日本文学は基礎となる | 『ドラマチック★ヤンゴン』

『ドラマチック★ヤンゴン』

ミャンマーのヤンゴン在住9年目。

私が本が好きだということは度々書いてきましたが、

実は代表的な『日本文学』は、ほぼ読んだことがないのです。

 

夏目漱石の『こころ』『坊ちゃん』『三四郎』

太宰治の『斜陽』『きりぎりす』『富獄百景』

川端康成、谷崎潤一郎、芥川龍之介……

 

作家もタイトルも有名すぎて知ってはいますが、作品は読んだことがないのです。

 

中学・高校の教科書で出てきた作品は、授業の範囲で覚えていますが、その範疇を超えたことはないので、今でも内容はうろ覚え。

 

中学生の時に現国の先生が太宰ファンで、『人間失格』は強制的に読まされましたが、これも内容はほぼ覚えてなく……

(しかも、この先生は「中島みゆき」ファンでもあり、大人になって思うとずいぶん内向的な人(ネクラ)だったんだなと思った)

 


唯一読んだ作品は宮沢賢治。

逆に、宮沢賢治の作品はほぼ読んだと思います。

きっと、他の作品と圧倒的に違う物語り(ファンタジー)の雰囲気が私には合ったのでしょう。

 

今勉強している『文芸』では、「書き方・読み方」の例に、

当たり前のようにこれらの作品名や作者が出てきて、

「皆さんご存知の〇〇」とあり、今まで自分が読んできた本とは全く違う物、しかし文学文芸の世界では当たり前の作品に遅ればせながら触れられることが新鮮で楽しいのです。

(嫌な気持ちは全くわかない)

 


今、何冊平行読みしてるんだろ(笑)

少し前の私は、「1冊読み終わったら次の1冊…」としか出来ませんでしたが、今は部屋のあちこちに読みかえの本が置いてあります。

 

でもきっとーー

勉強て、そういうもんなんでしょうね。

日本語の勉強も、今日は文法、明日は語彙、明後日は読解と、

毎日違う科目を教えるので、同時進行で進んでいきますからね。

 

大人になってから学ぶのも良いものです。

実感。

 

 

くみ