺を中心に日本国中に建てたというのは歴史で勉強した。その国分尼寺跡を千葉県で見学するとは、夢にも思わなかったし、それはとても有意気なことであった。しかも、上総国分尼寺は日本に60幾つあった中で一番規模が大きいというからさらに驚きである。なぜこの地で最大級の国分尼寺を建てたかについては興味があるが、ようするに、この地は奈良時代から栄えていたということなのだろう。上総国分尼寺跡を見学を推薦されたのは吉永さんであり、これからも、彼女は日本の歴史に興味をもっておられることが分かる。旅の最後に吉永さんは、木庵の宗教観を聞かれて、木庵はセブンスデー・アドベンチストの考えとは違うことを述べた。それを反駁されることなく受け入れられていた。それより、木庵がというより、吉田陽子さんが紹介されたシュタイナー教育に興味をもたれ、キリストの原罪思想は間違いであると木庵が述べたのに対して、セブンスデー・アドベンチストもそのような考えがあるようなことを述べられた。ところでシュタイナーは確か原罪思想を否定していると思う。子供は神の子として、罪などもって生まれていないというのが、シュタイナーの思想であったと思うのだが。

博多の僧侶と、セブンスデー・アドベンチストの信者の吉永さんを並列に書いたのは、二人に共通するものがあると感じたからである。信仰の内容は違うが、地域に沿った生き方をされているというのに、共通性を感じるのである。二人だけでなく、日本国中には、地域に根差した生き方をしている人が大勢いる。そのことが、日本の強みであり、日本を日本たらしめていると思ったのである。
青森から長崎までの日本列島縦断の旅行のなかで見たものは、どの地域にも神社や寺がある。それを維持している人々が多くいる。そのことが、日本を日本たらめてしいるのだと思ったのである。その行いは地味であるが、地味であればこそ貴いと思ったのである。

検索で得た記事
興徳寺
臨済宗大徳寺派の禅寺で、山号は海晏山。文応元年(1260)鎭西探題・北条時定が開創。宋より帰国した南浦紹明(大応国師)が、文永7年(1270)に招かれて開山した。その後、太宰府横岳崇福寺・京都万寿寺・鎌倉建長寺の住持となり高僧を輩出。その法脈を大応派と称した。寺蔵の絹本著色大応国師像は、師資相承の証しとして弟子に与えられたもので、国指定の重要文化財である。

三育学院
本学は、プロテスタント・キリスト教の精神、とりわけその潮流のもとにあるセブンスデー・アドベンチスト教団の理念と実践に基づく教育共同体である。 そのめざすところは、聖書に示されている本来的人間すなわち霊性(spiritus)、知性(mens)、身体(corpus)の統合体としての人間の全体的な回復である。

三育学院中等教育学校
三育学院中等教育学校は、キリスト教を柱とした全寮制による24時間の全人教育を行っています。生徒たちをより高い標準に導くために、教育だけの学びではなく、生活を共にすることを通して、将来不可欠となる実用的なコミュニケーション能力と異文化理解を深める機会を提供します。

・・・

西部邁の世界(佐伯啓思、アメリゴ・ベスプッチ)
西部邁ゼミナール

西部と京都大学名誉教授の佐伯啓思との対談である。佐伯啓思は西部の弟子であると思うのだが。そのあたりもウィキペディアで書いているはずである。
・・・・・

ウィキペディアの記事(佐伯啓思)
佐伯 啓思(さえき けいし、1949年(昭和24年)12月31日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。京都大学こころの未来研究センター特任教授。共生文明学、現代文明論、現代社会論といった国際文明学、文明論を研究している。第4期文部科学省中央教育審議会委員を務めた。

人物
1949年(昭和24年)、奈良県奈良市に生まれる。父は教育学者の佐伯正一。1972年(昭和47年)、東京大学経済学部を卒業。1979年(昭和54年)、東京大学大学院経済学研究科理論経済学専攻博士課程単位取得退学。西部邁と村上泰亮に師事した。専攻は社会経済学、社会思想史。
1979年(昭和54年)、広島修道大学商学部講師。1981年(昭和56年)、滋賀大学経済学部助教授、同教授を経て、1993年(平成5年)から京都大学総合人間学部教授。1997年(平成9年)、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。2015年(平成27年)、定年退職し、名誉教授になり、京都大学こころの未来研究センター特任教授に就任した。

表現者顧問、京の発言主幹を務める。また京都大学を定年退職直後に朝日新聞論評面で「異論のススメ」を担当開始した。2019年(令和元年)、自ら監修・編集・対談をおこなう総合文藝誌『ひらく』を刊行開始した。


主張
大きく分けて、米国批判と近代批判がある。
アメリカ批判
自由主義や民主主義を国家の理念に据えるアメリカこそが、思想史的に進歩主義、革新主義であり、冷戦が終結した今、最も左翼的で進歩的な国家はアメリカであるとして、アメリカおよび自民党を保守・右翼とみなし、反米および反自民党を革新・左翼とみなすという誤謬に陥っている戦後の日本社会を批判している。


近代批判
経済思想面では、ケインズの立場に立脚し、グローバリズムおよび、構造改革、小泉・竹中の新自由主義・小さな政府路線を批判している。
ニーチェの思想に基づき、近代の価値観である基本的人権や自由主義、民主主義は必然的にニヒリズムに陥るとしている。先述のアメリカ批判もこの延長上にあり、日本がアメリカ化し、ニヒリズムに陥っていることを問題視している。かつてはニヒリズムに対抗する術として、師の西部邁同様、保守主義を標榜していた。しかし、近年では、冷戦体制崩壊後の社会構造の変化によって、「保守と革新」、「右翼と左翼」という対立軸が不明瞭になったこともあり、これらの対立軸が既に時代遅れになった感があるとして、保守や革新に安易に拘泥することにも懐疑的な姿勢を向けている。

現在では、社会思想史や経済思想および時事問題から日本思想史・日本哲学に軸足を移している。東洋や日本の「無」の思想の意義を探り、小林秀雄や保田與重郎の思想、西田幾多郎の哲学、西谷啓治らによる「近代の超克」を手がかりにニヒリズムの克服を目指している。


学問に関して
本来「公共的な意志」で評価されるべき学問の場に、過度の成果主義、能力主義、市場競争が持ち込まれ、「何の社会的な役割も果たさないように見える、しかし長い目でみれば重要な意味をもつ研究」が切り捨てられることを懸念している。特に文系の学問には市場を基準とした評価はそぐわないと主張している。

現代に生きる人間は情報の洪水の中にいて大量の知識や情報があるがゆえに、それらを相互に関連付けたり解釈することができなくなっているのではないかと危惧している。そのため、現在の社会科学には学者自身の視座がなく、全体的な展望が失われてしまったと指摘している。なお、佐伯自身は文献をくまなく渉猟するよりも、古典を通して「現代」の本質を理解することの方が重要だとしている。


安倍晋三について
安倍は日本の伝統を守り、道徳教育を重視する点は、心情的には保守に見えるがアベノミクスを見る限り保守とはいえないとし、経済改革の進め方は急激であり地域格差や所得格差を広げ、社会の安定を崩している。第1次安倍内閣組閣時も、進歩を疑い歴史に学ぼうとするヨーロッパ流の保守と、進歩を信じ革新を目指す米国流の思想が混在しているという見方をしている。

集団的自衛権について
「集団的自衛権の行使について現行憲法は必ずしも明確に規定してはおらず、その解釈が常に論じられてきたとなれば、解釈変更自体は問題ではない。」とし、立憲主義の破壊といった主張には距離を置いている。

受賞歴
1985年(昭和60年) - 『隠された思考』でサントリー学芸賞を受賞。
1994年(平成6年) - 『「アメリカニズム」の終焉』でNIRA政策研究・東畑記念賞を受賞。
1997年(平成9年) - 『現代日本のリベラリズム』で読売論壇賞を受賞。
2007年(平成19年) - 第23回正論大賞を受賞。

・・・・

木庵の反応
佐伯氏のアメリカ批判は面白い。
「自由主義や民主主義を国家の理念に据えるアメリカこそが、思想史的に進歩主義、革新主義であり、冷戦が終結した今、最も左翼的で進歩的な国家はアメリカであるとして、アメリカおよび自民党を保守・右翼とみなし、反米および反自民党を革新・左翼とみなすという誤謬に陥っている戦後の日本社会を批判している」
木庵も以前から、アメリカは保守の国ではなく、革新の国であると思っていた。歴史も伝統も浅いので、何でもありの国である。良い意味の自由があり、悪く言うと、厚かましい者勝ちで、過去の知恵を学ぼうという姿勢が全くない。その意味で共産主義の伝統を否定する考えと共通する。だから、ルーズベルトはソビエトと結びつき、ニクソン以来、中国と仲良くしてきたのである。要するに、儲かればよい、アメリカの利益になることなら何でもありである。
佐伯が指摘しているように、「自民党はアメリカ寄りだから保守だ」なんて馬鹿げたことを信じている人が多い。安倍首相は文化面では保守の顔をしているが、中身はアメリカ寄り、ときには中国に近づいてもよいという思想的に混乱を生じている。木庵>

 

写真:興徳寺と上総国分尼寺跡
↓↓↓   ↓↓↓
https://ameblo.jp/naitotakaousa/
←(クリックはここ)アメーバーブログ
↑↑↑    ↑↑↑