面授(第125回You Tube(カーター先生が考える死)、西部 邁論)(#99)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第125回You Tube(カーター先生が考える死)
https://youtu.be/uBQukRlNbvM

夏目さんのコメント
「永遠の今」といふかんがへ方がありますね。これも禅の悟りの一種かもしれません。英語なら、Eternal Nowといふところでせうか。「今」といふものに意識を集中して見ると、面白いかもしれません。このへんのところについて、邦楽御専門のWさんのご意見など、興味がありますね。

木庵の反応
<Wさんが「永遠の今」についてどのようなことを言われたか、記憶にない。
「今」に対して「永遠の」と形容しているのは、夏目さんらしい。「今」は永遠とは繋がらない。今は刹那に存在し、完全に消える。それが木庵の考えである。そのような考えは存在論として素晴らしいという意味で「永遠の今」という表現をしてもよいのかもしれない。木庵>


木庵:・・・
人々を観察していると、エゴイストは早く死んでいます。なぜかというと、自分のことしか考えないので、人からあまり良いように思われていないのです。ですから、他者から何かプレッシャーがかかるのです。心理的なプレッシャーです。自然に生きていないのです。自然の理にかなった生き方をすると、人間は100歳でも120歳でも生きることができるのです。早死にする人は、自分から死んでいるのです。自分で苦しんで、死んでいくのです。こういう死生観を私はもっています。私の死生観はある意味で味気ないかもしれませんが、長生きするためには良いことだと思います。
縄文人の死生観について触れたいと思います。先ほど、リーインカーネーションの話がありました。仏教におけるリーインカーネーションのスパンは非常に長いのです。ところが、縄文のリーインカーネーションは非常に短いのです。誰かが亡くなりました。その次に生まれてきた子を、「これは○○さんの生まれ変わりだ。お爺さんの生まれ変わりだ」というのです。私は縄文のリーインカーネーションで良いと思います。これは一つの安心です。アイヌの人たちは縄文文化を受け継いでいるという考えがあります。アイヌの人達の間で、「イオマンテの祭り」があります。熊に感謝する祭りです。アイヌの人は熊を殺し、その肉を食べたりして、その感謝として、剥製にした熊に美しい恰好をさせて祝うのです。そうすると、あの世に行った熊は、「この世は素晴らしいよ。人間たちによって、歓迎され祝ってもらえたよ。皆んな、またこの世に行こうじゃないか」と仲間たちを誘うのです。そうすると、あの世の熊がこの世に大量に現れるので、アイヌの人達は喜ぶのです。これは人間の世界にも当て嵌めることができるのです。つまり、この世とあの世の間はとても短いのです。このような信仰は、別に悪くはないと思います。カーター先生のように哲学的に考え過ぎると、頭が混乱するでしょう。「イワシの頭も信心から」と言われるのように、縄文の死生観を楽しんでも良いと思います。
来週の火曜日は私は日本にいます。ですから来週の座談会なり一人語りは、休みとなります。日本滞在が24日間ほどですので、3週間ほど休むことになるでしょう。何月何日は誰と会うとか、どのホテルに泊まるとか、どのような御馳走を食べるとか、日本旅行の計画はほとんど完成しています。そして私の頭は、もう日本にあります。今回の一人語りはこれで終ります。では、失礼します。
おわり


西部 邁論(木庵の独断と偏見による)
nip***** さんのコメント
「妙好人」とは、言ひ得て妙ですね。本当に彼の顔は救はれた気持ちになります。
私の父も、亡くなる少し前に撮った写真が笑ってゐます。生涯余り笑ふことのなかった父でしたが、周りのみんながおどけてみせて笑はせたのがこの一枚でした。いつも私は、父母の写真を仏壇に飾り、対面してゐます。そして何をやるにも、そこから反応と助言を得てゐるのです。
さて、私が死ぬとき、どんな顔を遺せるでせうか。少し微笑気味にして、人生の深淵を考へさせる顔に成ったらよいなあと思ひます。
nip***** 


木庵の反応
<姪の結婚式の披露宴で、姪が育った環境をビデオで紹介していた。父と姪が一緒に風呂に入っている写真が出てきた。父が木庵の前で一度も見せたことのない柔和な表情を孫の前で見せていた。その姿を見て、いつしか涙がでてしまった。
父は孫について短歌を書いていた。文言は忘れたが、内容は以下のようであった。「自分は子どもを育てるときには余裕がなかったが、孫と接すると、いつしか優しいおじいじゃんになっている。この優しさを子どもたちに与えてやればよかったと今になって思う」。
父は家庭人ではなかった。継母に育てられたこともあって、家庭は安らぎの場所ではなかった。結婚して子供をつくっても、そのようであった。父の安らぎの場所は外であった。だから、社会教育に心から取り組めたのである。
そのような父に不満はあったが、人間誰しも、完全な人生など送れないので、父の外での活躍を息子として誇りに思いたいところである。木庵>


連載
新聞

2006年(平成18年)4月5日から2007年(平成19年)3月28日まで、『産経新聞』に「保守再考」(全44回)を連載した。
2010年(平成22年)4月21日から2013年(平成25年)3月6日まで、『毎日新聞』の「異論反論」欄を他の3名の寄稿者との持ち回りで担当した。


雑誌
『時局』(時局社)に1994年(平成6年)4月号から2014年(平成26年)10月号まで「平成哲学指南」を連載した。
『表現者』(MXエンターテインメント)で「巻末オピニオン」を連載していた。
『言志』(ブクログ)に2012年(平成24年)8月の創刊号から「今号のコラム」を連載していた。
『まこも草子NEO』(企画制作 : デラフィック)に123号(2015年(平成27年)7月発行)から「マコモ党宣言」を連載していた。


雑誌の刊行
1994年(平成6年)4月、真正保守思想を標榜する月刊誌『発言者』(西部邁事務所、秀明出版会)を創刊し主幹を務めていたが2005年(平成17年)3月、財政上の理由により廃刊。
1997年(平成9年)の創刊から1998年(平成10年)の休刊まで英文雑誌『JAPAN CURRENTS』(日本国民文化研究所)の総合監修を務めた。
2003年(平成15年)7月、『北の発言』を創刊するがその後財政上の理由により廃刊。
2005年(平成17年)6月より『発言者』の後継誌『表現者』(MXエンターテインメント)を刊行。西部はその顧問を務めた。


木庵の反応
新聞連載、雑誌で特筆することはない。ただ、月刊誌『発言者』を発刊したことは、注目に値する。どのようなことを西部が書いていたのか、知りたいところである。
西部が「女系天皇でも女性天皇でもよい」と言ったことを知り、彼への関心へのトーンが大分落ちてしまった。しかし、続ける。続けるためには、西部賛辞、批判どちらでもよいので資料として記事が必要である。

一つの記事を発見した。この記事を基に西部論を続けていく。
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サーティンキュー
xuzu0911.exblog.jp
西部邁に思想はあったのか?    

★西部邁が川に飛び込んで自殺したが、世間では保守思想家と言われる彼だが、彼に思想はあったのか? 反サヨクという思想があったかもしれないが、それは太陽系では通用しない。性エネルギー昇華を知らずに死んでしまったし、自殺したのは「死」が彼の背を押したのであろう。

★「死神」とは何か?「性」とは何か? それを考えることのできる者が真の思想家である。学生運動の時に過激派になり、逮捕され、それで反権力になった? 鷲から見れば学生運動やっていただけで体制派である。彼の本をかなり昔読んだが、反サヨクから全く出ることがなかったのは、本物のグノーシス(知識)がなかったからだ。

★奥さんが死んで、「言葉遊び業」に疲れて死んだ!という印象だな。反サヨクでカルト右翼にならない、それがどうしたのだろうか? カルトとの激しい思想戦を20歳代からやってきた鷲から見れば、性も死も解らない、東大教授の肩書で、世間の無知な人々を騙して生きてきたのが西部邁のように思える。

★テレビに出れるだけで「安全な人」である。彼の過激派の時の「過激」に期待する人が多いが、たいしたことはない。それは「彼には思想がない」から。「彼の思想は言葉遊び」にすぎないからだ。その辺を書いていきたいが、一冊も彼の本が現在ないので、彼の死亡の記事だけを参考にして書いていきます。

木庵の反応
鷲という方も、木庵と同じアプローチをなされている。西部の記事、論文を読んでいないのに、彼を評している。 「彼の死亡の記事だけを参考にして書いていきます」と正直に書いておられる。
「世間では保守思想家と言われる彼だが、彼に思想はあったのか? 反サヨクという思想があったかもしれないが、それは太陽系では通用しない。性エネルギー昇華を知らずに死んでしまったし、自殺したのは「死」が彼の背を押したのであろう」

鷲さんの言う「太陽系」とはどういうものなのか? 「性エネルギー昇華」とはどういうことか?
鷲さんは「『言葉遊び業』に疲れて死んだ!」と書いているが、所詮思想とは言葉遊びである。キリスト教ではないが、「初めに言葉ありき」である。ただ言葉にどれだけ重みがあるかである。鷲さんは西部の言葉を「遊び業」と思ったにすぎず、そのことを思っている鷲さんの言葉はどうなんだということになる。


写真:樺太アイヌのイオマンテにおける、熊の飾りつけの再現(ウポポイの展示品)
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