映画「エマニエル夫人」が最初に放映されてから
50年が経つのだそうだ。

 

確か、私は映画館で観たような気がする。
そして今日、PCで観て思い出した。
サントラ盤とか買っていたような。。

幼い私には、とても大人のこの映画が
刺激的かつ美しくて、大人の世界に興味深々で、
早く大人になりたいと思った。

 

実際、大人になってSEXを経験したが、
この映画のような官能的で美しさは到底なかった。

 

映画と現実は違うのだと、

最初に気づいた時ではないかな。。

 

 

 

エマニエル夫人の映画には、
以下のような説明文が書かれていた。

 

外交官の夫をもつエマニエルは、夫の赴任先であるバンコクへ行くことになった。
彼女はそこで、現地の外交官や芸術家たちが集う閉鎖的な

白人社会へ足を踏み入れる。

有閑マダムのアリアンヌの手ほどきで初めてレズビアン体験をしたエマニエルは、美人考古学者ビーに惹かれ、

やがて深く愛し合うようになる。

そして、社交界きっての特質な存在であるマリオに

めぐり逢った彼女は、次第に彼の説く不思議な性の哲学に魅せられていく・・。

 

 

そのマリオとエマニエル夫人の会話の一部です。

マ=マリオ  エ=エマニエル夫人

 

 

 

マ「エロチズムは何だと思う?

 

 

エ「あぁ それは.

  

  何といえば

 

  官能の喜びへの崇拝」

 

 

マ「全くちがう。

 

 単に感覚の訓練ではなく

 魂の活動だ。

 

 教育や芸術が

 性行為を人間的なものにする。

 

 

 性を避けるのをやめる。

 正しい知識のために。」

 

 

エ「それなら

 あまり惹かれない。

 

 つまり

 エロチズムは性行為の反対ね」

 

 

マ「それは、特に愛において

  日常と隔てるために男がする努力だ。

  現実に対する夢の勝利」

 

エ「単に喜びとして愛をとらえたいわ」

 

マ「重要なのは性行為ではなく、

  どのように行うかだ」

 

エ「32体位のこと?」

 

マ「ばからしい。

  確かにまず、体から相手や自分自身に

  向き合うべきだが、

 

  猿ぐつわを解いて

  求める叫びを自由にしろ。

 

  長い 長い間求めていた

  既存の価値を壊せ。

 

  頭を一杯にしろ

  地上の全男性に与えられるより

  より多くの興奮で。

 

 

  特別なものを使え

 

  特別なものとは

 

  風習を超えたもの

 

 

  家で夫の子を妊娠する女は

  エロチズムを知らぬ

 

 

  愛のない情事をするんだ。

 

  感情や言葉を捨て

 

  頭を空にして

 

 

  怖がりで渇望する自分となる

 

  死によってしか満たされない。」

 

エ「なぜ?」

 

マ「真実の愛はいつも不自然だ。

  

  真実の愛は勃起だ。

  

  オーガズムではない。

 

  夫婦関係は禁止しなければならない。

 

  第三者を加えなければならない。」

 

この後のシーンは、遊技場のようなバーのような場所で

マリオの指示により

大勢の男性の中からタイボクシングを

始めた二人の男がいて、

その勝者となった男から

エマニエル夫人は

強姦とも見えるSEXを大勢の男性の目の前でされる。
 

 

エ「初潮を迎えた日のように誇らしい」

 「バカや欲望を堪える人は嫌い。

 くすぐられているように笑えるわ」

 

 

 

10歳の私には、チンプンカンプンであったであろう。

 

60歳になっても正直なんとなくしかわからない。

自分の未熟さを感じる。

洒落たコメントが言えない。

 

 

 

ここまで読んでくださった方は

どう思われましたか?
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして私が興味を持ったのは、

マリオが

「夫婦関係は禁止しなければならない」と言っていること。

 

50年過ぎた今、夫婦関係は破綻している現状と言える。

 

もうそろそろ夫婦という制度を

真剣に見直したほうがいい時にきているようですね。

 

マリオは50年も前から提唱しているのだから。。