「世界ふしぎ発見!」ペルー編、ご覧頂いた皆さん、どうもありがとうございました!感想を寄せて下さった皆さんには更なる感謝!!
皆さんの感想がまたとても素敵だったので、私も感激してます。

そうそう、ふしぎのオフィシャルでインタビューにお答えしている通り、実は私、ロケに出発する前は、未踏の地にたくさんのミイラを見に行くということが怖かったんです。日本で日常遠ざけられている「死」と言うものにダイレクトに触れてしまう気がして。ミイラになった方の中には、不慮の事故や病気だけではない、恐ろしい想いをしたり、無念さを抱いたまま亡くなった方、または、強い憎しみを持って旅立った方もいたかもしれません。そう言ったエネルギーを、博物館のガラスの向こうに見るのとは違って、直に感じてしまうのではないか・・・それは、見えないもの、得体の知れないものに対する恐怖心だったのだと思います。
ですから、ロケに行く前に心の準備をすると言う意味もあり、ここ数年の初詣などで足を運んでいる神社やお寺にお参りし、お守りを授かって出発しました。当然、そのお守りをリュックにしのばせてロケの現場へも行きました。

ところが。

本編では多く使われていないですが、インタビューをする人、する人、みなさん、ミイラは怖くないと仰るばかりか、本当にすべての方が「だって、私たちの大切なご先祖様ですから」と仰るんです。最初は、そんな風に言われ、頭では理解できたのですが、私の身体的な感覚としては簡単には共感できませんでした。
ところが、ソニア先生の助手の女性の方が、ミイラが保管されている倉庫からある女性のミイラを出してきて下さる姿を見た瞬間に、なにかが私の中でカチッと合致しました。
というのも、その助手の方はミイラを素手で抱きかかえる様にして私たちの前に持っていらしたのです。それは、おじいちゃんやおばあちゃんを介護する家族の姿そのもの。いたわる様に抱えていたミイラを、ニコニコと笑いながら、ゆっくりと撮影ポイントの上に置く様子には、愛情さえ見て取れました。

ああ、本当に家族なんだぁ。

と、思った瞬間から、私の恐怖心もすーっと消えていきました。なぜなら、もうそこにあるものは、得体の知れないものではなくなったから。それは、彼女達の家族、なのだから。

もうひとつ、セントロマルキで素敵だなと思ったのは、ソニア先生のあの解体のときの鼻歌。
先生がミイラに、安心して下さいねぇ、リラックスしてて下さいねって言い聞かせている様にも聞こえました。それはまるで、子供を怖がらせない様に気遣う、小児科の女医さんのよう。確かな手つきで処置をしながらも、優しく歌ってさとす。
あの男性のミイラの方が私たちより何百歳も先に生まれているけれど、先生の中の母性が男性のミイラをいたわっているようでした。

あの解体作業の休憩時間も、本当はインタビューをする予定ではありませんでしたが、一緒に休憩をさせて頂いているうちに、どちらからともなくあんなお話をし始めていたんです。なので、あれは本当に私たちのオフカメラでのおしゃべり、だったはずなんですが、Kカメラマンが私たちに意識をさせないほど静かにカメラをまわし始めて下さっていたので、私の素朴な疑問も、先生の率直なお答えも収録することができました(Kさん、感謝!)。先生のお話、素敵でしたよね。
ミイラを掘り起こすことへの戸惑いがあったことや、盗掘者との見えない闘い。ご先祖様としてのミイラや、そのミイラとの語らい。
推理小説の探偵の様に想像力を働かせて仕事をしながらも、彼らを敬い、また時には母性で包み込む。私には先生のお仕事がそんな風に見えました。

すべてのミイラがそうと言う訳じゃないとは思いますが、私が今回番組でご紹介することのできたミイラ達は、少なくとも、得体の知れないものではない、と感じました。そう感じさせて下さった、ペルーの文化や出会った人たちに感謝。
そんな私の中の変化と同じ様に、皆さんにも番組を見て頂けていたら、と思っていたので、皆さんから頂いた感想を読んで本当に感激しました。ありがとうございます!

はー、良かった(笑。
ほっ。

あ、そうそう、義理のお母さんの頭蓋骨を台所に置いていらしたオヤイタイタンボ(クスコの近くの町)のお母さんからも、かなり興味深いお話を伺っていたので、それはまた改めて書くことにしますね。
まずは、無事にオンエアを終えて、の、エントリーでした。

諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』