「『体』という乗り物をなおす」と、
とあるお医者さん に言われて以来、
なんとなく自分の体のことを考えていて、
はたと気づいた。
私、自分の体に関心がない。
自分の体が何を欲していて、逆に何を欲していないか、考えたことがない。
いま治療にあたって、食事や運動を意識してはいるけど、
それは「治療」として必要なものだと学んだから食べたり避けたりしているだけで、
そういう知識や先入観を全て取っ払った時に、
純粋に私の体が必要とするものを、私は知らない。
分かろうとしてない。
なぜなら、自分の体に関心をもっていないから。
ダイエットにはものすごく関心があった。
小さい頃からぽっちゃりで背も高めで、
女の子らしさよりも、粗暴さが目立つ容姿をしていたのがコンプレックスだった。
思春期からがんが見つかる直前までずっと「痩せたい」と言い続け、ダイエットとリバウンドを繰り返していた。
ダイエットをしていたなら、体への意識は高かったのでは?と思われるかもしれないけど、
「痩せたい」というのは、体への関心というよりは、
ありのままの自分の否定だろう。
その時の体型、容姿を受け入れることができないから「痩せたい」と思うのだ。
だから私は自分の体に関心がないというより、
自分の体を否定し続けて生きてきたということだ。
正直に言うと、
今のがんで不自由になっている体も、受け入れられているとは言い難い。
痛みや動きの鈍さと折り合いをつけながら生活しているけれど、
頭の片隅で「めんどくせぇなぁ」「早く元に戻らんかね」と思ってる。
私の体への無関心とギャクタイが今の体の状態を作っているというのに。
感謝も反省もないのか私は。
この世に生まれる時に、
どんな体(乗り物)で、
どんな人生を送るか、予め決めてくるという。
私が、この体でやろうと決めてきたことは、何だったんだろう。
なんで乗り物の使い方が下手くそなんだろう。
ま、そんなことを考えるよりも
今は、自分の体への関心を取り戻すのが先決ですね。
ゆっくりよく噛んで食べるとか、
散歩に行くとか、リラックスするとか、
あとは足湯 もそうね、
自分の時間をとるというのは、
自分の体と対話する時間をとるということか。
内観屋の私は脳内で『自分』と対話するのは得意だけど、
『体』と対話するのは苦手だったのね。
そんな弱点にも改めて気づいた。