今日は、増上寺で黒本尊にお参りし、そのそばにいらっしゃる皇女和宮像にもお会いしてきました。

photo:01



ちょっと用事があったので、その勢いで、なんですけども。皇女和宮に関しては、2006年にふしぎでとりあげた際に、私がレポートを担当しました。なので、あの等身大に近い和宮さまの像に再会すると胸がキュンとなります。

幼い頃に決められた婚約者に淡い恋心を抱いていたのに、ある日突然、尊王攘夷、公武合体の名の下に全く別の相手との政略結婚を強いられ、朝廷から幕府に降嫁します。それでも嫁いだ夫、徳川家茂とも慕いあうようになってきたところで、家茂は大阪で(戦死じゃなくて)病に倒れ、亡くなってしまいます。で、訃報の後に和宮のもとへ美しい西陣織りが届くんです。これは家茂が予め用意しておいた和宮への土産物、しかも、和宮が戦争へ行く夫にねだったもの。つまり、生きて帰ってくることを想定し、無事に帰ってきてくださいと言う想いも込めてねだったものだと思うんです。でも、帰ってきたのは家茂の亡骸と西陣織り…あー、書いてたらもう切なくなってきた(^^;;
その西陣織りを、なんと、ふしぎで増上寺へ取材に伺った際に拝見させていただいたんです。すごいでしょ?すごすぎでしょ??
幕末の悲劇のヒロイン、と言えば分かりやすいかもしれませんが、でも、それだけではない、とても愛情深く素敵な方だったんだろうなと心から思います。
そうそう、その西陣織りを前に和宮さまが詠んだとされるのがこの歌。

空蝉の唐織ごろもなにかせむ
綾も錦も君ありてこそ

どんなに美しい反物や着物があっても、それは、あなたがいてこそなのに、と。

はぁ…。

しかも、家茂の死後も、自分が朝廷との架け橋とばかりに、徳川家に多大な貢献をするんです。明治10年に32歳という若さで亡くなられ、今はその遺言どおり、増上寺で家茂の隣りに眠っていらっしゃいます。

はぁ…(涙。

って、ついついせつなーくなってきてしまいますが、でもね、なんだか今日はその像を拝見して、とても嬉しい気持ちになったんです。
お元気そうでなにより!みたいな。そんな訳ないんだけど(苦笑。
そして、こんなに長々と和宮さまの生涯を書くつもりもなかったのだけど、書き出したら止まらなくなっちゃいました。辛く悲しく切なく美しい、そして、とっても愛に満ちた生涯。
私なんかには到底たどり着けそうにない境地ですが、心改まる想いです、この冬の凛とした空気とあいまって。

photo:02



この写真は、増上寺の後に訪れた丸の内仲通りのイルミネーション。こちらもため息ものです。

※念のためのおことわり。勢いで書いたので史実とくい違ってないかちょっと心配(^^;; 後で時間のある時に調べ直してみますので、その前に間違いを発見された方がいらしたら、ご指摘よろしくお願いいたします。えへっ。

追伸:
rhさん!ご指摘ありがとう!!そうだ、長州征伐の途上、大阪城で病に倒れられたのでした。病弱な若き殿。その繊細なイメージを思い出しました。ありがとう!