面授(第123回You Tube(カールソンのインタビューから見えてくるもの)、タッカー・カールソンのプーチンへのインタビュー)(#81)
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木庵の般若心経(3回目)
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第123回You Tube(カールソンのインタビューから見えてくるもの)
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夏目さんのコメント
夏目です。本日やっと復帰しました。貴ブログもまだ全部は読んでゐませんが、アメリカもロシアも恐ろしく混乱の真っ最中のやうですね。この嵐の中に私も及ばずながら戦線復帰です。いろいろとお世話になりますが、宜しくお願ひ致します。尚、日本時間の明日朝9時の座談会には、出席させて頂きますので、宜しくお願ひ致します。 

木庵:今日は夏目さんが出席ということですが、まだ入っておれれませんね。夏目さん、お久しぶりです。もう少し顔全体が映るようにお願いします。タッカー・カールソンがプーチンにインタビューインタをしたことを知っておられますね。そのことに関して、夏目さんの意見をまず聞きたいと思います。

夏目:なかなか意欲的にタッカー・カールソンという人は、突っ込んだことをおっしゃっていました。ところが、日本のメディア、アメリカのメディアも、あえて触れない、逃げよう、逃げよとしていました。本当のことを知らせたくないという態度を感じました。

夏目:私は特に桜ちゃんの番組をよく見ました。ところで、You Yubeをバンされた及川さんは、このことに関して色々なところで話していました。それを見られましたか?

夏目:いや、見ていません。

木庵:最初驚くことに、プーチンは30分から40分、ウクライナの歴史について話していました。翻訳を見ていたのですけど、よく分からないとことが多くありました。夏目さんはプーチンの歴史的見解について、どのように思われますか?
つづく


タッカー・カールソンのプーチンへのインタビュー
プーチン:次にNATOの東方への拡大についてである。そう、彼らは約束した。私たちが言われていたように、東にはNATOはなく、東には1インチも。そして次は何だろうか? 彼らは、「そうですね、まだ紙に記録していないので、拡大してみる」と述べた。バルト三国、東ヨーロッパ全土などを含む 5 つの拡張だ。
さて、本題に移る。ウクライナに到着した。 2008年、ブカレストでの首脳会議で、ウクライナとグルジアにN​​ATOへの扉が開かれたと発表した。
ここで、どのように意思決定が行われるかについて話そう。ドイツとフランス、そして他のヨーロッパ諸国も反対しているようだ。しかし、後で分かったのだが、ブッシュ大統領は非常に強い男で、強い政治家であった。後で彼らが私に話したように、彼は私たちに圧力をかけ、私たちは同意せざるを得なかった。幼稚園みたいで面白い。保証はどこにあるのか? ここはどんな幼稚園なのか、どんな人たちがいるのか、どんな人たちなのか? ご存知のとおり、彼らは「圧力」を受けて同意したのである。そして彼らはこう言う、「ウクライナはNATOには参加しないであろう」。
私はこう言う:わからない。 2008 年に同意したことは知っているが、今後はなぜ同意しないのか? 「それで、彼らは私たちに圧力をかけてきた。」 私はこう言う、なぜ彼らは明日あなたに圧力をかけないのか、そうすればあなたもまた同意するだろう。まあ、それはナンセンスだ。そこで誰に話せばいいのかわからない。話す準備はできているが。でも誰と? 保証はどこにあるのか? なし。
これは、彼らがウクライナの領土を開発し始めたことを意味する。そこに何があったとしても、私はその背景、この領土がどのように発展したか、ロシアとどのような関係があったのかを話した。そこにいる2人目、3人目は必ずロシアと何らかのつながりを持っている。そして、独立宣言の結果として独立を獲得した。独立した主権を有するウクライナの選挙中に、ちなみに、そこには、ウクライナは中立国であると書かれており、2008年に、ウクライナへの扉、つまり門が開かれた。 NATOは突然そのために開かれた。これは面白い映画である! 私たちはそのようには同意しなかった。そのため、ウクライナで権力を握った大統領は皆、何らかの形でロシアに対して好意的な態度を示した有権者に依存していた。ここはウクライナの南東部、たくさんの人が住んでいる。そして、ロシアに対して肯定的な態度をとったこの有権者を「殺す」ことは非常に困難であった。ヴィクトル・ヤヌコービッチが権力を掌握し、どのようにしてクチマ大統領の後初めて勝利したのか、彼らはウクライナ憲法には規定されていない第3ラウンドを組織した。これはクーデターである。アメリカで誰かがそれを気に入らなかったと想像してみて欲しい。

カールソン:2014年に。

プーチン:いいえ、それよりも前である。いえ、いいえ、これは前にも起こった。クチマ大統領に続いて、ヴィクトル・ヤヌコビッチが選挙に勝利した。しかし、対戦相手はこの勝利を認めず、米国は対戦相手を支持し、第3ラウンドを予定した。これは何か? これはクーデターである。アメリカは彼を支持し、第3ラウンドの結果として彼は権力を掌握した...アメリカで誰かが何かを気に入らなかったと想像して欲しい -彼らは第3ラウンドを組織したが、それは合衆国憲法には規定されていない。しかし、それにもかかわらず、彼らはそこで(ウクライナで)それを行った。
さて、親西側の政治家とみなされていたヴィクトル・ユシチェンコが権力を握った。わかったが、私たちは彼との関係も確立し、彼は訪問でモスクワに行き、私たちはキーウに行き、そして私も行った。私たちは非公式な雰囲気で会った。西洋は西洋、それでいいのである。それはそれとして、人々は働いている。状況は独立したウクライナ自体の内部で発展しなければならない。彼が国を率いた後、状況は悪化し、ついにヴィクトル・ヤヌコーヴィチが権力を掌握した。おそらく彼は最高の大統領や政治家ではなかったのだろうが、私には分からないし、判断したくない。が、欧州連合との関係の問題が生じた。しかし、私たちは常にこれに非常に忠実であった。「お願いします」と。しかし、この貿易協定を読んだとき、これが私たちにとって問題であることがわかった。なぜなら、私たちはウクライナと自由貿易地域を持っており、関税の国境を開放しており、この協定によれば、ウクライナはヨーロッパに対して国境を開放しなければならなかったのである。すべてが私たちの市場に流れ込むであろう、と。私たちは「いいえ、それではうまくいかない。その場合はウクライナとの国境、関税の国境を閉鎖する」と伝えた。ヤヌコービッチはウクライナがどれだけ勝ち、どれだけ失うかを計算し始め、ヨーロッパの相手国に「署名する前にもう一度考えなければならない」と宣言した。彼がこれを発言するとすぐに、西側諸国の支援を受け反政府派の間で破壊的な行動が始まり、すべてはマイダンとウクライナのクーデターにまで及んだ。
※注:ユーロマイダン(ウクライナ語:Євромайдан、
ロシア語:Евромайдан, Yevromaidan)とは、ウクライナで起きた市民運動のことで、2013年11月21日夜に首都キーウにある独立広場におけるデモ活動に始まり、2014年のマイダン革命(尊厳の革命)(ユーロ・マイダン革命)]では、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の追
放をもたらした。ウクライナがロシアと欧州連合のどちらを選択するかが争われた2004年のオレンジ革命に続く革命であった。 cf. Wikipedia

カールソン:ということは、彼はEUやウクライナよりもロシアと多く取引していたのか?

プーチン:確かに。それは貿易量の問題ではないが、それ以上である。重要なのは、ウクライナ経済全体の基盤となる協力関係だ。企業間の協力関係はソビエト連邦の時代から非常に緊密であった。そこでは、ある企業がロシアとウクライナの両方で最終組み立て用の部品を生産し、またその逆も同様であった。非常に密接な関係があった。
クーデターは実行されたが、私たちはアメリカから、今は詳細を述べないが、間違っていると思う。私たちは、「わかった、そうしよう」と言った。ヤヌコビッチは、アメリカが我々に求めたように、軍隊も警察も使わなかった。しかし、キーウの武装野党はクーデターを起こした。どういうことだ? あなた方は何者なのか? - 私は当時のアメリカの指導者に問いたかった。

カールソン:誰のサポートを受けてか?

プーチン:もちろんCIAの支援があってだ。あなた(※注:タッカー・カールソンのこと)が一度は働きたいと思っていた組織である。おそらく、彼らがあなたを連れて行かなかったのは神に感謝しているかもしれない。これは深刻な組織ではあるが、私が第一主局で働いていたという意味での私の元同僚たちは、ソ連の諜報機関であることを理解している。彼らは常に我々の敵だった。仕事は仕事だ。厳密に言えば、彼らはすべてを正しく行い、望んでいたものを達成し、政府を変えた。しかし、政治的な観点から見ると、これは大きな間違いである。もちろん、ここでは政治指導部がその役割を適切に果たせなかった。政治指導者はこれが何をもたらすかを理解すべきだった。
こうして、2008 年にウクライナの NATO への扉が開かれた。 2014年に彼らはクーデターを実行したが、そのクーデターを認めなかった人々がいたとしても、これはクーデターである。迫害が始まり、クリミアへの脅威が生まれ、私たちはそれを余儀なくされた。私たちの保護下にあった。彼らは2014年にドンバスで民間人に対して航空機と大砲を使用して戦争を開始した。結局のところ、ここからすべてが始まったのである。飛行機が上空からドネツクを攻撃するビデオ記録がある。彼らはある大規模な軍事作戦を実行したが、別の作戦は失敗した。彼らはまだ準備を続けている。そして依然として、この地域の軍事開発とNATOへの扉の開放を背景にしている。
さて、何が起こっているのかについて懸念を示さないわけにはゆかない。私たちの側では、それは犯罪的な不注意、それはそういうことだろう。ただ、各国の政治的指導力が、ロシアそのものを破壊することになるため、これ以上越えることはできない一線に私たちを追い込んだだけなのである。そして、私たちは同じ宗教者たち、そして実際にはロシア国民の一部をこの軍事機構の下に放り込むことはできなかった。

カールソン:紛争が始まる8年前のことですね。結局、このステップを踏まなければならないと決断したとき、何がこの対立を引き起こしたのか?

プーチンン:当初、紛争はウクライナのクーデターによって引き起こされた。
ところで、ドイツ、ポーランド、フランスという欧州3カ国の代表が到着し、ヤヌコビッチ政権と反政府勢力との間で署名された協定の保証人となった。彼らは保証人として署名をした。それにもかかわらず、反政府勢力はクーデターを実行し、これらの国々は平和的解決の保証人であるという事実について何も覚えていないふりをした。彼らはすぐにそれをオーブンに放り込んだが、誰も覚えていない。米国が野党と当局との間のこの合意について、そしてこのプロセス全体を政治の場に戻す代わりに、いや、クーデターを支援した3人の保証人について何か知っているかどうかは知らない。意味はないが、信じて欲しい。ヤヌコビッチ大統領はすべてに同意し、勝つ見込みのない早期選挙の準備を整えていたため、正直言ってチャンスはなかった。誰もがこれを知っていた。
しかし、なぜクーデター、なぜ犠牲を払うのか? なぜクリミアを脅すのか? ではなぜドンバスで活動を始めたのか? これが私には理解できない。ここに誤算がある。CIAはクーデター実行の任務を完了した。そして、私の意見では、国務副長官の一人は、これに50億ドル近い多額の費用を費やしたとも述べた。しかし、政治的な間違いは計り知れない。なぜこれを行う必要があったのか? 同じことはすべて、合法的にのみ、死傷者も出さず、軍事作戦の開始もクリミアの喪失もなく行うことができたはずだ。そして、マイダンでのこれらの血なまぐさい出来事がなければ、私たちは指一本も離さなかったであろうし、そのようなことは決して思いつかなかった。
ソビエト連邦の崩壊後、連合共和国の国境に沿ってすべてが、このようにあるべきであることに私たちが同意したからである。私たちはこれに同意した。しかし、我々は決してNATO拡大に同意したことはなく、ましてやウクライナがNATOに加盟することに同意したことは一度もなかった。私たちは何の会話もせずにそこにNATO基地が存在することに同意しなかった。私たちは何十年も「あれもしないで、あれもしないで」とお願いしてきた。
最近の出来事のきっかけは何か?
第一に、今日のウクライナ指導部は、ご存知のとおり、ドンバスでの平和的解決計画が概要を示された2014年のミンスクでの出来事の後に署名されたミンスク合意を履行しないと述べた。いいえ、今日のウクライナの指導者、外務大臣、その他すべての役人、そして大統領自身が、これらのミンスク合意のいかなる部分も気に入らないと宣言した。言い換えれば、彼らは従うつもりはないのである。そして、ドイツとフランスの元指導者たちは、私たちの時代、つまり1年半前に、全世界に向けて、確かにミンスク合意に署名したが、それを履行するつもりは決してなかったと直接、正直に述べている。私たちはただ鼻先で誘導されていただけであった。

カールソン:国務長官や大統領と話をしたことがあるか? もしかしたら彼らはあなたと話すのを怖がっていたのか? そして、もし彼らがウクライナに武器を送り込み続けるなら、あなたは行動するだろうと彼らに伝えたのか?

プーチン:「私たちはこのことにつきずっと話してきた。我々は米国と欧州諸国の指導者に対し、このプロセスを直ちに中止し、ミンスク合意が確実に履行されるよう訴えた。
正直に言うと、どうやってやればいいのか分からなかったが、やる準備はできていた。それらはウクライナにとっては困難であり、ドンバスにとっては多くの独立要素があり、それはこれらの領土のために提供されたものであり、これは真実である。
私は絶対に確信していた、今から言うが、それはドンバスに住んでいる人々をなんとか説得できれば――彼らはウクライナ国家の枠組みに戻るよう説得する必要があったが――そうすれば徐々に、徐々に傷は癒えるだろうと心から信じていた。徐々に、領土のこの部分が経済生活、一般的な社会環境に戻り、年金が支払われ、社会的給付が行われると、すべてが徐々に成長する。だが、誰もこれを望んでおらず、誰もが軍事力の助けだけで問題を解決したいと考えていた。私たちはこれを許すことができなかった。
そして、ウクライナで彼らが「いいえ、私たちは何も[実行]しません」と発表したとき、すべてがこの状況になった。私たちは軍事行動の準備を始めた。彼らは2014年に戦争を始めた。私たちの目標はこの戦争を止めることである。 2022 年にそれを始めたわけではない。これはそれを阻止するための試みであった。


<木庵:2014年に起きたマイダン革命について、筑波大学名誉教授の遠藤誉氏の記事を参照させてもらう。写真の転載はできなかった。木庵>


2014年、ウクライナにアメリカの傀儡政権を樹立させたバイデンと「クッキーを配るヌーランド」

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
2022/5/1(日) 21:34
2015年、当時のウクライナのポロシェンコ大統領と握手するヌーランド国務次官補(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
2013年末、親露政権を倒すべくバイデンはウクライナ国民を焚きつけたが、部下のヌーランドが傀儡政権を画策している録音がリークされ、ウクライナ国民を懐柔するためにクッキーを配っている証拠写真もある。この時ウクライナは中国に助けを求めた。

◆クッキーを配ってウクライナ国民を懐柔するヌーランドの写真
 日本には「飴(あめ)をしゃぶらせる」という言葉があるが、さすがアメリカ。
「飴」ではなく、「クッキー」を配ってウクライナ国民の投票行動に影響を与えようとする発想に、まず驚く。
他国への内政干渉であり、また選挙のために物品や金銭を配るという行為は、民主主義国家では禁じられているはずだが、「クッキー」はひとつの象徴に過ぎず、裏では大金が動いていた。

日本には公職選挙法があり、選挙区内でウチワを配布しただけで法務大臣が辞任にまで追い込まれた例もある(2014年、松島みどり元法務大臣)が、当時のバイデン副大統領は、おおっぴらに「他国の内政に関与する選挙運動」を展開していたのだ。
2013年11月21日の夜、ウクライナのキエフ(現在はキーウと表記)にあるマイダン・ネザレジノスティ (独立広場)で、激しい抗議活動が始まっていた。ウクライナ議会が、「EUとの連合協定」調印の中止を発表したのがきっかけだった。この詳細を書くと非常に長くなるので、ここではヴィクトリア・ヌーランド(当時のオバマ政権の国務次官補。現在のバイデン政権の国務次官)の「クッキー配りの写真」に焦点を当てて考察したい(詳細は『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の第五章にある「年表」の前後をご覧いただきたい)。
抗議行動は2014年2月に親露政権のヤヌコーヴィチ大統領がロシアに亡命するまで続いた。
これを「マイダン革命」という。
この「マイダン革命」勃発には、オバマ政権におけるバイデン副大統領やその部下に相当するヌーランドが関係しており、親露政権を倒して親欧米政権を樹立することに奔走していた事実を疑う人は今では少ないだろう。
なんと言っても、2015年1月31日、CNNのインタビューで、当時のオバマ大統領が「(ヤヌコーヴィチ政権転覆のための)クーデターに、背後でアメリカが関与していた」という事実を認めたのだから。
このことは、ロシア研究の最高権威である下斗米(しもとまい)伸夫教授(法政大学)も、平成28年3月に公益財団法人日本国際問題研究所が出した報告書〈平成27年度 外務省外交・安全保障調査研究事業「ポストTPPにおけるアジア太平洋地域の経済秩序の新展開」 ロシア部会「アジア太平洋地域における経済連携とロシアの東方シフトの検討」〉の「第1章 曲がり角に立つロシア・2016年」で認めておられる。

さて、興味深いのは、そのときのヌーランドがクッキーを配る写真があることだ(2013年12月に、ロイターの記者Andrew Kravchenkoが撮影)。リンク先をご覧いただければ確認できるが、念のため、このページに「動かぬ証拠」を貼り付けたいと思う。 
まず一枚目。
出典:ロイター
配っている相手が、ウクライナ政府側の機動隊なのだろうか。差し伸べられた「クッキー」を、「嫌がっている」表情が見てとれる。「ほら、食べなさいよ、おいしいよ」と言っているヌーランドの声が聞こえそうだが、機動隊はニコリともせず、受け取ろうともしていない。当然だろうが、抗議デモを鎮圧しようとしている機動隊にまでクッキーを配って懐柔しようとしているのは、如何に熱心であるかを表していて、注目に値する。
ヌーランドの横で、同じくクッキーを配っているのは、駐ウクライナのアメリカ大使Geoffrey Pyatt(ジェフリー・パイアット)だ。

2枚目。
出典:AP
この写真では、ヌーランドがやや不機嫌に「あなたたち餓えてるんでしょ?こんなにクッキーがあるのに、受け取らないの?」と言っているような気配を漂わせている。背景にあるキエフの街が暴動で瓦礫(がれき)と化しているところを見ると、最初の暴動が起きた2013年11月21日以降に撮影されたものだろう。事実、撮影時は2013年12月となっている。「今から新政権を樹立するための選挙が行われる」という前のことになる。

3枚目。
出典:ロイター
3枚目の写真は親欧米派に囲まれたときの情景なのだろうか。
少なからぬウクライナ国民が喜んでクッキーを受け取ろうとしている。積極的に動いているのは、やはりヌーランドで、駐ウクライナのアメリカ大使は、その行動を受け入れる姿勢で(温かく?)見守っている。
これらの証拠写真により、オバマ大統領が「(親露政権打倒のための)マイダン革命にアメリカが関与していた」という趣旨のことを言ったことが「事実であった」ことを、私たちは確認することができる。
こういった写真を残す行動に、ジャーナリストの高い意識と理念が伝わってくるようで、撮影した記者に尊敬の念を抱く。
◆ヌーランドが親米の傀儡政権人事を決めていた音声録音
「たかがクッキーを配っているだけじゃないか」と思う読者がいるかもしれないが、実はそれだけではない。
ヌーランドが、新しく樹立させようとした親米のウクライナ政権に関して、人事まで決めていた会話が録音されてリークされた。そのお陰で、いま私たちはヌーランドの生の声を聴くことができる。会話の相手は前述の写真に出てくる駐ウクライナのアメリカ大使だ。
リークされたのが「2014年2月4日」で、実際に会話が交わされたのは「2014年1月末」とのこと。
ヌーランドが会話の中で列挙しているウクライナ政界の人物は「ボクシングの元ヘビー級世界チャンピオンであるクリチコ」や「ヤッツ(アルセニイ・ヤツェニュク)」などで、彼女は「ヤツェニュク」を、「経済経験のある人物」として評価している。のちに発足した親米のポロシェンコ政権で、「ヤツェニュク」は首相に就任している。
親欧米というより、「親米」と書いたのは、ヌーランドが録音された会話の中で、"Fuck the EU"(EUのクソったれ!)と言っているからで、ヌーランドはEUに激しい不満を抱いているからだ。したがって、「アメリカの言いなりになってくれさえすればいい」と考えていたことが推測され、アメリカの傀儡政権を樹立させるために、バイデンやヌーランドが動いたと見るべきだろう。
会話の信憑性に関して、アメリカ民主党の議員の何名かは「まちがいなくヌーランドの声だ」と認めているし、サキ報道官も「この録音は本物ではない」と言わなかったことから、録音された会話は本物だったと解釈される。
何よりも、ヌーランド自身がEUを罵(ののし)ったことを謝罪しているので、疑う余地はないだろう。
大統領代行時代を経て、2014年6月7日に新しく大統領の座に就いたのはポロシェンコである。6月4日、ヌーランドとアメリカ大使は、ポーランドのワルシャワでジョン・ケリー米国務長官と会談する前に、大統領に当選したポロシェンコにお祝いの挨拶に行っている。

その写真を以下に示す。
出典:米国務省
アメリカの意のままに動くポロシェンコ大統領は、のちにバイデンの息子ハンター・バイデン(当時、ウクライナのエネルギー最大手プリスマ社の取締役)がスキャンダルで捜査を受けていたとき、捜査を担当している検事総長を解任せよとバイデンに言われ、実際に解任している。解任しないとウクライナへの10億ドルの融資を撤回すると脅迫されたからだ。
この事実は、解任された検事総長がメディアにばらしたことによって明らかになった。
これを傀儡政権と言わずして、何と言おう。

◆マイダン革命を受けて習近平に会いに行ったヤヌコーヴィチ大統領
時間的に少しさかのぼるが、マイダン革命が起きるとすぐに、ヤヌコーヴィチ大統領は北京に駆け付け、習近平に会って「中国ウクライナ友好協力条約」を締結している(2013年12月5日)。下に示すのは、その時の写真である。

出典:新華社
というのは、ヤヌコーヴィチは大統領に就任して間もない2010年6月に「中立を保ちNATOに加盟しない法律」を制定しているからだ。マイダン革命により辞任に追われることは明白だったので、「核」を放棄してしまっているウクライナとしては、安全保障を如何にして担保するかが、次の問題になるため、中国に「核攻撃を受けた場合に、中国がウクライナを守る」という保障を得たかったのである。
親米のポロシェンコ政権になっても、また現在のゼレンスキー政権になっても、「中国ウクライナ友好協力条約」は撤廃されていない。バイデンにとってはロシアを倒したいのであって、中国との友好条約を撤廃しろとは言ってないことが何とも興味深い。*(注)
核に関する問題は、3月29日のコラム<プーチンが核を使えば、習近平はプーチンを敵として戦わなければならなくなる――中ウ友好条約の威力>で考察したが、新しい情勢におけるさらなる考察は本論のテーマと異なるので、また別の機会に譲りたい。
*(注)なぜ中国なら大丈夫と思っているかというと、バイデンはNATOを支配していたいからで、NATOをまとめるには「巨大な共通の敵」がいないとならないからだ。それが「ロシア」であって、NATOは「中国」という敵がいてもまとまらない。なぜ中国ではまとまらないかというと、NATOはそもそも旧ソ連に対抗するために結成されたものであり、中国とは距離的にも遠くかけ離れていたので中国を相手にしていなかったからだ。
一方、NATOが存在しないとアメリカの存在価値は低くなり、武器も輸出できなくなるが、共和党のトランプ(元)大統領は「NATOなど要らない」として「NATO不要論」を前面に押し出していた。その代りに「アメリカ・ファースト」で「アメリカという国家の存在」を強く位置づけているところが「戦争ビジネス」をバックボーンとするバイデンと違うところだ。

遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。
つづく


写真:ビクトリア・ヌーランド
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