面授(第122回You Tube(カーター先生の死)、中沢 新一)(#75)
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 You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第122回You Tube(カーター先生の死)
https://youtu.be/RiXG0XSRi94
木庵:
私はどちらかというと、3番の汎神論が良いと思っているのです。キリスト教的なアプローチは、最初に神があるという前提の上で論じられているのです。神は何でもできる、何でも造れる、生命体も人間も造れるというのは、論理的に正しいのです。というのは、神を全知全能と仮定するからです。数学のようなものです。数学の一つの幾何学のことを考えてみると、最初に点を定義します。点は「質量も幅もない」ポイントと定義するのです。ということは、この世に存在しない想像の産物なのです。次にもう一つの点を想像し、二つの点の最短距離になる線を直線と定義するのです。それから直線の上か下にもう一つの点を想定して、それぞれを結んだものが三角形になり、点を増やすことによって、四角形、五角形となるのです。ここで大事なことは、幾何学は最初に設定した定義から派生するものであるということです。これはキリスト教と同じ展開なのです。キリスト教は最初に全知全能の神が存在すると仮定して、その前提の上に展開しているのです。ですから、最初の前提が仮に間違っていても、論理の整合性は正しいのです。これを演繹法、Dedactive Logicsと言います。論理学では、「AならばB」とう文章があるとすると、Aつまり前提になるものプレマイスが仮に間違っていても、「AならばB」という構文は正しいことになるのです。ですから、キリスト教の説く、「神は全知全能である」という前提が間違っていても、「神は全知全能であるので云々」の全ての構文は論理的に正しいことになるのです。
汎神論の場合は、最初に訳が分からないけど天地、自然が存在し、自然そのものに生命が宿るということになるのです。そうだとすると、訳の分からない天地には、きっと原因があるはずである。その原因は神だとすると分かりやすく論理的に正しくなるのですが・・・。そういうことで、汎神論には論理性においてあやふやであるということができそうです。そうなんですが、3つのアプローチを哲学的に考えたときに、どれが正しいかという結論を引き出せそうにないのです。
私のことを考えてみます。私は10歳のときに、私がなぜ存在しているか不思議でたまらなかったのです。私を造ったのは、お父さんでありお母さんであることは分かるのですが、10年前のことをまったく覚えていないのです。中学や高校になって、性教育を勉強し、お父さんの精液がお母さんの卵子と結合して私ができたというところまでは理解できるようになったのです。ですが、父は生涯に天文学的な精子を生産し、それが母の卵子に付着し、私を誕生させる確率は非常に低いということを考えたのです。ということは、私の誕生は殆ど奇跡に近いということになるのです。私が誕生したことは、摩訶不思議であったといえるのです。私が今存在していることは、これほど不思議なことはない、摩訶不思議なのです。
つづく


西部 邁の世界
中沢新一の名前は知っているが、彼の学問的な背景はよく知らない。そこで、また、 ウィキペディアを参考にする。木庵>
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ウィキペディア記事(中沢 新一)
中沢 新一(なかざわ しんいち、1950年5月28日 - )は、日本の宗教史学者。元中央大学総合政策学部教授。明治大学特任教授/野生の科学研究所所長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。

概説
クロード・レヴィ=ストロース、フィリップ・デスコーラ、ジャック・ラカン、ジル・ドゥルーズ等の影響を受けた現代人類学と、南方熊楠、折口信夫、田邊元、網野善彦等による日本列島の民俗学・思想・歴史研究、さらに自身の長期的な修行体験に基づくチベット仏教の思想研究などを総合した独自の学問「対称性人類学」を提唱する。
2011年の東日本大震災以降は、エネルギー問題、現代における政治参加の問題についても思考しており、実践的な活動として2013年には「グリーンアクティブ」を設立した。


略歴
山梨県山梨市出身。
父・厚に連れられ、しばしば山梨県内の遺跡や民俗信仰の痕跡に調査に出かけていたという。早稲田大学文学部に入学するも、翌年には東京大学教養学部理科二類に入学し、生物学者を目指す。 植島啓司に誘われて宗教学者の柳川啓一の講義を聴講し、それがきっかけで宗教学に転じて文学部宗教史学科に進む。


柳川啓一ゼミ
東京大学文学部宗教史学科で柳川啓一のゼミに所属。ゼミでの柳川は、宗教の中心にあるのは、人は儀礼において「聖なるもの」を体験することで子どもから脱して大人になることができるという「イニシエーション」であるとしており、宗教学者は本を読むだけでなく、イニシエーションを直接体験しなければならないと主張、柳川ゼミでは、聖なるものを体験させてくれる宗教を見つけて「潜り込み」調査をする、自ら信者になって体験するということが行われていた。

ネパールへ
中沢はその対象にチベット密教を選び、大学院人文科学研究科博士課程在籍中の1979年(昭和54年)、チベット密教の修行のためにネパールへ赴いた。チベット学者の石濱裕美子によると、中沢がチベット密教に興味を持ったきっかけは、ドイツ人アナガーリカ・ゴーヴィンダまたはラマ・ゴーヴィンダ、本名エルンスト・ロタル・ホフマン(1898年 – 1985年)の自伝的著作『白雲の彼方に』である。カトマンズ盆地のボダナートに住んでいた亡命チベット人ラマであるケツン・サンポ・リンポチェ(1920年-2009年)に師事し、亡命ニンマ派の初代管長ドゥジョム・リンポチェやその跡を継いだディンゴ・ケンツェー・リンポチェにも会った。中沢が師と仰ぐケツン・サンポ(転生活仏ではないが後にケツン・サンポ・リンポチェと尊称される)は、ゲルク派の僧院で学問を修めたことのあるニンマ派のラマで、還俗して在家密教行者(ンガッパ)となった人物である。1959年にインドに亡命し、翌年ダライ・ラマ14世の要請でドゥジョム・リンポチェの代理として日本に派遣され、10年間、東洋文庫の研究員を務めながら東京大学などでも教鞭を執っていた。チベット学者の山口瑞鳳は彼は東洋文庫で自分の助手をしており、日本語が堪能であったと述べている。以後、ネパール、インド、シッキム、ブータン等で、ゾクチェンと呼ばれるチベット思想や瞑想修行法を学ぶ。「仏教の出てくる根源」への関心から行ったこの修行の影響が、後の中沢の思想を大きく特徴づけるものとなる。1981年、チベット難民の住む土地での寺院建立に向けて、ケツン・サンポとの共著名義で『虹の階梯 - チベット密教の瞑想修行』を出版する。

体外離脱体験
チベット密教の修業を始めて7日目の晩、いつものようにヘックという掛け声とともに心滴を頭頂から抜き去った瞬間に体外離脱が起きたと主張する。中沢はこの時、自分が身体の外にいて自分自身の肉体を見下ろしていることに気付いた。中沢は師であるラマに嬉々としてこの様子を話したが、ラマは冷淡に体外離脱体験の価値を否定するとともに、瞑想によって体験した意識の状態の絶対化を戒めた。このことにより、中沢は一気に不安な状態へ追い込まれる。

ネパール帰国後
1982年にネパールより帰国。博士課程を満期退学中沢新一の写真し、1983年4月から1993年まで山口昌男のもとで東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手を務める。1983年、『チベットのモーツァルト』(せりか書房)を発表。同書は、同じく現代思想的な内容を扱った浅田彰の『構造と力』とともに同年の話題書となり、2冊は人文書としては異例の売り上げを果たした。世界的な人類学の再編成が行われた1970年代にはみずからの研究分野を文化人類学の一領域としての宗教人類学に限定したが、『チベットのモーツァルト』以後の領域横断的な活動によって、中沢は一部で新しいアカデミズムのスタイルを体現する知識人として受け入れられ、人気を博した。中沢・浅田のふたりは、前後にデビューした他の若手研究者とともに「ニュー・アカデミズムの旗手」に祭り上げられる。しかし、本人は「当時ニュー・アカデミズムと呼ばれた一種の言語構築主義に対する反発」から、ダーシー・トムソンの生物学、ゲーテの自然論、デューラーの人相学等から影響を受けたというレヴィ=ストロースの神話研究や、人里離れた熊野の森の中で華厳経の研究を行った南方熊楠の思想に惹き付けられ、その成果として『雪片曲線論』(青土社)という論集が書かれたという。

1987年から1988年に東京大学で中沢を教官として受け入れるか否かを巡り騒動が起きる(東大駒場騒動)。1989年から1991年は国際日本文化研究センター研究員を務める。1992年(平成4年)、南方熊楠についての包括的な研究『森のバロック』(せりか書房)を発表。最新の社会学、カルチュラル・スタディーズなど現代思想の表舞台には背を向け、『東方的』(1991年)、『森のバロック』、『はじまりのレーニン』(1994年)など、反時代的な人物や思想を取り上げる反時代的な書物を書き上げることに熱中したという。

1993年に『チベット死者の書』として知られるニンマ派の『バルド・トェ・ドル』やそれに関連するゾクチェンの思想について述べた『三万年の死の教え - チベット『死者の書』の世界』を発表。NHKで放映された『NHKスペシャル チベット死者の書』の脚本も担当し、評判を呼んだ。著者によれば、本書は『バルド・トェ・ドル』の仏教としての正統性を問う以前に、その思想を人類の精神史という普遍的な文脈において論じようとしたものである(チベット学者の山口瑞鳳は、埋蔵経典である『バルド・トェ・ドル』は偽経であると批判している)。

1993年には中央大学に新設された総合政策学部に教授として就任。同じく1997年に新設された中央大学大学院総合政策研究科教授を兼任する(2006年3月まで。2006年度は同客員教授)。1998年にはチベット仏教ニンマ派の伝承するゾクチェン思想の翻訳・伝承の採集など基礎研究活動を目的とするゾクチェン研究所を設立。。2006年4月、中央大学から多摩美術大学に移籍し、「21世紀の人間の学を、芸術を機軸とし人類学を基盤として再構築するため」の新たな研究拠点として多摩美術大学芸術人類学研究所 (IAA) を開設。同大学美術学部芸術学科教授を兼務しつつ、初代所長として「芸術の発生学」「神話の生命力」「野外をゆく詩学」「ユーロアジアをつらぬく美の文明史」「生命と脳」「平和学の構築」という6部門の研究プロジェクトを推進した。こうした研究成果は、2011年に第二代所長に就任した鶴岡真弓に引き継がれる。また、2006年6月より糸井重里の主催する「ほぼ日刊イトイ新聞」で「芸術人類学研究所 青山分校!と題する全7回の講義を実施。2011年、日本文明の潜在能力を目覚めさせ21世紀に必要とされる「新しい学」の創出をめざす「明治大学 野生の科学研究所」 (ISS) が設立され、その所長に就任。2013年(平成25年)より河合隼雄学芸賞選考委員を務める。


木庵の反応
<上の記事だけでは、中沢新一の思想を知ることはできないが、興味のある学者であるのは間違いない。特にチベット仏教を修行した中沢に興味をもつ。彼の神秘体験、「体外離脱体験」は木庵に言わせると「妄想」である。木庵も禅の修行を一生懸命やっていたとき、神秘体験のようなものを経験したことがあった。しかし、これはイル―ジョンであり、「迷い」と解釈した(以前ブログで、『チベット死者の書』を取り扱ったことがある)。

ニュージーランドを旅行したとき、キリスト教の宣教師と同行し、ホテルも同室であった。毎日のようにイエスの話を聞いていると、あるとき、壁にイエスの姿が見えた。その時に思った。「神秘主義者はこのような体験をイエスの再来とみるだろう」と。それに対して、クリスチャンでない木庵は、ただの「幻想」であると解釈した。

中沢個人の神秘体験を基軸にして、彼独自の学問を構築しようとしているのであろう。このアプローチは面白い。所詮学問といえども、己の感性から派生するものであるから。木庵>
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写真:中沢新一
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