ちょっと第二子とは話がずれる。



先日、

何気なく読んだもので




染色体異常などで中絶を選択した

勝手の身の上で

その子の名を呼んだり

月命日を数えることは

理解に及ばない旨が書かれていた。








私の第一子は染色体異常ではなく

重度の骨系統疾患で

胎内ですら骨折したり

出生後も肺が育たずに呼吸ができずに

死に至る病気だった。




お別れ以降も

毎日思い出さない日はないし


検診はギロチン台に乗るような気持ちだ。






だから、私は分かる。

理解できないと言われた「側」の気持ちが。



痛いほど、分かるよ。







これはね、

もう経験した人にしか分からないんだよな。



NIPTとかはまた色んなプロセスがあるから

今回は触れないで書くけれど


ある日突然、

自分のお腹を蹴る、その子が

生まれても生きられないけど、

どうする?って聞かれる絶望。



どうするも何も、どうしたらいいのか、

熟考する暇もない。


今こうしてる間にも

我が子が腹の中で
痛い思いをしてるかもしれない。



それを書いた人はわかるだろうか。

想像できるだろうか、あの絶望感を。


冷たい我が子を。


荼毘にふす我が子を。






私も天使ママ界隈を知るまで

知らなかったよ、あの絶望を経験した人が

思ったよりもたくさんいたこと。






その方に怒っているわけでもない、

ただ

さーーっと。




嗚呼。

世界線が違うんだ。

と思った。



だって、障害があったり

育てるのが大変でも


生きてる


生きてない

では

雲泥の差があるんだって。





子育てが辛くても、しんどくても



あなたは

我が子を荼毘にふしたことがないでしょう?







子育て、障害

しんどいよな。


想像はできる。

できるし、それをこっちの辛い記憶と

天秤にかける気はない。











でもどんな形であれ、

我が子を偲び、返事のない名を呼び、

誕生日ではなく月命日を数えることは


悪いことだろうか。




そういう人生を辿らざるをえない人もいる、

とだけ認識しておいてもらえないだろうか。








辛いなあ。

我が子を亡くしてない人生が羨ましいなあ。



とだけ、思った。


いいなあ。







そして。


どうか、私のこんな記事もあの記事も

目に留まることはないと思うけれど

中絶を選んだ
天使ママパパが傷つきませんように。



もし傷ついたとしても

その気持ち、

わたしには分かる。

分かるよ、とだけここに書いておく。