志津川漁港 松原防潮堤①竣工記念プレート | 南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

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宮城県南三陸町。

大震災からの復旧・復興期を迎えている今、
町はかつての面影を失いつつあります。

そして人々の記憶も失われていくもの。

将来、思い出の補完の一助となれば…。

その願いをもって、私は町を訪れています。

( ;谷)。oO(הללויה)

3月が近付くと、職業柄震災前の町並みの写真を眺める

機会が増えます。休日、そういえば最近様子を見て

いなかったなぁと思い、高野会館周辺を散策しました。

 

会館周辺には、防潮堤が張り巡らされています。

なんというか、“範囲”が広いです。

そしてやはり高いなぁ。。

 

ここには以前ゲートが設置されており、先に進むことが

出来ませんでした。今は阻むものはありません。

 

階段伝いに防潮堤の上へ行こうとした時、ふと右手側に

何かが見えました。

 

それは防潮堤の竣工記念のプレートでした。

実はまだこの防潮堤は完成していないのですが、

先立って設置されたのでしょう。

そこに刻まれた細かい文字をじっくり読み込みます。

 

『復旧にあたっては、数十年から百数十年に一度程度

発生する頻度の高い津波に対応する高さの堤防とし、

津波が堤防を越えたとしても粘り強く効果を発揮する

構造とした。』

現在の新しい防潮堤の在り方に不満を抱く方は多いと

思います。陸上から海は見えなくなってしまったし、

前回のような大津波には、この高さでは太刀打ち

出来ないのではないかと。

私自身も、多少なりともそう思うところがありました。

しかし今このプレートに刻まれた文言を読んで、胸に

つかえていたものが昇華した気がしています。

そもそもこの堤防は、千年に一度の大津波を対象には

していないのです。それよりもっと発生頻度の高い

津波に特化した構造なのだということが知れ渡れば、

多くの人の理解を得られるのでは…と思うのです。

より生活に密着した構造のこの防潮堤を、実際に目に

して欲しいと強く願っています。

 

ここには今、高野会館しか残っていません。

11年で本当に大きく町並みは変わりました。

 

堤防の向こう側の様子はまた次回にでも。