面授(第125回You Tube(カーター先生が考える死)、西部 邁論)(#96)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
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*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第125回You Tube(カーター先生が考える死)
https://youtu.be/uBQukRlNbvM


木庵:・・・
次に述べられているのは、イマヌエル・カントのことです。カントは「死後の世界はなければならない」と結論づけています。死後の世界は絶対に必要であるというのです。人間は知的動物です。知的動物であるが故に、モラルが義務として必要であるというのです。しかし、実際の人間の行為というのを見ていると、そんなにモラルがあるわけではないのです。それで、あの世がないとするなら、悪いことをした人は、罰せられることもなく、得をするのです。そうであれば不公平であるので、絶対にあの世が必要であるというのです。この世で悪いことをした人は、あの世で罰せられる。それがないと正義というものはない、というのです。我々人間は自由意志をもっている。それは絶対に間違いないです。人間は自由意志があり、それに神様があり、死後の世界がある。これがカントの考えなのです。人間に自由意志があるということは、悪いことをすれば罰を受ける。つまり、自由意志は責任を伴うということなのです。カントによれば、神は審判、ジャッジをする役割があるのです。「この人は良いことをしたので合格」、「この人は悪いことをしたので、罰を与える」というのです。良いことをした人に、あの世でご褒美を与える。悪いことをすれば罰を与える。そういうことで、死後の世界は絶対に必要だというのです。
普通の人は死後の世界について、「死ぬと全てがなくなる。何か味気がないじゃないか」程度にしか考えられないのです。ところが、カントは死後の世界を知的に考えているのです。「哲学ですから、知的に追及しないと面白くない」とカーター先生は考えておられるのです。
文脈としてはっきりしないのですが、死というものを自分から離れて客観的に見たとき、素晴らしいというのです。
生物、生き物というのは、とても複雑な構造をして、デリケートで、壊れやすいのです。仮に壊れない生物を作ったとします。壊れない生物と、壊れる、取り換えることができる生物と比べてみると、壊れない方が効率が悪いというのです。壊れる方が効率が高いというのです。これもどのような議論をしているのかはっきりしないのですが・・・。
先生がこの文章を書かれていたとき、インドで400人ほどの人が亡くなった列車事故があったのです。それに対して、カーター先生はコメントを書いておられます。「インドで起きた死というものは、私にとって、それほど大きな問題ではないのです。つまり、あまりにも遠く離れたところで起きた事なので、実感がわかないのです。アメリカで事故が起きたとすると、もっと感じるところがあるのです。しかも、私の身内が死んだとなると、もっとインパクトがあるのです」のようなことを書いておられます。
つづく


西部 邁論(木庵の独断と偏見による)
倉本さんのコメント

木庵さん
ここまで解っていても自殺幇助で起訴されて、250万円かかるんですね。
倉本


木庵の反応
<それはそうだろう。一応日本は法治国家なので、簡単に自殺幇助をやられては困る。西部氏のケースを例外として認める訳にはいかない。表にでてしまった以上、 保釈保証金250万円ぐらいは当たり前。本当なら警察の粋な計らいで、西部氏一人で自殺したとすればよかったのだが。木庵>

社員K
2018年1月10日に収録されたTV番組『西部邁ゼミナール』で、西部は番組の編集担当者である社員Kの名前を挙げて「立派な人」だと述べた。Kは一番最後まで西部のそばにいた。娘によると、西部とKは親しい間柄だった。東京MXテレビの関係者によると、Kは「西部さんをとても慕っていた」。寺脇研(京都造形芸術大学教授)によると、Kは「西部先生に心酔しており、お世話係として常に寄り添っていた」。また寺脇や関係者によると、西部もKの家族を気にかけるなど彼らは厚い信頼関係にあった。木村三浩によると、西部は酒席でも何かあると「Kくんを呼んでくれ」と言って頼りにしていた。木村はKについて「とても礼儀正しい人物で、優しさとともに強い正義感を持った好青年である。…(西部)先生はよく『おい、K君を呼んでくれ! 』と言って電話をかけ、K氏も時間が折り合う時にはその場に駆けつけていた。西部先生がK氏をとても頼りにしていたのがよくわかった。K氏は、口数は少ないが、自身の立場をわきまえた振る舞いができる人であり、西部先生が使う独特の表現や形容を、自身でかみ砕いて体得していた。また、西部先生の考え方や生き方に強く惹かれているように見えた…酒を飲んでいる時、究極的に信頼できる人間とはどんな人間かという話題になった。西部先生は戦後の高度成長を支え『電力の鬼』と呼ばれた財界人、松永安左エ門の言葉を借りて『刑務所に入ったことがある人』『大病をしたことがある人』『放蕩したことがある人』であると答えると、K氏が深くうなづきながら『そうですね』と共感していたことが印象に残っている」と述べた。富岡幸一郎はKについて、「塾生ではなかったものの、シンポジウムなどにはよく参加していました。先生の人間力、存在感に共鳴していたんだと思います」と述べた。同年4月5日に逮捕されたときKは「先生の死生観を尊重し、力になりたいと思った」と供述した。同月12日には、Kの勾留理由開示手続きが東京地裁で開かれた。Kは「隠滅する証拠は持っていません。寛容な判断をお願いします」と早期釈放を求めた。同月26日に東京地検により起訴されて以降、KはMXエンターテインメント株式会社を出勤停止となった。またKは、刑事裁判では争う構えを示した。その後、西部とK双方に親交があった西田昌司(参議院議員)や佐高信(評論家)ら5、6人の有志が中心になってKを救う会を設立した。Kは代理人の弁護士を立てており、刑事裁判の弁護士費用も工面しなければならないため会が周囲にカンパを呼びかけた。同年7月12日に開かれた初公判で、Kは「時間の経過は事実だが、入水はご自分のご意志で動いた」「(自殺は)私が働きかけたものではありません」「(私の行為は)自殺を幇助したものではありません」と述べ、起訴内容を否認して無罪を主張し、争う構えをみせた。また西部が体にハーネスや重りを装着するのを手伝ったことについてKは「あくまで遺体が流されないようにして発見を早めるために用意した」と述べた。弁護側は「単に西部さんに同行しただけに過ぎない」と主張した。同月31日にはKの第2回公判が開かれた。同年9月12日、MXエンターテインメント株式会社はKを懲戒解雇した。同月14日、東京地裁でKの判決公判が開かれた。同公判で守下実裁判官は「自殺を心理的、物理的に容易にした」として懲役2年、執行猶予3年(求刑懲役2年)を言い渡した。守下裁判官は、執行猶予付き判決が相当とした理由として「被告が協力したのは西部さんからの働きかけが大きかった」からであることと「西部さんの自殺の意思が固かった」ことを挙げた。長尾和宏(医師)は「執行猶予がついたことで、私は少し安心した」と述べた。


木庵の反応 
<西部氏が、究極的に信頼できる人間として、『刑務所に入ったことがある人』『大病をしたことがある人』『放蕩したことがある人』を挙げたのは面白い。
『刑務所に入ったことがある人』といえば、ホリエモンがいる。彼は刑務所に入ってから人間的に成長した。大杉栄という社会主義者は、刑務所に入る度に一言語をマスターしたという。5回程入獄しているので、5外国語をマスターしたことになる。名前は忘れたが、ある人は入獄したときに、迷い込んでいたゴキブリに餌をやってゴキブリと友達になった。このゴキブリが亡くなったとき、とても悲しかったと手記に書いていた。またある人は、独房の中に一条の光が差してきて、それが作る光と影の美しさに感動したという。また壁についているシミが、太陽の動きによって変化して見えるのも、独房のなかでの楽しみであったという。
『大病をしたことがある人』とは、これは木庵もこの中に入る。小学3年生の時、死にそうな病気になり、悪夢を見た。この点において、西部氏は木庵を受け入れてくれそうである。
『放蕩したことがある人』であるが、木庵は物理的に放蕩したことはないが、精神的に放蕩したことがある。どの組織にも属さず、友達一人いなかった。両親とも完全に離れ、孤独生活を2年ほど送ったことがある。これも西部氏は仲間に入れてくれそうである。ところで、アメリカで生活していることは一種の放蕩かもしれない。
問題は刑務所に入ったことである。木庵は法律を破ってまで刑務所に入るほどの勇気はないし、実行力もない。この点において、西部学校の劣等生になる。しかし、無理して刑務所に入ることもない。その点、西部氏は特別な存在であったということである。刑務所経験は、良い面と、勿論悪い面もあるはず。悪い面は追々考えていくことにする。
法律を破ると刑務所に入ることができる。刑務所に入ることは人間としての罪人であるかどうかは別問題である。罪人とは宗教的な問題であり、法律論とは違う。
西部には国家観というものがあるようでないようである??? アナーキーな思想を持っていたのではないか??? このあたりの西部研究を待たねければならない。木庵>


写真:イマヌエル・カント
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