【神戸オフィス・朝】
いつもと変わらない朝。
タイピング音と電話の声が混ざる、日常の風景。
だが――
その中で一人だけ、“準備が整っている人間”がいた。
美月は静かに資料を整えながら、章の動きを視界の端で追っている。
美月(心の中・冷静に)「今日動く」
奈緒美はコーヒーを飲みながら、章に視線を向けている。
その目は、“奪う側の女”の目。
美月は、それを横目で確認する。
美月(心の中)「強い人。でも――だからこそ、隙が必ずある」
その瞬間、美月は立ち上がる。
美月(落ち着いて)「部長、この件なんですが」
章「ん?」
美月は一歩近づき、資料を差し出す。
その距離――“少し近い”。
美月(自然に)「先方なんですが、急ぎで直接打ち合わせ希望とのことで」
章「今日?」
美月「はい。場所が……少し遠方なんですが」
章「どこ?」
美月(少し間を置いて)「京都です」
奈緒美の指が、ピクリと止まる。
章「まぁ、行けんことはないけど……」
美月(少しだけ目を見て)「私、同行します」
その一言は、静かだが確実だった。
そして奈緒美を見て微笑む。
奈緒美(心の中)「……来た」
【移動・電車内(昼)】
電車の揺れ。流れる景色。
並んで座る章と美月。
章「珍しいな、美月が外出るの」
美月(少し微笑んで)「たまには、いいかなって思いまして」
章(笑いながら)「まぁ、ええ経験になるやろ」
美月は少しだけ視線を横に向ける。
美月(心の中)「経験じゃないです」
一瞬、指先が動く。
隣にある章の手に、触れそうになる。
――止める。
美月(心の中)「まだ、早い」
代わりに距離をほんの少しだけ縮める。
章は気づかない。
気づかないまま――
その距離に慣れていく。
【取引先・会議室】
打ち合わせは順調に進む。
先方「今回の件、前向きに検討します」
章「ありがとうございます」
美月は横でメモを取りながら、的確に補足を入れる。
その姿は、“有能な部下”。
だが――
先方が席を外した瞬間。
章(微笑みながら)「助かったわ、美月」
美月(少し柔らかく)「いえ、部長がまとめてくださったので」
章「いや、ああいうフォローは奈緒美でも中々できんで」
その名前が出た瞬間、美月のペンが止まる。
美月(心の中)「比較対象は、あの人か」
だが表情は変わらない。
美月(微笑んで)「光栄です」
その一言の奥に、静かな火が灯る。
【帰り道・夕方〜夜】
打ち合わせを終え、外に出る二人。
少し遅い時間。街は夜に変わり始めている。
章(気軽な感じで)「せっかくやし、飯でも行くか」
美月(ほんの少し驚いたように)「いいんですか?」
章「頑張ったしな」
その言葉に、美月は一瞬だけ目を伏せる。
美月(心の中)「“部下への労い”――でもいい」
【レストラン】
落ち着いた店内。
向かい合う二人。
章「こういうの、初めてやな」
美月(少しだけ照れたように)「そうですね」
沈黙。
だが、不自然じゃない。
美月はグラスを持つ手を、少しだけ震わせる。
章「どうした?」
美月(小さく)「少し……緊張してます」
章「なんでなん?」
その問いに、ほんの一瞬だけ視線がぶつかる。
美月(ゆっくり)「部長と、こうして二人でいるのが……嬉しいからです」
空気が変わる。
章「……?」
美月(心の中)「今は、ここまで」
それ以上は踏み込まない。
だが――
その言葉は、確実に残る。
【同時刻:神戸】
奈緒美はスマホを握りしめている。
奈緒美(LINE)「部長、明日の件ですが」
既読はつかない。
奈緒美(小さく)「今日……遅いな」
その横で、美月の言葉がフラッシュバックする。
美月「私、同行します」
奈緒美(小さく)「まさか……あいつか」
その目に、はっきりとした“敵”が映る。
奈緒美(心の中)「絶対に譲らない」
【同時刻:綾香の部屋】
綾香はスマホを見つめている。
綾香(不安そうに)「今日は……会えないって」
その声に、恵美が答える。
恵美(電話・冷静に)「動いてますね」
綾香「え?」
恵美「誰かが、“距離を作ってます”」
綾香の表情が曇る。
恵美(静かに)「でも大丈夫ですよ」
恵美「奪う人は、“急ぎます”」
恵美「でも、勝つ人は――“外さない”」
綾香「うん。大丈夫だよね。信じて良いよね」
恵美「自信持って下さい、綾香先輩」
【夜の帰り道】
並んで歩く章と美月。
少しだけ、距離が近い。
美月(微笑みながら)「今日はありがとうございました」
章(笑顔で)「いやいや、こちらこそ」
美月「お食事までご馳走になって、嬉しかったです!」
章「そう? この位ならいつで……」
美月(笑顔で)「じゃあ、仕事終わりとか誘っても良いですか!!」
章「えっ? あっ、いいよ」
美月(子供のようにはしゃぐ)「やったー! いつにしようかな~」
美月「今日は、すごく良い一日でしたよ。後半は最高に楽しかったです!」
章(笑いながら)「そうか、そうか」
街灯の灯りが柔らかく二人を照らす。
美月は一歩前に出たり、横に並んだり――どこか落ち着かない。
美月(少し弾んだ声で)「今日、本当に楽しかったです!」
章(笑いながら)「それ、さっきも聞いたで」
美月(くすっと笑って)「だって、何回でも言いたくなるくらいなんですもん」
くるっと軽く振り返り、章の方を見る。
その表情は――完全に無邪気。
美月「こんな風に、ゆっくりご飯行けるなんて思ってなかったし……」
少しだけ距離を詰める。
美月(嬉しそうに)「なんか、“特別”って感じしません?」
章(少し照れながら笑う)「大げさやな」
美月(首を横に振って)「大げさじゃないです!」
そのまま、子供みたいに小さくはしゃぐ。
美月「次どこ行こうかな〜って、もう考えちゃってます!」
章(思わず吹き出す)「気が早すぎやろ」
美月(いたずらっぽく笑って)「いいじゃないですか、楽しみは多い方が」
その笑顔は、明るくて、軽くて、無防備で――
でも一瞬だけ。
章から視線を外した時、表情が変わる。
美月(心の中)「……ちゃんと、見てくれてる」
またすぐに、無邪気な笑顔に戻る。
章は、その変化に気づかない。
ただ――
章(笑いながら)「ほんま、楽しそうやな」
美月(まっすぐ見て)「はい、すごく」
少しだけ間。
美月(心の中・静かに)「この時間、全部もらいます」
美月が章に急接近する。
そして――
美月の手が、また少し動く。
――触れそうで、触れない。
美月(心の中)「次で、絶対に触れます」
強い決意。
章は気づかない。
でも――
夜の街に、二人の笑い声が溶けていく。
確実に、何かが変わり始めている。