面授(第125回You Tube(カーター先生が考える死)、西部 邁論)(#97)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第125回You Tube(カーター先生が考える死)
https://youtu.be/uBQukRlNbvM

木庵:・・・ルドルフ・カルナップと同じように論理実証主義の創立者の一人であるAlfred North Whitehead、ホワイトヘッドという人が、「不死」について興味あることを述べています。「我々人間がこの世で悪いことをしたことについて、神様は記憶にないのです。良いことだけが記憶にあるのです」と。本当にホワイトヘッドがこのようなことを言ったかどうかを、私は検証していないのですが、これはカーター先生の解釈なのでしょう。神様にこのような素養があるとすると、ちょっと欠陥があると思いますよね。悪いことをして、あの世に行っても、神様はそのことの記憶がないということは、カント流にいえば、神様は人間の悪行に対して罰しようがないということになります。何か不公平ですよね。しかし、神様は人間の良いことだけを記憶するとなると、その良いことのボリュームを知ることができるでしょう。ということは、悪いことをした人は良いことをした人より良いことのボリュームが少ないということになりますよね。ということは、ボリュームが判断基準になるのではないでしょうか。やはり、カントが言っているように、この世での人間が行った良いこと、悪いこと両方を神様は判断の材料としてもつとことの方が、フェアーな感じがします。
それに、カーター先生は宇宙人が人間の種を植えつけて、その子孫が現在の我々であるという奇妙な話をしておられます。夏目さんはよく宇宙人の存在をよく議論されていますが、宇宙人が人間の種を植えつけたというようなことは言われていないと思いますが・・・。宇宙人が人間の種を植えつけて、それが命があるというのも不思議な話です。カーター先生がこの説を信じておられるというのではなく、「こういう説があるよ」と紹介しているだけのようです。
つづく


西部 邁論(木庵の独断と偏見による)
元塾頭Aと社員Kへの判決確定後
2019年1月19日には星陵会館(東京都千代田区)で「シンポジウム 西部邁氏を偲ぶ」が開かれた。このシンポジウムでは宮崎正弘が冒頭の挨拶をし、富岡幸一郎、西村幸祐、三浦小太郎が講演をした。また歌手の紀伊國屋美智子(ソプラノ)がオペラを披露した。

人物
西部は自分の好き嫌いについて次のように述べている。
好き    嫌い
人物    自分    自分
言葉    保守    革新
食べ物    うどん    幕の内弁当
学問    ある種の哲学    あらゆる種類の経済学
芸術    ある種の絵画    最近の文学
スポーツ    なし    なし
動物    猫    人間と言いたいところだが、なし
宗教    すべての旧宗教と言いたいところだが、なし    すべての新興宗教と言いたいところだが、なし
国(人種)    まずイタリア、次にイギリスと言いたいが、やはり日本    まずアメリカ、次に韓国と言いたいが、やはり日本
西部が高く評価している日本人は山本常朝、福澤諭吉、中江兆民、夏目漱石、田中美知太郎、坂口安吾、秋野不矩、秦野章、福田恆存、三島由紀夫、色川武大、立川談志、唐牛健太郎などである。
姜尚中や佐高信と対談したり『週刊金曜日』の取材に応じたりと、立場の違う人物とも積極的に対話を行った。特に、佐高とはともに映画ファンという共通点があることから、雑誌上で映画についての対談も行っている(後述の『映画芸術』を参照)。
喫煙者である。すぎやまこういちらと共に「喫煙文化研究会」を発足し、昨今の嫌煙運動について反発している。


木庵の反応
<うどんが好きで    幕の内弁当が嫌いとは、なぜなのだろうか。木庵は幕の内弁当が大好きなのだが。このあたり、彼の偏食が伺える。バランスが取れていないのである。
このあたりから彼の心理傾向を研究するのも面白そうだ。仮説だが、偏愛タイプの人間なのではなかったか???。

イタリア人が好きというのは、面白い。誰かが言っていたが、「イタリア人は内面性が深い」。三島由紀夫の全ての著作(手紙も含めた)の翻訳がなされているという。先日、フィットネスでアメリカ生まれのイタリア人と話をした。幅が広いと思った。彼のお父さんは「5ヵ国語が話せたインテリで、お父さんに比べると自分は馬鹿だ」と謙虚に言っていたが、普段接するアメリカ人とは違うと思った。日独伊協定を結んで、日独が大きなミスをしたのは、「なぜソ連を挟み撃ちにしなかったのか」と言っていた。また「パールハーバー攻撃はルーズベルトの罠に日本が引っかかった」とも言っていた。

西部氏はイタリア人の内面の深さを理解していたのであろう。

立川談志を高く評価しているのも面白い。検索すると,以下の記事がでてきた。木庵>

・・・


検索で出てきた記事
【追悼・西部邁】「あいつは当然死んだ」立川談四楼
「おまえ、西部邁を知ってるか?」談志が唐突に訊いてきた。「『朝まで生テレビ』という番組を通じてですが」そう答えると、「そうか、知られた人なんだな。話してみると理屈っぽくて面白えンだ。で今度、番組を一緒にやることになった」
西部先生は初対面の様子を次のように語った。
「政治家のパーティーに義理で出たら、これが下らないこと夥(おびただ)しい。とっとと帰ることにしたら、出口のところにもう一人退屈してる人がいてね、それが談志さんだったんだ。西部邁と申しますと挨拶すると、おう、あんたのこと知ってるよと気さくなんだ。一献献じたくと申し出るといいねえとなり、人形町で飲んだのが始まりなのさ。質問が上手くてねえ、ずいぶん喋らされたなあ」
こうしたことがMXテレビの共演につながるのだが、二人の共通の話題は他にもあり、それは妻の病のことだった。共に人後に落ちぬ愛妻家、談志は妻が通院しやすいように病院近くに引っ越したぐらいで、西部先生はあるとき、動けるうちにと愛妻を講演旅行に伴ったという。
先生はそれをニコニコと話した。
「僕の講演と談志さんの落語という二本立さ。なかなか豪勢だろう。確か九州だった。で談志さんが控え室で妻に言うんだ。いま席を前の真ん中に用意したから、奥さんそこへ座ってください。他にも客がいるから奥さんばっかり見るわけにはいかないけど、今日の落語は奥さんに捧げますとね。こういうことを嫌味なくサラッと言える人は少いよ。僕は心遣いに胸が詰まってしまってね……」
結局、西部先生は奥さんを見送り、談志夫人は快癒し、当人が逝ってしまった。西部先生は談志の晩年を彩ってくれた人だ。ささやかな恩返しのつもりの書評を先生は大変に喜んでくれ、今にして思えば喜んだフリをしてくれたのだが、MXテレビの対談に呼ばれ、ギャラをいただき、のみならず荒木町の寿司屋に招いてくれたのだ。そして新宿へ流れた。
成城のマンションに伺ったこともある。話題は多岐に及び、大いに飲んだ。同席した人によると、先生は「我が家であんな大酒を飲んだ男は初めてだ」と笑って言ったそうな。そりゃないですよ先生、私が帰ろうとした時、ドンと一升瓶を置いたのは先生じゃありませんか。
忘年会の司会は思い出深い。
「僕は雑誌を発行しててね、その慰労の小さな会だったのさ。ところが参加したいって人がどんどん増えて、中には呼んでない人まで来そうで、捌ききれないんだ」そう頼まれたわけだが「右も左も来るんだ」とのひと言は刺激的だった。
司会には黒紋付羽織袴の正装で臨んだ。シーズンで忘年会を掛け持ちする人もいて、挨拶の順番が狂う事態も予想される。その折にはこの正装に免じてお許しをとのつもりだった。会の半ば頃フラリと鳩山由紀夫さんが現れた。確か出席者リストには載っていなかった。つまり呼んでない人がやって来たのだ。
場内がざわつき、右方面から「あいつに挨拶させるつもりじゃないだろうな」との強い視線が飛んでくる。しかし元総理だ。私は独断で紹介した。鳩山さんは「えっ、いいの」と驚きつつ、嬉しそうに若干の野次を浴びつつスピーチした。しばしして先生が傍らに来て「あれで正解」と笑って去った。『保守の真髄』(講談社現代新書)を週刊新潮で書評した。先生は頸椎からくる指の痛みでペンが持てなかった。先生の口述を、いつも秘書のごとく支えるお嬢さんが筆記するという本だった。口述なのに文体に変化はなく、いつもの西部節を堪能したが、最終章にギクリとした。「また短銃の入手に失敗し」と記す個所に出くわしたのだ。先生の謦咳に触れた人や著書に接した人は先生の自殺願望を知ることになる。ごく普通にそのことを喋ったし、書いているからだ。知ってはいてもやはりギクリとし、そして先生はその書評の載った週刊誌がまだ店頭にある週に突如としてこの世を去った。
死後、ある記者にこう語っていたと聞いた。
「オレの最後の願望は『当然死』だね。ある年齢で、ある病状を抱え、いろいろとやり尽くした。警察に若干の厄介をかけたようだがどう考えてもあいつは当然死んだと人は言うだろうね(笑)」
凄いなあ、本当にそのように死んだのだ。「何とか止める手だてはなかったものだろうか」と、残された者たちは詮ないことを言うが、すぐに笑顔でいなされてしまうことを理解する。「キミたちは僕が病院死と生命至上主義を否定していることを知っているはずだが」と。先生はもういない。忘れがたい思い出と膨大な著書が遺った。
 2018年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです
つづく


写真:立川談志
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