奇跡的でした…
僕は僅か一か月で退院となりました。
入院当初、GPT値GPT値がなんと3,000(正常なら10~40程度)
もあったのですが、退院する時には30まで下がっていました。
医師からは急性の劇症肝炎だと診断されました。
それが見事1ヵ月で完全に治癒したのです。
いろいろと仲良くしてくださった病室の人たちに別れを告げ、
僕は現状へと復帰しました。
会社は惨たんたる状態でした…
多くのクライアントから復帰のお祝いをして貰いました。
低迷した売り上げと信用、滞っている仕事…
とにかく片っ端からひとつひとつ処理して行きました。
僕にはいくつかの思惑がありました。
もう二度と守りのスタンスでは仕事をしないということ…
思いついたことは口に出し、確実に実行するということ…
そのために社内での力を強めるために、
弟を部下として入社させ、下請けとして両親を使い、
かつての友人たちを外注として使い、
自分の勢力を固め、発言力を高めました。
同時にクライアントも僕が若い頃から懇意にしてもらった方を攻め、
会社の仕事の約8割が僕起点で動く形に変えました。
罰則規定を作り、報奨制度を取り入れ、
頑張れば頑張っただけ稼げる能力主義を高めることで
若い戦力の自主性と責任感を鍛えました。
会社は一瞬にして黒字体制に戻りました。
ようやくまっとうな仕事をするための
スタートラインに立った気がしました。
仕事のスタンスも大きく変えました。
すぐに答えを求めて聞いてくる部下には
「自分で考えなさい!」と、優しく突っ返しました。
少しだけヒントを与えて。
基本は褒めて伸ばすスタンス…
褒めても褒めても許さない…
プレゼン出来るラインに行くまで帰らせませんでした。
きっと鬼のような上司に代わっていたと思います。
でも、夜中に焼肉へ連れて行ったり、
プリンやヨーグルトの差し入れをしたり、
いろいろと気は遣いました。
でも、僕が仕上げてはいけないのです。
安易に助けてしまえば、
その人間が内包する力を引き出すことが出来ないのと、
永遠にその状態から育たないのです。
それが入院で学んだもっとも大きなことでした。
最終的に提出に間に合わなければ、
自分が残りの時間でなんとか出来る…という自信がありました。
そのギリギリまで信じて待つのです。
待って、待って、待って…焦る気持ちを抑えて、
その人間の可能性を信じる…
ディレクターとは、自分より出来ない人を使って
自分が作るよりもいい物を作らせる仕事である…
こんな言葉がありますが、まさにその通りでした。
自分で作れば、部下の10倍以上のスピードで
70点くらいのものは作れてしまいます。
でも、人を使うことで客観視出来、妥協することなく、
冷静に詰めていけるわけです。
最初に上がってくるものは大抵30点程度です…
これはその人の能力が欠如しているのではなくて、
コミュニケーションの間に失点するからなのです。
どういうことかと言うと、
僕がクライアントからオリエンを受けた地点で
クライアントが僕に2割伝え漏れたとします。
そして僕がデザイナーに2割伝え漏らしたとします。
すると、最高でも60点なワケです。
そしてさらにそのデザイナーが情報を2割漏らすと、
そう、せいぜい40点くらいの上がりなワケです。
大抵の人はこの地点でイラっとして
仕事を引き上げてしまうか、
それとも諦めてしまうかのどちらかです…
でも、最初から40点がマックスだと思っていれば
怒ることも焦る必要もないのです。
僕は部下が40点の物を作っている間に、
クライアントが伝え漏らしたであろう2割と
自分が伝え漏らしたであろう2割を検討しておくわけです。
そして部下からファーストラフが上がった地点で、
クライアントのミス、僕のミス、そして部下のミスを
ちゃんと理由を説明しながらやり直しを指示します…
一緒に改善する方法を考えます。
ちゃんと回答が明確になると
部下は、自分の責任を感じながらも、
自分だけのせいではなかったことに気持ちを落ち着かせ、
結構前向きに頑張ってくれるものです…
その要領を繰り返し、
70点80点…と、時間のある限り精度を高めていきます。
あとは僕がクライアントの難度によって
80点で出すか、90点で出すかを判断するだけなのです。
入院中に学んだこと…
それは自分の自信の無さからくる無意味な不信感、
そしてその不信感を人のせいにし、
自分から逃げていたことを浮き彫りにした…
ということでした。
信は力なり!!
僕の数多く持っている考え方の一番のマインドです。
それを人は「愛」と呼ぶ…
