あともう一つ!
南チロルのことで書いておきたかったのは、山間の小さな村々に残されている夏至の日のお祭りのことです。

「ナポレオンから我々を守ってくだされば、この先ずっとあなたのために、決まった日に灯火を焚き続けます」とキリストに誓った村の人々は、今も夏至の日は教会に集まって礼拝をしたり、村をめぐる厳かなパレードを続けていらっしゃいます。そして、夜は山の上で昔同様、灯火を焚く。

この、灯火祭りは、実はキリスト教が入ってくる以前からこの辺りにあったものなのだそう。つまり現在の礼拝、パレード、山の上の灯火という流れは、古代の宗教とキリスト教の融合したもの。日本にも、古来聖地だった場所が神社や寺になったりしている場所はたくさんありますもんね。きっと、そうやって古い叡智を今に残してきたのでしょうね。そう言うお話、私のたまらなく好きな分野です(笑。

と言うわけで、このお祭りで私も村の人たちと一緒に山に登らせていただきました。
日が暮れてからのお焚き上げなので、半袖Tシャツなどのラフな格好で登ってきた村の人たちは、手慣れた様子で山の上で心地よく過ごす準備をし、夏のはじめの夕暮れ時を穏やかに語らったりしながら過ごし始めます。

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火にくべる為か、それとも来年の薪作りの為か、楽し気に木を切る少年、

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暖かい食べ物を準備する大人たち、

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たそがれるディレクター(笑)、

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食べ物の匂いを嗅ぎつけてしまったミステリーハンター(苦笑。

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そしてそのミステリーハンターが美味しいソーセージをいただいている間に、みるみると燃やされる木々が組み上げられて行きました。

徐々に空気もひんやりとしてきたなと思っていると、村の人々はリュックの中からあたたかそうなジャケットなどを取り出して羽織っている…けど、私たちのロケバスを運転してくれていた南国シチリア出身のドライバーさんは、そんな準備などなく、半袖でブルブル震えていて、そして、祭りの終わりを待たずに下山(笑。

私はもちろん上着を羽織って、山に火を灯す、その時を待ちました。

じーっと。

じーっと。

じーっと、山の上での穏やかな時間の中、その時を待っていると、誰かが不意に太刀あがり、遠くの山を指差していました。その指の先をみると、星がまたたくように、小さなオレンジの光が遠い山の上に灯っていて、それが、ひとつ、またひとつと増えて行き、ようやく私達の参加していたグループのお焚き上げも開始。

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炎はあっという間に全体に広がって、パチーンとはぜる音を向こうの山まで響かせ、火の粉は一斉に卵から孵化した小さな魚のように空に向かって勢いよく飛び立って行きました。

圧倒。されつつも、私はカメラに向かってその思いをしゃべり続けました。

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メラメラと燃え盛る炎と言うのは、畏敬の念というか、本当に人類の古い古い記憶までアクセスさせてしまう強烈な力を持ってますよね。

そのせいかどうかは分かりませんが、祭りを終えて下山する時の村の人々の中に秘められていた、内なる野生に驚愕。
と言うのも、最初はライトをつけ、隊列をなしてみんなで安全に歩いていたのが、気がつけば子供たちが、やがて大人の一部の人までも、インディアンみたいな奇声や、動物のような咆哮を発しながらライトもつけずに道なき道を駆け下り始めたのでした。奇声や咆哮は真似できたものの、暗闇の中をデコボコの足元を見ずに走り降りるなんて、ワタシ、無理!!

これには本当に驚いてしまいました。すごい。お祭りの中に残されている先祖たちの記憶もすごく古いと思うけど、彼らの体の中にはそれを上回る太古の記憶が残っているのではないかと思わずにはいられません。

そんなことを感じられる機会なんて、日本でもそうそう巡りあえるものではありませんから、これは本当に素敵なお祭りだなぁと、改めて感じたのでした。

諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』-__.JPG