面授(第121回You Tube(日本の近い将来)、メキシコ旅行記(財テク))(#67)
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 You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第121回You Tube(日本の近い将来)
https://youtu.be/SVW4xSM-6p4
木庵:・・・
戦争に敗れ、GHQが入ってきました。日本は戦争において非常に強かったのです。特に兵隊は強かったのです。ですから、GHQは日本を弱くするために、日本の伝統を破壊しようとしたのです。ただ天皇制の一部を温存しました。天皇陛下は処刑を免れたのです。天皇陛下を処刑などしようものなら、日本国民は黙っているわけがなく、GHQの統治は不可能であったのです。それでも、日本文化の破壊を色々なところで遂行していきました。日本側もGHQに寄り添うようになりました。吉田茂に代表される、似非保守が現れました。「日本のため」とは表面上は言っていても、中身はアメリカ追従であったのです。現在の岸田さんは、最悪で、まったくのアメリカのポチです。
そういう中で、今年はどうなっていくのでしょうか? ただ、経済面で非常に良くなっていると、You Yubeなどでは伝えています。一つはトヨタが水素エンジンの開発を行い、もう実用化の目途がついているというのです。このように日本の製造業は奮起するようになっているのです。日本では過去30年間、経済の停滞に喘いでいました。日本人の給料は30年間同じという状態であったのです。その間に中国に追い越されました。中国だけでなく、他の国はどんどん成長しているのに、日本だけ停滞していたのです。そして、日本人は意気消沈し、やる気をなくしていると思っていたのです。ところが、今年あたりから、製造業の復活が望めそうです。やはり日本の底力は凄いですね。
石油によらず、水素でエンジンを動かすなんて、まったく日本人でしかできないことです。それにプリウスも結構奮闘しています。日本のテクノロジーの力は素晴らしいです。一時EV、「電気自動車の時代が来る」と言われていました。現に中国では大量の電気自動車が製造されています。アメリカもよく売れています。ところが、最近「EVは駄目だ」という声が大きくなっています。カナダだったかな、寒波が押し寄せ、EVの電池が作動しなくなるという事が起きました。それに電気を補充するステーションを多く造らなければならないとか、充電に時間がかかりすぎるとかいうような、不評が多くなってきています。「まだまだプリウスの方がよい」という声が多いようです。そういうことで、今後日本の自動車産業は、さらに世界をリードすることでしょう。
それに半導体のことですが、半導体は一時、1990年代だったかな80年代だったかな、日本は世界の半分ほどのシェアーを誇っていました。ところが、ある時期から急下降線を辿るようになりました。その理由は、日本は高品質を求め過ぎたためです。それに耐久性も追求しました。15年使えるような製品を開発したのです。大企業や大手の銀行が使うコンピューターの中に入る半導体の開発を行ったのです。ところが、新しい時代の波が押し寄せてきたのです。大企業が使うようなものではなく、一般の人が使うパソコンやアイフォンなどの需要が増えてきたのです。一般の人達が使うものは、そんなに品質を要求しないのです。それに2、3年使って、新しいモデル、デザインに買い替えるようなものです。この動きに乗ったのが、韓国のサムソンなどの会社です。このような会社の製品は安いものですから爆発的に売れて、日本の半導体はもう駄目だと思われるようになったのです。ところが、今そうでもなくなっているのです。起死回生の時代が来たのです。
つづく


メキシコ旅行記(財テク)(#2)
今回のメキシコ旅行では、メキシコ・アメリカ国境から普通なら車で2時間ほどかかるバッハカリフォルニアの北部観光地 Ensanadaと、そこよりさらに南に1時間ほどの La Buffadiraにそれぞれ一泊した。どちらもに海岸線にある。一泊目のホテルのマネージャーが言った。「オリエンタルの観光客はほとんど来ない、それも日本人は全くと言ってよいほど来ない」と。Ensanadaでフィリピン人であろう観光客を三人見ただけである。なお、グレーシーが死んだのはBuffadiraであった。#1では旅行記としてはあまりふさわしくない「死」というテーマで書いてしまった。さて#2ではどのようなテーマにするか、今のところ思い浮かばない。書いていくうちにテーマが定まってくるかもしれない。
メキシコ旅行をしたといっても、メキシコのほんの一部を訪れただけである。ウイッキペディアで調べると、メキシコは日本の3倍もの広さがある。人口は1億をほんの少し越す程度である。人々の表情を見ると、陽気さが伝わってくる。といっても、我々が行ったのはアメリカの国境線に近い、アメリカの影響を強く受けているところ。レゾート地のわりと格好の良い家はアメリカ人の所有物が多い。テレビでエンジェルの試合が放映されていた。スペイン語の解説で松井のバッティングの姿を見るのも少し奇妙な気持であった。レストランで食事を待っていると、一人の男が携帯で汚い英語の言葉を連発していた。後で「見苦しい会話を聞かして申し訳ありませんでした。ちょっとした仕事のトラブルがありまして・・」と、先生と私に謝ってきた。聞くところによるとレントゲン技師としてメキシコで働いているという。二日目の泊まったホテルというか家もアメリカ人の所有物であった。元々はカリフォルニアで生活していたのが、年老いて、メキシコのこの地、Buffadiraで家を買い、老後の生活をしながら。ホテル業のようなことをしている。我々が泊まったときは、我々以外に客はいなかった。この老婦人と掃除をするおばさんだけである。もし全部の部屋が満席になれば、恐らく7つぐらいはあるのだろうか。ホテル(?)の外側には車を停める場所があり、それも貸している。ホテルに泊まるのではなくキャンピングカーを駐車し、その中で寝るような人のために提供しているのである。そこでは料理もでき、キャンプ地より整った設備を提供している。
木庵はまずサンジェゴの先生の家に立ち寄り、先生の家の近くに住む娘さんの家でのパーティーに参加したあと、メキシコの国境の近くにあるJamul、 (ハモアと発音するらしい?)というところにある先生所有の山小屋で一泊した。次の日メキシコに向かった。ハモアはメキシコ国境線から車で20分ほどのところにある。



先ず、山小屋の様子を説明しよう。↑の写真を見てもらいたい。先生所有の土地の総面積は8.5エーカーである。エーカーという単位にあまりなじみがない読者のために、8.5エーカーの広さを分かりやすく説明する。以前木庵が2.5エーカーの敷地の中にある22軒分のモービルハウスを買おうとしたことがあった。その広さと比較すると分かりやすい。2.5エーカーとは200メートルトラックがある日本の小学校の運動場(シーソーや砂場などの子供の遊び場を含めた)ぐらいの広さであったことを記憶している。8.5エーカーとはその約3倍になる。このあたりは半砂漠地帯で、それでも冬には雨がよく降る。8.5エーカーとはこのあたりの一軒の山小屋を建てるための最低単位であるらしい。これ以上になると環境何々法による規制(?)があるらしい。また、8.5エーカーとは、一つのタンクでここで生活する人の水を供給できる最小限の広さだという。つまり8.5エーカー以下であると住民の使用する水の量が地下からくみ上げる水の量を上回り、枯渇させてしまうことになる。ところでこの水は最高に美味しい。別に殺菌しなくても、そのままきれいな水が出てくる。その水を植木にも与えている。右上に二つのタンクがある。ここより約40メートル先が境界線で、約200メートル1辺の不完全正方形が先生の敷地であると考えればよい。写真には映っていないが、敷地内に先生の奥さん専用のアトリエの別棟がある。なお先生はもう一軒16エーカーの山小屋も持っていた。といっても2年前の山火事で燃えてしまった。燃えてくれたことは先生にとってラッキーであった。というのは保険金が100万ドル(1億円ほど)入ってきたからである。アメリカの金持ちはどんどん金持ちになるシステムが分かるような気がする。先生は大学の哲学の先生でありながら、アパート経営で財をなした。

先生の財テク
ここまで書いて、ようやく#2のテーマが浮かんできた。それはメキシコ旅行を一緒にしたカーター先生の財テク法である。今回の旅行記では、どこに行って、そこでどうしたというようなものを書くのではなく、カーター先生というアメリカの哲学の先生と木庵の人間性を浮かび上がらせたいと思っている。そのためにも、カーター先生のことについて触れなければならない。山小屋の写真を見ただけで、日本の読者の方はすごく金持ちであると思われるだろう。7年前に先生が山小屋を買ったときは。約40万ドルであった。約4千万円ほどで、それほどの額ではない。それより、先生がどんどん金持ちになっていくプロセスを知っているので、その一端を簡単に説明する。
先生はこの山小屋購入前に、ロスで家を持っていた。この家を建てるときの様子を木庵は知っている。この家のペンキ塗りを木庵はしたぐらいであるから。その家を建てる前に、この家の敷地を含めた家を購入した。40年前あたりだろう(このときはまだ先生との接触はない。なぜなら木庵はまだアメリカに来ていないから)。その家は広い敷地と付属とした小さな家が6軒ついていた。それもそれほど高価でなかった。それから、この付属の6件の家を売り、6ユニット(ユニットという単位は部屋数のこと)のアパートを買った。これがアパート経営の始まりである。その後アパートの件数を増やし、ロスからサンジェゴに引越するまでの間に全部で60ユニットほどのアパート所有者になった。一番最初に買った家(広い敷地と6件の付属の家を備えた)を売り、その金で元々の敷地に大きな家を建てた。これは今から20年ほど前であった。そして7年前、この家を70万ドルほどで売り、山小屋に越してきたのである。それもこの7年の間に、ロスのアパートを徐々に整理しながら、サンジェゴで新らしくアパートを買い、山小屋ももう一軒それにサンジェゴの街中にも家を購入している。先生の財テクのコツはアパートからの収入がある程度になると、さらに新たなアパートを購入していること。住宅価格高騰という良い時期も経験している。それも新しく購入した物件を改築やリモデルして価格を引き上げている。このように雪だるまのようにどんどん金持ちになっているのである。
木庵は先生のアパート経営のノウハウをある程度学んだのであるが、完全に先生のやり方をコピーはしていない。というのは、金に対する根本的な体力が違うからである。しかし良いサンプルであるとは思っている。木庵がアメリカに来てアメリカ社会を観察していると、真面目に働きさえすれば、年金をもらうまでにちょっとした家が所有できる。財テクの才能のある人は先生のように金持ちになれる。そのようなシステムがアメリカ資本主義社会にはあるようである。アメリカ社会での価値は簡単明瞭、「金」である。よい歳をして金がない、自分の家さえもっていないような人は、社会のせいではなく、その人の心がけが悪かったからであると判断できる。先生のように誰でも雪だるま式に財産が増えるわけではない。アメリカ社会には誘惑が多く待っている。その最大の誘惑がドラッグである。多くの人間がこの悪魔に犯され、人生を台無しにしている。先生を観察していると、よく働き、そして無駄な金を使わない倹約の生活が身についている。つまりアメリカ社会でも、よく働き、倹約する、それに社会的信用をつけるために、嘘のない生活を送ること、日本の古典的な生き方と全く同じものを発見する。ようするに人間として信用できるようになることが財テクで必要であるということである。ただ、先生レベルではなくアメリカの富を独占するような人々の発想はただ単なる道徳だけでは計り知れない、その上を行く悪魔の財テクがあるのだろうが、そのことをここでは論しない。一般的なアメリカ人の財テクとして先生の成功話を紹介したまでである。先生という良きアメリカのサンプルに接することにより、少しは木庵はアメリカ社会を覗くことができたのであろう。今回の旅行にあたっても、先生の新しい人間性を発見できるのであろうか。


写真:先生の山小屋
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