集中してみたからなのか、感情を揺さぶられたからなのか、なんだか体の芯までぐったりするくらい疲れて、見終わった後も中々席を立つ気になれませんでした。
今日は、『三池~終わらない炭鉱の物語~』の制作・配給会社であるシグロのNさんにご招待いただいて、間もなく公開になる映画『沈黙を破る』を見てきました。

まずはあれこれ書く前に、予告編を見て頂いたら、どんな作品か概要が掴めるかと思うので、YouTubeを見られる方はこちらをどうぞ。



さて。

監督・撮影・編集のすべてを手がけた土井敏邦監督がスクリーンに映し出したものは、殺戮に怯えながら暮らすパレスチナ人の現実とイスラエル人兵士の退役後の苦悩と活動。他にも、それらを取り巻く様々なことを取り上げて重層的に、私が見る限り偏ることのないフラットな視点で事実を切り取っています。

私はパレスチナ・イスラエルに関して(また、あらゆる政治的な問題に関して)あまりに無知なので、知ることはしても、容易く発言できないなと思っています。しかし、私の感じたことに関しては、私が誰よりも知っているので、この映画を見て感じたことを率直に書こうと思います。
(なので、少々映画の内容を書いてしまうかもしれません。私の感想で妙な先入観を持つ前に映画を見たいと言う方は、とりあえずこの辺で切り上げられることをお薦めします。)

戦いの名の下に、人は本当に考えられないような行為や想いに至ってしまうのだと、今までも何度も映画やテレビや本などで見てきたのに、改めて、というかこれまで以上に強く感じずにはいられませんでした。心に鉄の玉がぶつけられたような衝撃でした。

特に、生まれたときから当事者である子供たちの言動には驚きます。ミサイルが撃ち込まれて家が粉々になり、両親が死んで兄弟だけが生き残ると言う夢を見るんだと話す少年や、イスラエルの攻撃以来感情の抑制がきかなくなり、奇声を上げながら父親の手を咬む少年。また、自爆テロで死んでいった彼らの"英雄"たち数十人の顔写真をプロマイドにしたり、その全員の名前を覚えていたり、ともすると、将来はイスラエルの首相宅に自爆テロを仕掛けたいとごく自然に話す少年。子供たちはあまりにありのままに物事を吸収してしまいます。そして、子供らしい率直さで思考します。

私は子供の頃、父親から時々戦争の話を聞かされました。父はぎりぎり戦前の生まれなので、小さな頃に空襲から逃れた経験があるのです。その時の様子を聞いただけでも子供の私は怖かったし、何度か見たこともない戦争の夢を見ました。目覚めたときの恐怖と虚脱感は、本当に不快なものでした。

だけど、彼らの夢はその比ではないはずです。
夢ならまだしも、彼らの現実はそれ以上に恐ろしいものです。
ある日突然、住み慣れた家がただのがれきに変わり、目の前が血の海に染まり、すべてを失います・・・想像することさえ恐ろしいです。恐ろしいけど、知らなくてはならない。そういう想いにかられます。

映画を見る中で私が一番感情移入したのは、アメリカ人ボランティアの女性、チビス・モーレさんでした。彼女はパレスチナ人がひしめき合って暮らす難民キャンプで、映画を見る限りでは、恐らく離ればなれになった家族を探し出し、引き合わせるようなボランティアをされているようでした。
ところがシーンが切り替わると、いかにも凛々しく知的な雰囲気の漂う彼女が、見るに耐えないような絶望的な表情で泣き崩れ、叫び続けます。
イスラエル軍に粉々にされた街のがれきの中で、
「ブッシュは私たちをテロリスト扱いした。」
「欧米人(お前)こそが我々の敵だ。(←すみません、正確ではありません)」
といった罵声を浴びせかけられてしまうのです。
それは、自身がもっとも自覚し、嫌悪していたからこそ、彼女を現地のボランティアに駆り立てたものだったと思うのです。

先進国と呼ばれる国で生きている私は、きっと日々、その恩恵を受け、その恩恵はまた誰かの犠牲の上に成り立っているのだと思っています。抽象的な表現だし、この映画と直接は関わりのないことかもしれませんが、世界は奪うものと奪われるもの、良く言っても、与えるものと与えられるものという構図で出来ていると、感じざるを得ません。人と人。人と自然。そして、そういう構図は、大体の場合、エスカレートする傾向があるのではないかと思います。
でも、破滅の前にそれを止めたり和らげることが出来るのも、また人でしかないのだと思います。

『沈黙を破る』とは、この映画のタイトルであり、この映画に出てくる元イスラエル軍将兵の青年たちが開催した写真展のタイトルでもあります。
彼らが戦いの名の下に、自らの手で行ってきたあらゆる残忍な行為を振り返り、計り知れない苦悩とともに自分自身を見つめ、間違っていることを間違っていると言うために、それをイスラエルの人たちに知ってもらい議論すべく、開催されました。
彼らの口から語られる言葉は、きっと、イスラエルの中では受け入れられがたいものだろうし、場合によっては大きなリスクを伴うものだと思います。

それでも、"加害者"である自分を受け入れ、それを表現し、自国の抱える隠蔽された問題を社会に突きつけたことは、まさしく一筋の光なのだと思います。そして、この光はこれまでの世界に足りなかったものであり、これから広がっていくべきものだと思いました。過去を貫いて未来を照らす光。私も持ちたい光。

映画を見終わった後、あまりに大きな衝撃を受けた疲労感でシートに沈んでしまいそうでしたが、その中で感じられたこの確かな光で、なんとか、シグロのNさんにご挨拶に行けました(苦笑。

頂いてきた資料を拝見していると、監督である土井さんは、17年間の長きに渡って現地の取材をされているのだそうです。上映後に一言ご挨拶されている姿を拝見しましたが、ガッチリした大男タイプではなく、どちらかというと痩せ形で謙虚そうな方とお見受けしました。佐賀県出身だそうですから、葉隠武士の血を受け継いでいらっしゃるのかもしれません。「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の本当の意味を、私が理解しきれているかは分かりません(汗)が、そういった精神で制作されたのかもしれないなぁなんて思っています。
しかし、現地での取材は並大抵のことではないと思いますし、間違いなく死と隣り合わせなはずです。命がけでこの映画を作ってくださったことにまずは心から感謝したいと思いますし、この映画を見ることが出来て本当に良かったと思います。

私よりもこの問題に詳しい方も沢山いらっしゃるでしょうから、そういった方には是非見て頂きたいし、そうでなくても、この拙い文章で興味を持ってくださった方は是非、ご覧下さい!

東京は、5月2日からポレポレ東中野でロードショー開始だそうです。
その他、詳細はこのあたりかな。