面授(第116回You Tube(大谷選手の心の中にある八紘一宇の精神))、五嶋龍、『勇者の赤いバッヂ』)(#34)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。
メールアドレス:takaonaito03@gmail.com;
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⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*40分でズームは切れる(延夏目夏目夏目さんのコメント(その1)さんのコメント(その1)さんのコメント(その1)長する場合は、再開する必要あり)。
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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。
https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
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*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。

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木庵の般若心経(3回目)
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https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
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第116回You Tube(大谷選手の心の中にある八紘一宇の精神)
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https://youtu.be/Hu82sBLxSyI
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木庵:・・・・
仮に日本という国が存在していないとすると、今の世界はありえないのです。50年ほど遅れているんじゃないかと言われるのです。野球の世界もそうですけど、今私が注目しているのは、吉村妃鞠(ひまり)という女の子です。10歳までに日本・欧州などの42のコンクールで1位を獲得しています。私は毎日のように、You Tubeで彼女の演奏を聴いています。彼女のお母さんもお婆さんもバイオリストなのです。私は彼女が8歳の時のコンクールでの演奏を聴いているのですが、8歳であれだけ指が動くんだ、それより、物凄い音楽性をもっているのです。彼女のことを、非常に辛口の批評家の口から、「モーツアルトの再来だ」と言わしめているのです。他にもバレーやありとあらゆることにおいて、世界をリードする人がどんどん現れているのです。不思議でしょう。大谷さんだけではないのです。文化的なことだけでなく、技術面においても素晴らしい人が現れているのです。日本は本当に素晴らしいのです。岡潔先生が言っていますよね。「数学の大発見は、日本人でしか出来ないだろう」と。何か分かるような気がします。
縄文時代が1万年以上も続きました。縄文文化の土壌の上に天皇制が展開したのです。そして、ユダヤ人が日本にやってきて、ユダヤ人の知能が日本に影響を与えました。日本という島国の中で、世界にはない、素晴らしい、純粋なものが培養されたのです。そういう伝統があるから、いつも同じような結論になるのですが、日本の文化が世界に貢献するのです。こういうことなのです。あと続けてください。

夏目:バイオリンでは五嶋 みどりさんという女性がいますね。この人はもっと年上ですけど、お母さんが英才教育をして、ニューヨークで長年住んでいて、みどりさんの弟さんがいますね。龍(りゅう)という名前で、この人も素晴らしです。

木庵:龍(りゅう)さんは、ハーバード大学の物理学で博士号をとったのかな? 博士号はとったかどうか知りませんが、ハーバードで理工系で、バイオリンも優れているというのです。実は私はみどりさんのお母さんの講演をロサンゼルスで聞いているのです。みどりさんに対して「徹底したスパルタ教育をした」と言っていました。みどりさんは、龍さんとは、お父さんが違うのです。
夏目:そうなんですか。

木庵:「同じ曲を演奏しても、全く違う音楽になる」と、お母さんが言っておられました。お母さんはなかなかの気さくな人で、「私はなんでもやりました。みどりにスパルタ教育をやりました」と言っておられました。このみどりさんを超えるのが、吉村妃鞠さんなのです。みどりさんのことを「モーツアルトの再来」などと誰も言わなかったでしょう。 吉村妃鞠さんの場合は「モーツアルトの再来」と、ヨーロッパの著名な人が言ったのです。彼女の演奏を聞くと、「神様、天使の音楽だと思うのだ」そうです。おぼこい、かわいい顔の女の子なのですが、素直で普通の女の子ですが、ただお母さんが日本を代表するバイオリストですので、お母さんが「こう弾くのですよ」と教えると、素直だから、そのまま演奏するので、それが素晴らしいということだと思うのです。私は、毎日彼女の演奏を聴いています。
つづく


木庵の横槍:<五嶋 龍さんのことを、「ハーバードで物理学の博士号をとったのではないか」のようなことを言ってしまったが、博士号はとっていない。物理学を勉強したのは間違いなかった。そこで、ウィキペディアで調べた。木庵>

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ウィキペディアの記事(五嶋 龍)
五嶋 龍(ごとう りゅう、1988年7月13日 - )は、アメリカ・ニューヨーク州出身のヴァイオリニスト。「ブライアン」というミドルネームを持つ。母は五嶋節、姉(異父姉)は同じくヴァイオリニストの五嶋みどり。

人物・経歴
ニューヨーク市にあるトリニティ高校を経て、2005年12月にハーバード大学に合格。物理学を専攻し、2011年に同大学物理学科を卒業。

3歳よりバイオリンを始めた。母である五嶋節と建部洋子、ビクター・ダンチェンコ、チョーリャン・リンに師事。1995年夏、7歳の時に、札幌市にて、パシフィック・ミュージック・フェスティバルのオーケストラとパガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」で共演し、デビュー。
2003年9月11日に、ニューヨーク市のグラウンド・ゼロにおいてのメモリアル式典で演奏した。同年に、ドイツの名門クラシックレーベル、グラモフォンと専属契約。
2006年6月20日より、初のジャパン・ツアー「五嶋龍 ヴァイオリン・リサイタル 2006」を開催。
ヴァイオリン以外に、趣味として空手道松濤館流を7歳から続けている(日本空手協会公認三段)。他に、ギター演奏や音楽社会奉仕活動を趣味として挙げている。また、幼い頃からの鉄道ファンでもあり、これが縁でJR東日本の広告に出演したことがある。
幼少期はアメリカにおいて日本人というだけでいじめられたが、家庭ではいじめを跳ね返す力が必要だと教えられ、そのためにバイオリンに打ち込んだという。


使用楽器
NPO法人イエロー・エンジェルから貸与された1715年製のストラディヴァリウス「エクス・ピエール・ローデ」を経て、2013年12月以降、現在は日本音楽財団より貸与された1722年製のストラディヴァリウス「ジュピター・エクスゴーディング」を演奏している。


夏目さんのコメント
来し方、行く末(70)(アメリカ最高の文学)
シカゴ郊外のハイスクールに留学した時、英語の先生が教へてくれたことは、アメリカ最高の文学は、『白鯨』と、『勇者の赤いバッヂ』だといふことである。前者は余りにも有名だが、後者はとんと。
そこで先日、三郷市の図書館から借りて読んでみた。ストーリーは、北軍の名もない兵士が、南北戦争に従軍し、負傷するが何とか生還すると言ふ事を、淡々と述べてゐる。私は、此の何気ない小説が、何で『白鯨』と並ぶ双璧であるのか、正直判らなかった。が、しかし、今ふっと思いひ当った。その単純な筋が、北軍兵士の哀歓を極めて正確に描写してゐるのではないかと。
南北戦争は、アメリカを二分する凄まじい戦争であり、そのトラウマは今に至るまで、この種々雑多の民族国家に深い澱のやうに残ってゐる。それを背景にしたものとしては、通俗小説の『風と共に去りぬ』があるが、その感想も、その題名と同様、風が運んで行った。
私もその国に一年間を過ごし、他人事とは思へない。今後とも、良し悪しを併せ呑んで、これらの人々の幸せを祈りたい気がする。
夏目


木庵の反応
<『勇者の赤いバッヂ』は映画化されている。映画の予告編を見た。映画そのものは見ていない。ただ映画を見た人の映画評があるので、紹介する。木庵>

・・・

1862年南北戦争、戦友達の前では強がっているが、実は日々戦場の恐怖に怯える北軍の新兵ヘンリー。そして、戦場に直面した彼はたまりかねて逃げ出してしまうのだった。 しかし、北軍の疾病兵達の行列に遭遇したとき、ヘンリーは自分の臆病さを恥じて、連隊に戻る決意をする。「勇者の赤いバッヂ」=「名誉の負傷」を得るために、、。
実際の第二次世界大戦の英雄、オーディ・マーフィーを主役に起用し、ジョン・ヒューストンが圧倒的な演出をみせる、戦争映画の傑作
映像特典…オリジナル劇場予告編


そのとき、自分はどうふるまうのか
Reviewed in Japan on March 3, 2016
この映画は、アメリカの作家スティーヴン・クレインが書いた同名の小説(一八九五年)の映画化である。
物語は南北戦争さなかの一八六二年九月の出来事を描いている。主人公は戦いに魅せられた若者だ。だから志願して前線にやって来た。戦場から手紙を書き、息子として立派なはたらきをすることを父親に誓う。
だが攻撃を前にして、かれの気持ちに動揺が生じる。命のやり取りをする戦いが始まったとき、自分はどうするのか。戦いのなかで自分が取る行動がどのようなものになるのか。敵がこちらの陣地をめがけて押し寄せるそのとき、自分はどうふるまうのか。果たして勇敢に踏みとどまり、敵を撃退するまで戦い続けるのか。それともその場から逃げ出すのか。
若い志願兵にとって、それは自己の本質に関わるせっぱつまった問いだが、答えは得られない。そのときになってみなければ分からないのだ。

そして戦闘が始まる。顔の見えない敵の群れがひたひたと押して来る。兵士たちは恐怖に浮き足立つ。われしらず後方に走り出す者が出てくる。最も逃げ足が速かったのが主人公だった。かれは真っ先に逃げた。そして逃げきった。
直後から、罪の意識に責められる。良心のうずき。後ろめたさと恥辱感。この恥をそそがなくては。一転して主人公は死に物狂いになる。翌日の戦闘では自ら軍旗を手に率先して敵に立ち向かう。その果敢さがたちまち味方の賞賛の的になる。だがかれは知っている。自分の勇気がほんものではないことを。
しかし、前日の作戦で逃げたのが自分だけでなかったことを主人公は戦友から知らされる。あのとき中隊の半数が逃げた。戦友によれば、持ち場に踏みとどまったのは、むしろ愚鈍な連中ばかりだった。自分を恥じていた主人公は、まるでなにかに欺かれたような気がしたにちがいない。

アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、ハーヴァード大学によばれておこなった講義のなかで、クレインのこの小説に言及してこう語った。
――これは、自分が勇者であるか臆病者であるかを知らない若者が、やがて自分が何者であるかを一瞬にして知ることになる物語だ。人間の一生は何千何万という瞬間からなりたっている。これら膨大な瞬間は、ただの一瞬につづめることができる。つまり、自分が何者であるかを悟る一瞬に。自分が真の自分に向き合う一瞬に。
ボルヘスが言うように、「その一瞬」はいずれわたしにも到来するのだろう。だが、それがどういう一瞬であるかは、そのときになってみなければ分からない、とはわたしは考えない。わたしはむしろこう考えたい。いまこの瞬間をおいて、未来の「その一瞬」を必然化し得るものがいったい何処に存在し得るだろう。日々のこの一瞬こそ、自分が自分に向き合う「その一瞬」にほかならないのだ。


謙信パパ
 隠れた傑作です

南北戦争ものが好きで、アマゾンで見て直ぐに購入したのですが、短い映画ながら戦争映画としても、西部劇としても見ごたえのある映画です。WWⅡの英雄オーディーマーフィーが、臆病者から急に英雄になった若者を好演しています。
怖くなって逃げ出した若者が、決然と部隊に引き返し倒れた軍旗をかざして突撃し、結果的に英雄となってしまうまでを、淡々と描いていてとても好感が持てる映画です。
戦争映画好き、西部劇映画好きの方は是非ご覧になって下さい。

1951年のジョン・ヒューストン監督作品、
白黒スタンダード画面・69分、 当時の典型的なプログラム・ピクチャー、
南北戦争(1861-1865)二年目の1862年、 南北両軍が直接激突するある日ある時ある場所を舞台にして前線兵士たちを主人公に群集劇が語られる、
アメリカ人にとっては直近の父祖たちがかく戦ったリアルな史実映画になるのだと思う、
演出は主人公の不安と変化を表情アップ撮影を多用して分かりやく描く、
新兵ルーキーが臆病に打ち勝って兵士ソルジャーになる過程を描写する軍人・軍隊礼賛映画であり、 戦争を全否定したいような反戦映画を期待する人は見てはいけない映画になる、
ロケはその辺の野原、 エキストラも日当と食事目当てに集まったその辺の近所のバカたち風の安直さだが、仕上がりはさすがジョン・ヒューストンだと思う、 台詞のある役者たちはみなとても味わいがある上手い俳優ばかり、
日本人が鑑賞する際の最大の注意点が本作に登場する兵士たちのほとんどは志願兵であること、
突然国が南北に分かれ大戦争が始まってしまい南北共に兵士が足りない、
当時のアメリカ人たちが勇ましかったのは我先に志願兵たちが集まったのである、
出身地ごとに志願兵部隊が組織されもした、
安保法案に徴兵を妄想するような現在の日本人(の一部)とはまったく違う人間が暮らしていたことになる、
→この部分を面白おかしく映画化したのがバスター・キートン「キートンの将軍」(別名 キートンの大列車強盗)
歴史の短いアメリカでは学校で自国の歴史のハイライトである独立戦争と南北戦争は特に詳細に学習する、
結果、それほど学業成績がよくない者でも現在の日本人の日本史常識レベル以上に戦史を知っているもの、
さらに本格的な南北戦争映画が見たい人は邦盤ディスクは発売されていないがテッド・ターナーが巨額な私費を投じて製作した"Gods and Generals" "Gettysburg"を推薦します。


トシパパ
 戦意高揚映画のような反戦映画!?
『勇者の赤いバッヂ』(The Red Badge Of Courage)('51)
出演∶オーディ·マーフィ、ビル·モールディン、ジョン·ディークス、ロイヤル·ダノ、アーサー·ハニカット、ダグラス·ディック、アンディ·ディヴァイン、ティム·デュラント、ロバート·イーストン·バーク
監督∶ジョン·ヒューストン
1862年、南北戦争を背景にした物語と知って、(広義の)西部劇を見るつもりで見始めた。
「戦争映画」でした。
北軍に参加した若き新兵ヘンリー·フレミング(マーフィ)は、訓練や演習ばかりに明け暮れる日々に飽き飽きしていた。だが現実に戦場に赴くことになり、敵軍を前にした彼は、怯えに勝つことができず、戦場から脱走してしまう。
前線から後方に下がる傷病兵の一団に紛れて逃げようとしたヘンリーだったが、実際に敵弾に負傷した兵たちと接したり、同じ部隊にいた年かさの兵士(ディークス)が負傷で死んでゆくのを目の当たりにして、自分の臆病を恥じる。

途中、逃げる友軍兵に殴られて頭部に負傷してしまった彼は、敵弾で負傷して後方にいたことにして部隊に戻ると、仲間たちとともに最前線に突き進み、国旗を守って突撃を敢行し、戦友のトム·ウィルソン(モールディン)とふたり、軍の英雄となる―――
臆病風に吹かれた主人公が、愛国心と軍人の誇りに目覚めていく展開は、「戦意高揚映画」にありがちなパターンだ。製作年度(1951年)も、朝鮮戦争と合致するし……。
だが、この映画、そんなに単純ではない。主人公の相棒のトムが、実は自分も逃げようとしたことを告白したり、戦場に臨む他の兵士たちが、様々な心情や表情を見せたりするサマを丁寧に描く。
夜間、歩哨に立って歩くヘンリーに、河向こうの敵の見張り兵が「おまえが月明かりの下に出ると、撃たなければならないから、木陰から出ないでくれ」と"警告"("お願い"?)の声を掛けるなど、69分という短い尺の中に、戦争の色々な側面を描写してくれる。
この映画を「戦意高揚映画」「軍隊礼賛映画」と見るか、「反戦映画」の一種と見るかは、見る者の受け取り方次第なのかな?
ジョン·ヒューストン監督の意図に反して、映画会社側によって、20分ぐらい短く編集されてしまったとか。もし、ディレクターズ·カット版があったら、どんなだったんだろう? 見てみたい気もするが、このままでも充分傑作だと思う。
第一次世界大戦のフランス陸軍の司令部の高官たちの身勝手を描くスタンリー·キューブリック監督の『突撃』や、第二次世界大戦モノで、軍上層部の無能と前線部隊の悲惨を描いたロバート·アルドリッチ監督『攻撃』などの「反戦映画」をワタクシ的には連想してしまいました。

最初に、西部劇を見るつもりで見たと書いたが、出演者の顔ぶれに、西部劇常連が多いのだ。
主演のオーディ·マーフィは、B級映画のスター俳優。他にも、『シェーン』『縛り首の木』『アラモ』のジョン·ディークス、『怒りの河』『大砂塵』『西部の人』のロイヤル·ダノ、『折れた矢』『遠い太鼓』『エル·ドラド』のアーサー·ハニカット、『駅馬車』『リバティ·バランスを射った男』『西部開拓史』など"ジョン·フォード一家"のアンディ·ディヴァイン……。
やっぱり西部劇だよなぁ……


写真:五嶋龍さん
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