iPhoneの青空文庫アプリで、初めてちょっと長めの作品を読んでみました。夏目漱石の『坊ちゃん』。
これまでiPhoneでは、文庫で読んだ事のあるものをちょこちょこ拾い読みしたり、宮沢賢治の詩を読みなおしてみたりしてたのですが、今回は2~3日前から『坊ちゃん』にトライ。実は私、恥ずかしながら、これまで『坊ちゃん』を読んだ事がなかったのです。

iPhoneで読むと、目が疲れはするのだけど、短い移動中にもさっとポケットから取り出して読めるし、なんと言っても青空文庫の作品ならばすぐにタダでダウンロードして読めてしまうというのがすばらしく、利用しない手はないなと思っていたのでした。そんな訳で、夏休みの宿題みたいですが、読書感想文でも書いておこうかなと思います(笑。

いやしかし、こんなに読み継がれている純文学のクラシック作品なのに、『坊ちゃん』には、完璧なヒーローや、自信に満ちて誇り高く生きている人間が、ひとりも出てこないんですね。まず、そこにびっくりしました。

あと、どんなに正義感を抱いていても、短気で喧嘩っぱやい『坊ちゃん』みたいな先生がいたら、今の時代、モンスターペアレントのいい餌食・・・。

でも、曲がった事が嫌いな江戸っ子、坊ちゃんは、「悪」と感じられるものには、後先考えずに立ち向かって行きます。そこが共感とドキドキのしどころ。ただ、地位も名誉もない坊ちゃんでは、勧善懲悪とはいかず、下手をすると返り討ちにあってしまいかねません。
もしも私が友達ならば、「大人なんだから、もうちょっと上手くやりなよー」とかなんとか言ってしまうかもしれませんが、単細胞で憎めないいいヤツ。だからやっぱり、上手くなんかやってほしくない人なのです。
それなのに、周りにはイヤなヤツがうようよ(苦笑。
欲にまみれた大人たちや、エネルギーを持て余して騒動を起こす中学生たちなど・・・。

そう、中学生って、幼い子供みたいには無邪気でいられず、また、大人みたいには社会のルールに自分の行動を嵌めきれないというのは、今も昔(の小説の中)も同じなのかもしれません。きっと、本人たちにも自分をコントロールできない時代。だから、そんな彼らを教育する立場の人は、大変だろうなぁと思います。(っていうか、私も未だに自分をコントロールできているかあやしいですけども・・・汗。)
ちなみに、これは読み終わってから気付いたのだけど、漱石は騒動を起こす中学生たちひとりひとりに名前を与えていません。ひとりひとりの顔や姿がない。学生と言うひとかたまり。それもなんだか、現代に通じるものがある気がします。画一的なものの中に押し込められて、多様さを否定されている感じ。だからこその反抗・・・と、それだと単純すぎる解釈かもしれませんが、生徒一人一人を描かないと言うことに、漱石はなにか意図していたのかな?と思ってしまいます。

ともあれ、最後までつるーっと読め、複雑なストーリーに慣れてしまっている現代人としては一瞬物足りなくも感じてしまいかねないのですが、振り返ると、後から後から、ああなのかな?こうなのかな?私たちと同じだな~などと、感想があふれ出してきます。

そんな中で一番強く感じたこと、教えられている気がしたことは、「立派な人間でなくってもぜーんぜん生きてていいんだな、この社会は」と言うこと。アジア的と言えばアジア的。善人も悪人も包摂する社会。小さな悪を、小さな正義が、人知れず正すこともあれば、のまれてしまう事もあるし、痛み分けと言う事もある。なんにせよ、小さく雑多で柔軟でしぶとい。そんな社会。

こんな風に、自分たちの社会も俯瞰してみれれば、何かしらの気持ちが楽になるのかもしれないけど、中々そうはいかないもので。・・・しかし、そう考えると、傍目には酷そうに見える状況でも「これでいいのだ!」と達観してしまえるバカボンのパパって、ある意味すごい。何かの境地に達している人なんだなぁ。偉人だ。『坊ちゃん』の中に登場させたら、どんな風に振る舞ってくれるんだろう(笑。

・・・と、とんでもないまとめ(脱線?)になってしまいましたけども、これが私の『坊ちゃん』の読書感想文です(汗。