小さな変化の積み重ね | 南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

宮城県南三陸町。

大震災からの復旧・復興期を迎えている今、
町はかつての面影を失いつつあります。

そして人々の記憶も失われていくもの。

将来、思い出の補完の一助となれば…。

その願いをもって、私は町を訪れています。

( ;谷)。oO(הללויה)

橋や道路の建設等、大きな事業を記事にしがちですが、

そうではない場所でも写真を撮り残しています。

 

ある現場近くで基盤をのぞかせた壊れた機材と、

ボロボロのナンバープレートを見つけました。

ずっとこの場所にあったのでしょうか。

習志野…。錆からは月日の流れを感じます。

 

旧汐見橋に続く、旧国道45号線が封鎖されました。

まぁ、至極当然の措置でしょう。

でなければ私のような者が入り込みます(笑)。

偶然「立入禁止になっていない日」に私はこの先へ進み

ましたが、とても安全といえる場所ではありません。

 

パっと見、どこだかわからないでしょう…。

ここは旧志津川駅です。かなり嵩上げが進みました。

ホームへの連絡通路は今も残されています。

 

こちらも旧国道45号線です。

直進すると旧八幡橋があった場所です。

右に見える建造物は人道橋「中橋」の左岸側橋台。

盛土の更なる奥に防災対策庁舎が建っています。

画面中央、車が走っているのは現在の398号線です。

 

サンオーレは今も工事中です。

墓標のように無数に置かれていたテトラポッドは

姿を消していました。

 

そして、Ms,フラワーサービスの建物の取り壊しが

始まっています。ここは「さかなのみうら」が震災後

商売を再開した場所です。火災によりみうらは移転

しましたが、消えゆく姿はやはり寂しく映ります。

 

震災前の町の写真。

私はその当時の町の姿をこの目で見たことは無いのに、

そこに今も残る微かな面影を見つけると、頭の奥を

締め付けられるような感覚に陥ることがあります。

思い出したいのに思い出せない感覚と似て違うもの。

それでもこの感覚を、私は大事にしたいと思います。