面授(第124回You Tube(カーター先生が考える死)、西部 邁論)(#93)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

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ミーティングID: 558 258 9118
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*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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第124回You Tube(カーター先生が考える死)
https://youtu.be/YGPRSC9Mg8U

夏目さんのコメント
宗教と哲学について
哲学で人は真理を知り、それによって納得することを求める。一方人は、この世に生きてゐる以上、幸せになることも求める。それは宗教の世界である。例へば、自分の親が亡くなって、地獄におちて、餓鬼道で苦しんでゐるとする。それを救ってあげたいと想ふのは慈悲の心である。ここから、哲学は精神的な物理学であり、宗教は倫理学であると言ふこともできよう。
さて、今までの数百年間、人類は土の時代を生きてきた。それは唯物的に富を追及することに懸命になったのだが、それによる反動として、多くの不幸をかこつことになった。それで、これからは風の時代になるのださうで、それは人間の幸せを求める事を主眼とする。
道元は、人間の幸、不幸などは超脱した悟りを得てゐたが、地上に生息する70数億の人類を、黙って見過ごすことは、マザー・テレサでなくともできないだらう。同じ曹洞宗の良寛は、夜まで子供たちとの遊びを楽しんださうである。
いや、冗談ではなく、世界の人口が現在の三分の一になるといふ、恐ろしい予言もあるらしい。しかしここで我らは、仏教的諦念である、「色即是空、空即是色」(物質はナイ、無より一切を生ず)を頼りに、偶々生まれたこの世界を生き抜いて行くしかないのである。


木庵の反応
「哲学は精神的な物理学であり、宗教は倫理学である」という見方は面白い。しかし、「哲学も倫理学だ」という見方がある。宗教も哲学も人間を相手にするのであるから、共に人間の幸せを追求するものでなくてはならない。ところが、哲学の方が即物的、つまり夏目さんが述べられているように物理学的なのだろう。ただ言えることは、哲学にせよ、宗教にせよ、その定義の仕方は意外に己の見方から来ているのである。つまり、相当の主観が入っているということである。己の存在を実存的に捉えるということである。デカルトではないが、「よく分からないけど、私が存在しているのは事実である。己の短い人生において、どう生きるかは、各人違ってくる」ということなのだろう。木庵>


木庵:・・・
夏目さんの場合は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が大昔に実在したとして話を進められています。ところで、東北大名誉教授田中英道は、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、ユダヤ人であった」と言われています。それに対して、桜チャンネルの水島さんは、「ついていけません」と言っています。私は理解できるのです。なぜかというと、馬を殺して皮をはぐようなことを日本人はしないからです。このあたり想像の世界ですけど、田中英道さんは、古代のことを実証的に研究されているのです。彼のアプローチは宗教ではないのです。
歴史なのです。私の立ち位置は、夏目さんとは違うのです。ですけと、夏目さんの意見を尊重しています。どうぞ述べてください。

夏目:木庵さんと私とどちらが先に死ぬか分かりませんが、もし木庵さんの方が先に亡くなりましたら、よければ私の夢にでてきてもらいたい・・・

木庵:そういうことを言われるから、夏目さんは神秘主義者と言われるのです。

夏目:まだ話は終わっていないのです。もし私が死んだら、私は貴方の夢の中に出てこようと思います。

木庵:どうぞ、出てきてください。

夏目:出てくるかどうか分かりませんが、そうしょうと思います。

木庵:そうして下さい。言っておきますけど、私の方が長生きしますよ。なぜ長生きするかというと、私は自然の法に従っているからです。先ず呼吸法がそうです。そして私は無理をしないのです。そういうことで、私は健康な食生活を考え、実践しています。私はアレルギーになっていますが、病気ではありません。私は医者以上に自分の体をよく知っています。禅の世界では、「早く死んだ人は、修行が足らなかった」というのです。失礼ですけど、夏目さんの方が私より修行が足らないので、私より早く死ぬでしょう。私の周囲の人を観察していますと、早く死ぬ人は無理があります。例えば、こちらロスでは、ドラックに走る人が沢山います。それらの人は早く死んでいます。希望を失った人も、早く死んでいます。普通に生きていれば、100歳も120歳も生きることが出来るのです。そのようになっているのです。早く死ぬのは、自分で早く死ぬようにしているのです。
ものの見方、瞑想の仕方は夏目さんとは違うのです。私の場合は普段の生活の中で瞑想をしています。うーん、うーんと言って・・
白隠禅師は、たしか結核に罹っていたと思うのですが・・。彼はその結核を瞑想で治しています。頭の上に鶯の糞を載せるとイメージするのです。そして、その糞が溶けて、どんどん下の方に落ちていくのです。体全体の毒素を取り除いていくのです。溶けたものが足の下までいくと、また上に再び糞をもってくるのです。驚くことに、このような瞑想法で、当時不治の病といわれた結核を治してしまったのです。江戸時代は、それほど栄養のあるものが食べられなかった時代ですが、高僧は90歳以上生きているのです。誰もとは言えないでしょうけど。ある福岡に住んでいた老師が、早く死んでしまったのです。50代で死んでしまったのです。なぜ死んだかというと、その人は柔道の達人であったのですが、寺に賊が入ってきて、老師は強いものですから、その賊をやっつけようとしたのです。賊はナイフをもっていて、老師をさして、老師は死んでしまったのです。南天棒は老師と同じように寺に賊が入ってきたときの対応の仕方が違っていたのです。南天棒は「おい、そんなにガタガタ音を立てると若い者がやってくるではないか、そこにおひつがあるから、その中のご飯を食べていきなさい」と言ったのです。賊は困っているので、寺に侵入したのであって、ドキドキしているのです。そういう人間を刺激させてはいけないのです。
そういうことですので、自然の理に従って生きていくと、長生きするのです。このように偉そうなことを言いましたが、すぐに亡くなるかもしれません。自動車を運転していて、横から子供が急に車の前に入ってきたとき、私は見事避けたことがあります。また、最近ではよく倒れることがあるのですが、私は見事受け身で骨を折るようなことはないのです。こういうことが非常に大事なのです。私の姪が私のことを心配したことがあったのですが、「ふざけるな、俺のことを心配するより、自分のことを心配しろ。お前より、私の方が長生きするんだ」と言ったことがあります。「憎まれっ子、世にはばかる」なのです。
つつく


西部 邁論(木庵の独断と偏見による)
自殺の実行
娘と別れた直後の21日未明、西部と社員Kが新宿区内を一緒に歩いている姿がのちに防犯カメラで確認された。自殺するまでの一連の過程で、複数の防犯カメラに彼らの姿が映っていた。同日未明、元塾頭AとKの2人は、娘と別れた西部と待ち合わせ場所である新宿2丁目付近路上で合流した。Aは新宿から自殺現場の多摩川付近にある大田区田園調布のバス停留所付近まで西部とKを乗せてレンタカーを運転した。Aは、防犯カメラに写ったり警察にばれたりしないよう幹線道路を避けて車を運転した。移動中の車内では西部が好きだった「ダンチョネ節」を流していた。その車中で西部はAとKに11万円ずつ渡した。またその車中でKは西部がハーネスを身体に装着するのを手伝った。21日午前0時50分ごろ、自殺現場近くのバス停留所付近に到着するとAは西部とKを見送った。車を降りるとKは現場の多摩川左岸まで西部が歩いていくのに付き添った。現場に着くとKは西部がロープを立木に繋ぐのを手伝い、そのロープを西部の身体に装着されているハーネスに繋ぐのも手伝い、重りと重り用ベルトを西部の身体に装着するのも手伝い、川に流されないように固定した。西部は粉末状の薬のような物質を持参していた。西部はその物質は「毒だ」とKに説明した。Kはフィルムケース大の瓶を用意していた。Kは西部からその物質を受取り、その物質をその瓶に入れて西部に渡した。そうしてKは西部が歩いて多摩川に入水するのを見届けた。KはAに余った薬を「処分してください」と依頼し、Aはその薬を保管した。21日午前2時すぎに娘の携帯電話に西部から着信があったがメッセージが残されていなかった。普段西部は携帯電話を使っていなかった上、メッセージもなかったことから不審に思い、娘は警察に通報した。同日未明、娘は息子にも西部が自宅にいないことを知らせ、2人で捜し歩いた。同日朝、息子は現場の多摩川の川面に浮かんだ状態の西部を発見した。同日午前6時40分頃、息子は「父親が川に飛び込んだ」と110番通報し、駆けつけた田園調布警察署の署員が救出したが、そのときには既に意識がなかった。発見されたとき西部は身体に工事現場用のハーネスを装着し、腰付近にロープを巻いていた。ハーネスに接続したロープのもう片方は川べりの樹木に結びつけられていた。また西部の遺体の眼と口にはヘアバンドとタオルが巻かれており、顔は毛糸のネックウオーマーで覆われていた。これは顔を鳥や魚につつかれないようにするためだったとみられている。さらに口の内にはフィルムケース大の小さな瓶を入れていた。発見時その瓶は空だった。のちに息子は「多分、姉のことを思って綺麗に死んだんだと思います。ロープを木に繋げていたのは、海まで流されて発見が遅れるのを嫌ったからでしょう」と話した。現場の河川敷には家族、Kなどの知人、警察などに宛てたワープロ打ちの複数の遺書が残されていた。娘宛ての遺書には次のように書かれていた。

わが娘Sよ
僕は、穏やかな自然死などは望むべくもないので、また…おける無益な孤独と無効の治療を忌むものですから、君にこれ以上の迷惑をかけたくないので、ここに自分の「生き方としての死に方」たる自裁死を選ぶことにしました。そうした考え方については僕の書物群に何度も説明している通りなので、君は、たとえ同意されなくても、僕の気持ちは分かってくれると信じております。出来うれば、僕のことは早めに失念して、楽々悠々たる人生を送って下さい。お母さんへの世話のことを含め、君の両親への助力に深く感謝しております。B君〔息子〕、Cさん〔息子の嫁〕と仲良くやって下さい。

なお、僕のことにかんし葬儀や墓標などは一切不要ですのでご承知おき下さい。ただし、僕の知人や友人から「飲食の催し」などの誘いがあれば受けてやって下さい。
最後にもう一度、有難う、左様なら
平成30年1月21日 西部邁


木庵の反応
「葬儀や墓標などは一切不要」と書いておきながら、 「知人や友人から『飲食の催し』などの誘いがあれば受けてやって下さい」とは、西部らしい。西部は人との飲食が好きな人だったようだ。このあたり、人間的である。木庵>

警察宛ての遺書には「すみません、お手を煩わせます」という気遣いと配慮が記されていた。同日午前8時37分、東京都内の搬送先の病院で死亡していることが確認された。西部の亡くなった夜が明けると、娘と息子のもとには西部から自死を告げる手紙が速達で届いた。手紙には死に場所が記されていた。78歳没。司法解剖などの結果、死因は「溺死として矛盾ない」というものだった。目立った外傷はなく、生前の言動や遺書から当初、単独で自殺を実行したものと見られていた。


死去後の経緯
同日社員Kは新聞記者に対し、2017年12月に発売された西部の著書『保守の真髄』を「読んでもらえれば、先生の死生観を理解してもらえる」と語っていた。三原朝彦(衆議院議員)は「自ら準備をして命を断った著者(西部)の死生観はこれ迄の著者の思想同様、世に一石を投じたと私は思います」と述べた。金澤智之(平凡社新書編集部)は「医療技術の進歩によって『死の先延ばし』が可能になった現代にあって、それらに対するアンチテーゼという意味で西部さんの自死が投げかけたものはあまりにも大きい」と述べた。自殺の数日後、渋谷区幡ヶ谷の代々幡斎場に遺体が棺に納められて安置され、遺族と近親者は最後のお別れをした。法名は「慧海院釋誥邁」。木村三浩は出棺前に西部が好んで歌っていた「蒙古放浪歌」を花向けに高唱し、棺の中に歌詞が書かれた歌集を納めた。その後火葬が行われ、遺族と近親者は骨揚げをした。Kは西部の通夜や密葬にずっと付き添っていた。その後間もなく、警視庁刑事部捜査1課は西部発見時の状況に不可解な点があり、西部の死に第三者が関与した可能性があるとみて事件性を疑い再捜査に入った。警視庁は西部がロープを結ぶことなどを1人で実行した可能性は低いと見て、西部と交友のあった関係者から事情を聴取するなど氏名不詳者による自殺幇助の容疑で当時の状況を調べた。警視庁が防犯カメラを捜査したことなどからAとKの容疑が浮上した。2人は逮捕前に任意の取り調べを受けた。2人は取り調べに全面的に応じた。2人とも捜査に協力し、彼らには逃亡する意思が見えなかった。2月にAは関係先に保管していた毒物とみられる粉末状の薬を警視庁へ任意提出した。その粉末からは青酸化合物の反応が出た。同年2月10日、TV番組『追悼・西部邁と日本』(チャンネル桜)の一部の出演者が多摩川で発見されたときの西部の様子について話した。その出演者によると、晩年西部は手が不自由で両手に白い手袋を装着して公の場に出ており、日常生活においても周囲の助けが必要な状態であり、1人では自殺を実行し得なかったため、幇助者がいたと予想されるとのことだった。同年3月1日発売の月刊誌で浜崎洋介(文芸批評家)は「生前ワープロを使わなかった先生がどうやってワープロで遺書を用意したのか」、「ハーネスやロープと遺書を先生がどこに隠し、それらをどう運び、さらにあまり自由の利かない手でどうやって木にロープを括りつけたのか」と疑問点を挙げた。同年3月15日、マスコミ各社は警察が西部の死について再捜査していると報じた。Kは同年4月24日に予定されていた西部を偲ぶ会のとりまとめ役もしていた。同年4月5日、警視庁捜査1課はAとKの2人を自殺幇助の容疑で逮捕した。それに対し2人とも容疑を認めたと報じられたが、のちにKは容疑を一部否認していると報じられた。2人が逮捕されたことについて娘は「父の自殺にお2人を巻き込んでしまい本当に申し訳ない」、「父がご迷惑をおかけして本当に申し訳ない気持ちです。…父からの依頼を断ってくれればよかったのにと思います」「本にも書いているし、友達にもよく言っていたことなので、(父が)そういう気持ちでいることは分かっていました」「(父は)自殺ということで片付くと思っていたのではないかと思います」「父が頼んだことだと思います…報道で(2人の)顔も名前も出てしまって…」「両手が縛られていたなんてことが報道されていましたけれど、もし本当にそうなら最初から自殺とは出ないはず。そんな間違った報道が出るので本当に困っていました」「(父)は安らかな死に顔でした」「父の死に顔はおやすみなさい、と言った時とまったく一緒で、本人は満足して死んだようです」と述べた。長尾和宏(医師)は、「自殺や自殺ほう助を擁護するつもりは無いが…もし自殺ほう助をお願いするのであれば、ほう助してくれる人が逮捕されないために一筆手紙を記しておくべき。
残された家族がPTSDにならないために事前にメッセージを送るべき。
川で死ぬことは消防や警察に多大な迷惑をかけるので、やめるべき。」
「今、自裁を真剣に考えている人は、西部さん騒動の展開に学ぶべき。もしも西部さんが私の前に登場して、『持続的鎮静』を希望したら。家族もみんな同意していたら、医者は持続的鎮静や安楽死をほう助できるか。答えは、100%、NOである。しかし、西部さんの願いは、心情的には分かる」と述べた。落合洋司(弁護士)は2人が逮捕されたことについて「違法なことではあるが、酌むべき事情もあると思う」と述べた。小林よしのり(漫画家)は「西部邁氏の自殺ほう助で2名が逮捕された。無粋な話だ。警察は見逃してやることが出来んのか?  わしがまだ交際してたら手伝ったかもしれない」、「安楽死が許可されればいいのに」と述べた。


木庵の反応
<西部は自殺ほう助がバレるとは思っていなかったのではないか。ただ、なぜ入水自殺をしたのかが疑問に残る。青酸カリ自殺がよかったのではないか。ただ青酸カリの入所は困難であるので、睡眠薬自殺かな。
昔武士は腹切りを行ったが、血が出て気持ちが悪い。アメリカでは拳銃が手に入るので、拳銃自殺が簡単にできそうだ。何はともあれ、自殺を決意すれば、自殺の方法となる。電車への飛び込み自殺があるが、これは多くの人に迷惑をかける。ビルディングの屋上から身を投げると、下にいる人を道連れにする可能性がある。何はともあれ、安楽死を法的に認めることを真剣に考えるべきである。
命とは神様から授かったものであるので、どのような理由があろうと、自分の意思で尊い命をなき者にするのはよくないという理屈は分かる。しかし、肉体的に苦しく、また生きていても意味がないと判断することだってあるだろう。そういう時、安楽死を神様は認めてくるのではないか??
小林よりのりのコメントがよい。「警察は見逃してやることが出来んのか? 」。近頃の警察には超法規的なことをやる実力者はいないようだ。「西部が自殺した」。それでよいではないか。二人を幇助罪で訴追することは酷てある。大岡越前の守のような洒落た裁きはできなかったのであろうか。人間論で処理できなかったのか? 
法律は所詮法律である。社会の秩序を保つために必要である。ソクラテスは「悪法もまた法なり」と法に従って毒胚を飲んだ。法律は国によって違うし、時代によっても違う。つまり相対的である。西部の死の幇助は現代の法律からすると許せないが、法律を越える、人間の生き様からすると許される。年老いた夫婦が相棒のあまりにも衰弱ぶり、病魔による苦しみを除去するために、殺してやるという痛ましい事件があった。これは幇助ではなく殺人になる。このようなギリギリの世界に、法律などなんの意味もない。木庵>
つづく


写真:「素戔嗚尊(すさのおのみこと)
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