ある日通りかかった橋の上。
眼下には、護岸工事をされていない大きな川。
河川敷のサッカー場やゴルフ練習場みたいなものが
快活な雰囲気をまき散らしていない、
ただ夏の雑草の茂る河畔
そのラインがうねってるのも印象的だったし、
木で作った簡素な桟橋が川にせり出していて、
そこに釣り人がポツンポツンと間を空けて座っていたのも
ノスタルジック。
手前には何艘かの船も係留されていて、
そのまま時をさかのぼってしまいそう。
で、視線を上に上げると、
ちょうど小さな窓から光を放つ電車が川を渡っていくところ。
大きな団地のようなものも、ちらほら。

というのがこの写真。

諸岡なほ子の『旅の途中のスウィートホーム』-写真.jpg

この風景をパッと見た時に、井上安治を思い出したんです。
本当言うと、安治の名前までは思い出せなかったけど、
まずは杉浦日向子さんの漫画「YASUJI東京」のテーマにされてた事と、
その後、何度かネットや本でその作品をみて、
杉浦日向子さんの書いていた通りだなーと思って眺めた事を、
思い出したんです。

安治は、浮世絵師でもあるのだけど、
光線画という分野で主に才能を発揮した、と言っていいのかな?
浮世絵独特の派手さやうねりや濃さがなく、
西洋的な要素をふんだんに取り入れている光線画。
特に安治の作品は、
すうーっとありのままの世界を写し取っている感じ。
エモーショナルじゃなくって、淡々と。
明治と言う激動の時代の前後で、
少し途方に暮れているようにも感じられなくもない。
惜しむとか悲しむとか、
楽しむとか突き進むとかじゃなく
気後れ。
ちょっと、自分が亡霊になってそこに立っているような。

杉浦さんの漫画と、
作品(本物じゃなくてね)を数点見ただけだけど、
そんな具合で、何となく気になっていた人。
そう、それこそどうしてもこの人!!とか、
たまらなく好き!!とかではなく、
なんとなく共鳴している自分にふと気付くような気になり方。

その安治が現代に生きてたら、ここ描いたかも?
なんて思っていたら、
一旦はこの写真のポイントを通過したんだけど、
場所が変わるとどんどん印象が変わっちゃって、
そうすると、なんだか通り過ぎた事がもったいなくなって、
わざわざ数メートル戻って記録した風景です。
自己満。

まあ、きっと誰の、何の役にも立たない写真なんだけど。
でも、いいなと思ったんですよね、この場所。
なので今日みたいに、
ジム行ったりご飯作って食べたり
いくつかお仕事の電話や資料を見たりするだけのごく普通な1日に、
この写真をアップしておきます。
そうでもないと、
きっと私のiPhoneの中でただ過去のものになっていくだけなので。

私なりの光を当てておこう。
うん。

ちなみにこれは、PhotoFiltersというアプリで白黒にして、
若干明るく加工してあります。