そうそう、あの「ビール」と書かれた、ビールを持って微笑む諸岡写真なんですが、もとはコレ。

諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』-__.JPG

はい、答えが書いてあります(笑。
これはなにも、ここどこの正解発表用のグラスな訳ではなく(当然だ)、ミャンマービールという銘柄のロゴマークをデザインしたグラス。これがねー、なかなか美味しかったんですよ。ブータンに行ったときも、現地で造られているビールが思いのほか美味しくってびっくりしたのを、ものすごーくよく憶えていますが、のどごしよりもコクがあるビール好きの私にとって大変どちらも印象的です。
ミャンマーには他に、マンダレービールというのもあり、どうやらこっちのほうがより老舗のビールらしいのですが、私個人としてはミャンマービールに軍配を上げちゃいます。マンダレービールはもうすこし軽やか。
でも、どっちもビール。
どっちも美味しい。
どっちも私の命の水であることには変わりませんけどもっ(笑。

さて、それはさておき今日の私はと言えば。

少し前に、ものを書いたりレポートしたりと、吐き出すことばかりしていたので、ここの最近は吸収したいモードが高まっていました。というか、あれだなー、多分、結婚してから上手に自分の時間を作って使う心構えやペースが掴みきれていなかったのが、少しこなれてきたというところなのかもしれません。昨日今日は、自分だけのための、おはなし三昧な時間を過ごしていました。

この2日間で見たもの、

映画「空気人形」
映画「猿の惑星 創世記(ジェネシス)」
映画「ライフ いのちをつなぐ物語」
落語「お若伊之助」三遊亭遊三
講談「浜野矩隨」室井琴梅
落語「肝つぶし」柳家さん喬
落語「明烏」柳家さん喬
落語「百年目」入船亭扇遊
落語「長屋の花見」入船亭扇橋
落語「小言幸兵衛」柳家権太楼

なんか、頭の中がパンパンです。
脳がふわふわしてます。
3日間で言えば、これに、

小説「ひらいて」綿矢りさ
小説「愛について ちょうちんそで」江國香織
小説「共喰い」田中慎弥

が加わります。
並んだタイトルを見ると、ちょっと自己陶酔(恥。
でも、なんとなく、20代の時ほどガツガツと、そして効率的には吸収できてない不満足な感覚も。なんなんだろうな。
綿矢りささんの小説の主人公の女の子の言葉を借りれば、「怒りと自信に満ちた女の子」だった気がするんです、昔の私って。若ければ若いほど、そうだった。例えば子供の頃、テレビに出てるアイドル歌手の歌を聴いて、「どうしてきちんとしっかりと歌わないんだ!」なんて良く怒ってました。「私だったらもっとうまくやれるのに!!(←恐るべき自尊心)」って。そして、良く長兄に「人のアラばっか探して文句を言うな」と叱られてました(苦笑。私にしてみれば、中途半端にみえてしまう芸がとっても許せなかったんです。だから、本当に、私ならもっと良くやれるのにぃ(キーッ)!!って思ってました(←ホント恐るべき自尊心)。
まあ、ちょっと例えがズレてるかもしれないけど、そういう子供の頃、若い頃の貪欲さが、良くも悪くも丸くなっちゃった感じ。穏やかで鈍くなってしまった。尖ったり凹んだりバランスの悪いガチャガチャな心を持った自分がイヤだと思ってきた反面で、そう言う部分があるからこその闇雲さもあったなと思うんです。もちろん、こんな年齢なので、丸くならなくては恥ずかしい部分もありますが、ある部分の心の青さを失いたくないんだけどなぁ、と。
あと、もう一個不安に思ったのは、小説を読んでいても、SNS慣れし過ぎたせいか、長い文章がちょっとまどろっこしく感じてしまったり、刺激の強い場面ばかりを求めてしまったり・・・なんか、自分のそういう変化を快く受け止めきれないなと感じました。

なーんて思っていたら、今日の落語三昧の中で、入船亭扇橋さんの高座にすっかり元気を頂きました。調べてみたら御年80。ご高齢ゆえに、かなり大きめの首のふるえが止まらなかったりするんだけど、口は滑らかで話がとまる気配もない。だけど、さすがにちゃきちゃきの江戸言葉の呂律がまわらない場面もあるのだけど、それをレロレロと何言ってるか分からない早さで流して、笑いに変えてしまったり。マクラでは先に逝ってしまった同世代の噺家さんたちのことばかりなんだけど、それを飄々と言ってのけるのがまた可笑しい。んもー、たまらない。大好きになってしまいました。

芸も、年の重ね方、だなー。

努力、
遊び、
休み、
死闘、
凡庸、
絶望、
希望、
反復、
開眼、
維持、
低迷、
上昇、
未完、
・・・

軽やかに見える芸の背景にも、きっとそう言うことが日々あるんだろうと思います。だからこそいつまでも、流れる水のように腐敗しない、淀みない、清く明るい芸が作られるんだろうなぁ・・・と、勝手に分かったつもり(苦笑。
そしてこの「芸」を、「仕事」と言い換えることもできるかな、と。

落語は業の肯定だと、家元が仰ってましたが、今日の私はその一端に触れて、救われた気がします。まぁ、それほど、大げさなものじゃないんですけども。

清く明るいって言えば、今は二十四節気中の「清明」ですね。
間もなくやってくる自分の誕生日がそんな季節に含まれるってことが、ちょっと誇らしいです。別に、私が何か努力をしてそうだってわけじゃないのですどもっ。
でも、そんな風に年を重ねたいです、清く明るく。