面授(第118回You Tube(12年ぶりに日本を訪れて見えてきたもの)、「肝胆相照らす」の意味、日本は天皇の知らす国)(#50)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。
メールアドレス:takaonaito03@gmail.com;
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⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*40分でズームは切れる(延夏目夏目夏目さんのコメント(その1)さんのコメント(その1)さんのコメント(その1)長する場合は、再開する必要あり)。
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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。
https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。

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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第118回You Tube(12年ぶりに日本を訪れて見えてきたもの)
https://youtu.be/kS1RYP6NKIY

芥川:今夏目さんが「元は神だ」とおっしゃったことは、私はそう思わないのです。元々人間なのです。人間から神が出てきたのです。そこのところが違うのです。日本の神話を見ていると、最終的に最初に人間がいるのです。人間がいて、その後神様が出てくるのです。西洋で言われていることとは、逆なんです。神が人間を造ったのではなく、人間が先にあったと思うのです。

木庵:神話の世界において、古代には何々の命 (みこと)と言っていたのです<木庵注: 古事記の表記では「命」に統一、日本書紀では、至って尊いお方には「尊」。それ以外には「命」と使い分けていた)。実は人間は神として呼ばれていたのです。例えば、芥川さんのことを、「芥川の命」という言い方をしていたのです。人間を神と見ていたのです。では夏目さん、どうぞ。

夏目:古事記を見ますと、「天地(あめつち)初めてひらけし時、高天の原(たかあまのはら)に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」とあるのです。これは要するに、天地が出来てから、神が誕生し、神を人間のように描いているのです。芥川さんがおっしゃったように、人間と神は一つで、近いなあということなのです。このことは、我々日本民族の偉大な発見じゃないでしょうか。そう思います。

木庵:古事記に書かれている「何なにの神様」というのは、実在の人々を総合したものとして捉えているのです。つまり、人間の営みを神として表現しているのです。だから、日本は元々神がこの世を造ったのではなく、自然が先ずあり、その自然から神が生まれたということなのです。自然の中から人間が生まれたという解釈なのです。では、芥川さんどうぞ。

芥川:今のところありません。

木庵:では、今日話し合ったことを、夏目さん、まとめてください。

夏目:期せずして3人の侍が集まって、文化論、宗教論を戦わせているのです。これは、一種の集大成であったと思います。過去何年間、こういうことをやってきて、御膳立をしたものが、今ここに結実したのではないかと思います。これは非常に素晴らしいことであって、また大勢の方の参加があり、素晴らしい神の花園がここに生まれるということを期待しています。

木庵:それでは、このあたりで終りましょう。今後芥川さんが参加されることを希望します。切りますよ。最初に言い忘れましたが、「明けましておめでとうございます」。

夏目:おめでとうございます。では最後に笑いで閉めましょう。ワッハッハッハー、 ワッハッハッハー。

木庵:いいですね。では切りますよ。

芥川:では・・・

夏目:では、また会いましょう。

木庵:いや、画像が切れていません。

夏目:あと、3分あります。

木庵:今回面白かったのは、芥川さんが参加され、考え方が変わったことです。人間が変わるということは、とても良いことです。私に言わせると、芥川さんは、非常に頑固で、自分の考えを変えない人です。ところが、この度日本に行って考え方が変わったのです。このことは、素晴らしいことだと思います。最後に芥川さん、述べてください。どうぞ。

芥川:その通りです。今回の旅行は最高でした。自分自身を見つめ直す、日本民族のことを考え直す、日本がどれだけ世界の中でのリーダーになっているか。精神において上の方に位置している国民であることを、肌でひしひしと感じました。

木庵:それはいいですね。私もこの春に日本に行くことになっているのですが、芥川さんのように新しい発見をしたいと思います。はい、切りますよ。
おわり



夏目さんのコメント(その1)
工藤俊作艦長の詳しいデータをアップして下さり、有難うございました。またコメントを送信した後で、誤字に気が付きました。ゼロ戦の処で、「邯鄲」は間違ひで、「肝胆」が正しいです。遅まきながら訂正いたします。

木庵の反応
<「邯鄲 相照らす」と見たことのないような漢字があり、検索で調べてみた。そこには、以下の記事がでてきた。木庵>

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肝胆相照らす(読み)かんたんあいてらす
精選版 日本国語大辞典 「肝胆相照らす」の意味・読み・例文・類語
かんたん【肝胆】 相照(あいて)らす
互いに心の底まで打ち明けて親しく交わる。互いに心の中まで理解し合って親密に交際する。
※政治小説を作るべき好時機(1898)〈内田魯庵〉「同儕相陥穽し肝胆相照(カンタンアヒテラ)し」 〔故事成語考‐朋友賓主〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「肝胆相照らす」の意味・読み・例文・類語
肝胆かんたん相あい照てら・す
互いに心の底まで打ち明けて親しくつきあう。「彼とは―・す仲だ」
[類語]心が通う・心を通わす・気が置けない・胸襟を開く・腹を割る・心を開く・心を許す・気を許す・以心伝心・呼応・意気投合・合意・コンセンサス・息が合う・反りが合う・反り・馬が合う・気が合う・肌が合う・琴瑟きんしつ相和す・打てば響く・つうかあ・ファミリア・フレンドリー・アットホーム・ドメスティック・家庭的・打ち解ける・解け合う・馴染む・親しむ・心安い・水いらず・親しい・近しい・気安い・睦むつまじい・親密・懇意・昵懇じっこん・懇親・別懇・懇ねんごろ・親愛・和気藹藹あいあい・仲良し・人なつこい・取っ付きやすい・懐こい・如才ない・調子がいい・なれなれしい・馴染み深い・つうつう・応える・共鳴・同感・共感・拈華微笑ねんげみしょう・心を合わせる・心を一にする・心を交わす・心を以て心に伝う
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

故事成語を知る辞典 「肝胆相照らす」の解説
肝胆相照らす

互いに心の底を打ち明け合える間柄のたとえ。

[使用例] 私にしても、竜田君とは長年の親友ですよ。肝胆相照らした仲だったのです[高木彬光*検事霧島三郎|1964]

[由来] 「西京雑記―三」に見える逸話から。紀元前三世紀の終わり、秦しん王朝が滅びた際に、その宝物庫の中から、人の体の内部を映し出せる鏡が出てきました。暴虐で知られた秦の始皇帝は、それを使って「宮人を照らし、胆きも張り心しん動けば則ち之これを殺す(女官たちの内蔵を見て、胆たん囊のうや心臓がびくびくしていたら、殺してしまった)」とのことです。ここから、「胆を照らす」という表現が生まれました。また、「肝胆」は、「肝胆を披く」のように、まごころのたとえとして使われます。「肝胆相照らす」は、この二つから生じた表現かと思われます。
出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報

ことわざを知る辞典 「肝胆相照らす」の解説
肝胆相照らす

たがいに心の底をうちあけて話すことができる。深く理解し合ってつき合える。

[使用例] それから僕は爺さんと大いに肝胆相照らして、二週間の間面白く逗留して[夏目漱石*吾輩は猫である|1905~06]

[解説] 「肝胆」は肝臓と胆嚢。

・・・

<そうではあるが、「肝胆」を「邯鄲」と書くのだろうと思って、そのままにしていた。木庵>



夏目さんのコメント(その2)
日本は天皇の知らす国である。(竹田恒泰先生)

Bing 動画

 これは3年前のヴィデオであるが、日本国家とは如何なるものであるかについて、竹田先生の大変に分りやすいお話が、新年の放送に相応しい内容である。
夏目


木庵の反応
<上の動画がでてこなかったので、以下の記事を検索した。木庵>

・・・


検索した記事
日本書紀に記された「治す(シラス)」という言葉が深いから紹介したい


小野照崎神社
2020年10月23日 00:49

今年は、720年に完成した日本の最古の正史『日本書紀』が編纂されて1300年の記念の年。

『日本書紀』は歴史書ですし、当然現代で読むには翻訳や背景の理解が必要で、とっかかりづらいイメージがあると思うのですが、実際に読んでみると、日本の国柄というものへの理解が深まるだけでなく、怒ったり、拗ねてみたり、喧嘩をしたり……どこか人間らしさを感じ、遠い存在だと思っていた神様を身近に感じることができる本です。



◆神話に記された「シラス」という言葉
前回の記事でもお話をさせていただきましたが、『日本書紀』には現在の日本が持つ様々な文化の基となっている話が多く記されています。


まだ読んでいない方は是非…!

『日本書紀』の中で、天照大御神は「三つのお告げ(神勅)」を子孫に授けますが、なんと、今でもこの三つの神勅の教えは、日本という国に生きているんです。
お告げの一つである「天壌無窮の神勅」の原文等で見られる特徴的な表現として「治す(シラス)」という大和言葉があります。

「シラス」とは、武力や権力で「力の支配」を行うのではなく、国を"家"・国民を"家族"と捉え、天皇が国と民に深い関心を持って広く知り、国民一丸となって稲(富)を利することで幸せな国を作るようにと天皇が「臣に権力を与える」国造りを指します。

深い結びつきの中で国と民を広く知り、その在るべき姿を天皇自らがお示しになられることで、「共に歩み、育んでいく」姿勢で国が治まる国のありかたを最上とする考え方。

3つのお告げの一つである「天壌無窮の神勅」は、現在の日本独自の国家統治の在り方の基になっているのです。


◆皇后さまが受け継ぐ日本の養蚕(ようさん)
天皇陛下が忙しい公務の合間を縫って稲作に取り組まれている傍ら、皇后さまは養蚕に取り組まれています。

『日本書紀』には、"天皇が皇紀に桑摘みと養蚕を勧められた"という記述があります。こうした歴史を大切に、皇居内にある天皇家の養蚕所「紅葉山御養蚕所」では歴代の皇后陛下がご養蚕を行われ、こちらで作られた絹は宮中の行事でのお召し物や、外国への贈り物にされています。

蚕にも品種があり、質の高い絹を効率よく産する蚕は限られています。
小石丸という純国産種は、日中交雑種などに比べて繭が小さいことなどから飼育中止が論議されたこともありましたが、歴史的な御物の復元や修理を当時と同じ材料を用いて行えるように との上皇后陛下のご配慮で小石丸の養蚕は続けられ、今も様々な遺物の修繕に用いられ伝統の継承を支えています。

天皇陛下の稲作も皇后陛下の養蚕も、いわゆる「ご公務」とは違います。
また、稲作によってできた米が新嘗祭に使われるものの「宮中祭祀」という位置づけではなく、ふたつとも「伝統文化の継承」に位置づけられています。

御心を「シラス」行為として、昔と今の❝こころ❞を繋ぐ伝統文化の継承を御自ら行われているのです。
◆天然の繭で作られた「まゆ玉みくじ」
当社にはそんな養蚕にちなんだものがあります。当社のおみくじは、すべて繭で守られた「まゆ玉みくじ」です。

神様からの言葉としてのおみくじを守り届ける「まゆ玉みくじ」。
繭は蚕を守り育むものであり、古来から神様へ捧げる最高級の献上品である絹を生産することから、「福を招くもの」「災厄を退けるもの」とされています。

おみくじは神様からの言葉として、今のご自身に必要な言葉が書かれています。神様の示された言葉を大事に守って、繭に入れて結んでいただくことによって、新たな良き明日を育むことができます。
引いたおみくじはぜひお持ち頂き、節目節目に見返しください。

また、「幸せみくじ」はふくろうの姿を模したかわいらしい形をしています。
同封の「願い文」に願いを託し、御神前の結び処に繭ごと結ぶことで願いを育みます。知恵の象徴とされているふくろう。
ふくろうという名前は「不苦労(ふくろう)」と「福が朗々(ろうろう)とあるように」、という言葉とも掛かります🦉

おみくじに書かれた言葉を自らの心に照らし合わせ、神様のお導きを戴(いただ)いて、心豊かにお過ごしください😊


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小野照崎神社


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東京入谷にある、852年創建の「小野照崎神社⛩(おのてるさきじんじゃ)」公式noteです。 こちらでは神社の情報や、生活の中にある日本の文化やこころについて発信していきます😊 ◆毎月更新 ・月替わりの御朱印 ・待ち受け壁紙 http://onoteru.or.jp/


木庵とerasusさんの問答
<今回は木庵が直接先生の山小屋に行き、木庵の車に先生が乗ってもらうなら、先生もテカテに行けるだろうと考えた。そのことを先生も奥さんも了解されたのだが、「木庵君、なぜメキシコに行くのかね」と同じことを先生は4回尋ねられた。テカテの町を一緒に探索している時、先生が木庵の近くを歩いておられるかどうかを絶えずチェックしなければならなかった。元木庵>
 -他人(ひと)が断定すると、
 оその他人(ひと)の断定に振り回される
 -のであり、
 о安易に他人(ひと)の断定に乗ってしまう
 -のである。われらが木庵先生は、
 о他人(ひと)に安易に同調する人物ではない
 -と思うが、
 о奥さんの懸念が伝染している
 -のであり、
 оどちらも<カーター先生>大事では一致している
 -ものだから、
 оついつい同期してしまう
 -のであろう。
<奥さんに同調したのではない。奥さんの言ったことを木庵の目で確認したのである。その結果がやはり先生には日常性の呆けが始まっているということである。新木庵>


写真:小野照崎神社
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