矢代仁の意匠室を出て、Oちゃんさんが更に私たちを連れて行って下さったのは、矢代仁が提携している機屋(はたや)さん。つまり反物を織っていらっしゃるお宅。そう、お宅だったんです!
機屋と聞いて私の頭の中のイメージは、大きな機械が壁の様に立ち並び、ジャッジャッと音を立てて織っている工場制機械工業、だったのですが、お邪魔させて戴いたのは個人の表札の横に、同じ名字の会社名の看板がかけられた小さな工場。家内制手工業(もしくは、問屋制家内工業?)。
中で働いていらしたのは、私の父親くらいの世代の男性お二人。

諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

こんな言い方は失礼かもしれないけれど、そこはとてもコンパクトな空間で、大人二人いればまあ、隅々まで目を配る事ができるだろうといった広さ。そこに2mを超える高さの大きな機織り機が数台置かれていて、お邪魔した時はその内の2台が稼働していました。最初に目に入った1台目では、

諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

こんな反物が織られていました。
蜘蛛の糸のようにとってもとっても細くよってある絹の糸。「強く押さえても切れないから、タテ糸のところ、触ってみて下さい。するする滑りますやろ?」と言われても、余りの細さに、私の手で切ってしまわないか怖くて仕方ない。そう思っていると、「これが一本でも切れたらもうダメで全部パア。最初からやり直し」とのお言葉。って、それじゃますます怖くて触れません!
それでも、いいですからいいですからと工場の社長は薦めて下さいます。恐る恐る触ると、それが糸なのか何なのか、右手の三本の指の神経では一瞬判断しきれないほどに細かく、そのうち徐々に心地よい弾力が指の腹に感じられてきました。静かに押して指を滑らせてみると、糸は切れる様子もなくシルクの輝きを放っています。ほっ。

諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』

さて、タテ糸にヨコ糸を縫う様に走らせる事で反物がゆっくりと織り上がって行く訳ですが、機織り機にかけられているタテ糸のうち上糸が4000本、下糸が4000本。つまりタテ糸というのは合計8000本からなっているとのこと。
仮に反物の幅が36cmだとすると、それを8000で割れば、糸の太さがはじき出される訳で、計算すると・・・なんと、0.045mm。1ミリの1/22という細さ!

私の記憶違いでなければ、糸をよる撚糸(ねんし)という作業は別の職人さんのお仕事なのだそうですが、これも全部手作業だと仰っていたはず。0.045mmの糸をよっていくって、一体どんな作業なのでしょう・・・気が、気が遠くなる・・・。それをされている方を目の前で見たら、もう二度と頭を上げることができなくなってしまいそうです。

当然、そんな細い糸で反物をひとつ織り上げるには、これまた果てしない時間がかかってしまいます。たとえ機織り機を使っていても、途中で糸が切れたり絡まったりしないようにと人の目でチェックしていく限り、それは簡単でスピーディーにできるような作業ではないはず。
現に、私たちの目の前で動いている機織り機は、大きく不器用な音をならしながらヨコ糸を走らせ続けていると言うのに、なかなか次の模様が浮かび上がってきません。

着物を着るって、大変なことだ。

知れば知るほどその言葉が胸の中で繰り返されます。だけどその一方で、工場でせっせと作業をなさっているお二人は、しっとりと輝く綺麗な瞳をしていらっしゃる。
実は、稼働していたもう一台の機織り機では、矢代仁さんの新しいデザインの反物が試作されているところでした。つまり、まだ企業秘密なので画像をここに乗せる事はできませんが、とても素敵な、私たちの世代なら素直に「可愛い!」と言ってしまうような心躍るものでした。そしてなにより素敵だったのは、矢代仁のOちゃんさんに、その経過を嬉しそうにお話しになる社長の笑顔!
これをタテ糸に使うと、こんな風に色が淡くなって、こんなになるんですよー、と、完全なる素人の私たちにも喜々として説明して下さいました(笑。

こんな方達が、こんな風に作っているんだぁ。

私も睦さんも、機屋さんを見学させて頂いて、それはそれは興味深く豊かな時間を過ごさせて頂いたのだけど、何かそこに潜む重みのようなものを易々とは受け止めきれず、後半は思わず無口になってしまいました。
だけど、本当に素晴らしい文化が西陣の町に今も息づいているのだと言う事を、この目でしっかりと見る事ができたのは、とても大きな事。大きいだけに、私の体に染み込んでくるには少々時間がかかってしまったのかもしれません。睦さんやお友達と、矢代仁さんのすぐそばにある素敵なカフェ「然花抄院」でお汁粉をすすりながら、ようやく見てきたものがそれぞれの中で咀嚼され、言葉に変わり始めました。


今度私が着物を着る時には、絶対に今までよりも深い愛情と感謝と敬意をこめて袖を通す事になると思います。そして同じく、愛情と感謝と敬意をこめて、箪笥にしまうのだと思います。

また、こんなことなら、しまい込みっぱなしにしておくのは何だか勿体ないのではないかとも思ってしまいます。これだけ手間ひまかけて丁寧に作られているものなのだから、ほんの数回しか袖を通さず箪笥の肥やしや虫の餌食になってしまうより、もっと沢山着てあげて、沢山の人の目に触れさせてあげるべきかもしれません。っていうか、絶対にそう!

それを思うと、祖母の生前のお着物たちが押し入れの奥でダメになってしまっていたことが、本当に心から悔やまれます。もっと早く誰かがケアしておけばなぁ・・・。といっても始まらないので、生き残っていたお着物や帯を、これからは身につける努力をしてみようかしら。

実はワタクシ、お着物は基本的には自分で着れたりします。エヘン。(ブータン国王の戴冠式に出席させて頂いた時に、ディレクター♀とふたりで着せあい&帯結びあいっこしたりもしましたしね。)だけど、手持ちの小物などが少なく、コーディネートも幅がない。というか、まず自信を持って着物を着るための知識がない(汗。

うーん、これを機にちょっとお着物の事も勉強してみようかなぁ。
と、すっかり矢代仁のOちゃんさんの術中にはまっていく諸岡なのですが、でも、こんな罠なら自らかかりにいってしまうのも一興かも?(笑。
なーんてことよりも、そうそう、今回のこの貴重な見学を実現して下さったOちゃんさんに、心から感謝です。ありがとうございます!

ラブお着物♡


あぁ、危険な道に足を踏み込んでしまった予感・・・(苦笑。

追伸:
長いエントリーでごめんねー。
もっと読みやすいように色々カットしようとしたのだけど、私自身の記録としても残しておきたかったのであえて思い出せる限りの事を書きました。ディレクターズカットってことで、ここはひとつ(笑。