期待していた方、ごめんね。
ずっと書きたいなと思っていたのは、私の旦那様との馴れ初めやお惚気ではありません(笑。
今年の5月なので少し前の話になりますが、二年間住んだマンションの契約が満了となり、それと同時に、実はそこで一緒に暮らしていた両親との三人暮らしも終了しました。その辺りのことについて、問わず語りにたらーりと書いていくので、まぁ、お酒でも飲みながらごゆるりとお付き合い下さいませ。

まず、親と住んでいたことは、大牟田の家の防犯の為、ブログにもあえて書かず、あまり人にも話してきませんでした。ですが、その最中は思わずブログに書きたくなるようなことが、そりゃあもう山ほどありました。

大牟田ではほとんど夜に外食をしたことのない母親と神楽坂までイタリアンのディナーを食べに行ったり、その為に母もオシャレをしようとトルコのお土産に買ってきた水色のエスニックなストールの巻き方をあれこれ一緒に研究してみたり。

父とも、夜中にリビングの電気を消して裕次郎や溝口健二の映画(すごい幅だけど)を見たり、歌詞を書くときに、今回はこんな感じのアーティストでこんな感じのテーマなんだ~と説明すると、案外マトを得た意見がかえってきたり、それでウチのお父さんは長年やってきた稼業よりこういう仕事の方が向いてたんじゃないかなどと今更どうにもならないことを本気で考えてみたり(笑。

もちろん、綺麗ごとばかりじゃなく、イライラしたりぶつかっちゃったりすることも少なからずありましたが、それも全部引っくるめて、やってみて良かった、実は本当に大切な時間だったなぁと感じる三人暮しでした。

そもそも、なぜ両親と一緒に住むと言うような話になったかというと、恥ずかしながら私の失恋がきっかけです。(お惚気どころか…苦笑)
かなりヘコんでいたので、随分そのことを親に言い出せずにいたのですが、あるロケに出発する日の成田空港で「今から海外ロケにいってきます」と母に電話し、もじもじしながら「あと、一つ報告が…」と斬れ味悪く切り出したのでした。ところが、案外軽やかに受け止めた母は「そうやったとねー。大変やったね。お疲れ様。まぁ、私達はどこに住んだってよかけんね」と、唐突に謎の言葉を私の心に残し電話を切りました。
「どこに住んだってよか・・・」
私は、その言葉を疑問符とともに何度も頭の右上あたりで反芻しながら、機上の人となったのでした。

諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

つづく