今、取りかかっているコンペ用の歌詞、誰かの応援ソング・・・。
なんとなくこれを書きあげても、しっくりこなさそうだなぁと思う。そんな気持ちで書いてちゃ作詞家としてはよくないかもしれない・・・と、それでも無理矢理そっちにむかって書いていたら、段々、違う場所でひとりごとみたいに私の心が喋りはじめている。そっちでは、応援というより、自分のきた道をふりかえるような、そして、私は案外、突拍子もないような間違をせずにこれているのかなぁと思えるような気持ち。ちょっと大人になったかな。とにかく、作詞をしていたからなのだけど、作詞の主題とは全く関係ないような、全く関係なくもないような想いを巡らす夜明け前。ま、軽く、逃避。
あ、もちろん、私は万年思春期を自称している者。未だにひどく落ち込んだり、罪悪感に苛まれたり、イライラしすぎてやりきれなくなって泣きたくなったり、大笑いしたり、浮かれたり、うぬぼれたり、考え抜いたり、挙げ句、答えを出すのをためらったり、ただぼけーっとしていたかったり、そう言う自分をどうやって律するべきか考えたり、思うままに甘やかしたり。どこかもうひとり自分がいて、万年思春期の私を育てているような感覚になったり。色んな自分がいる。多分、このままあれこれ抱えたまま、こっちの方向に進んでいってもいいのだろうとも思う。
などと書いていたら、思い出した。
私は、どういう訳か高校生か大学生の頃、お能の世界に憧れてたんです(なぜか口調が変わる)。見たこともないのに。あ、テレビでちょっとみていて、多分最初は、それがお能なのかもっと別の伝統芸能なのかもよくわかっていなかったと思います。でも、当時のボイストレーニングの先生と話をしていて、その後、白洲正子さんの本に出会って、お能という世界の豊かな日本的精神世界とか、磨き抜かれて残ったカタチの芸術性、そういうものをしっかりと受け継いできた歴史というのに、自分の身を投じてみたいと夢想していました。
今でこそレポーターとして色々な世界の色々な歴史も紹介したりしてますけど、私は社会科の授業が中学校の頃、とっても苦手でした。歴史なんて全然覚えられなかったし。でも、考えてみると社会科の授業って、凄くおおざっぱに言えば、主に政治方面の歴史だった訳で、私が苦手な訳ですよ、ね。
かといって美術史が好きになるかもわからない。私は多分、歴史という枠の中で、何となくすべてを一括りにし、そして並列に置かれてしまうことが、よくわからなかったし(ほんと、何か掴みきれなかった)、嫌いだったのだと思います。これの後にはこれがあって、それがああいう風に変化して、後の時代にはこうなった、みたいな。そういう分析とか評価とか、客観的なところがあんまり好きじゃなかったのだと思います。もちろん分析とか客観的な視点も、大切なことです、が、私の体質には合わないような感じ。
でも私は、お能の世界に流れているような歴史には憧れました。どこか尊い点に向かっているうちに積み重ねられたような歴史。歴史の中に置かれているひとつひとつが生き生きとしているような歴史。それらと時を超えて交信したくなるような歴史。そういう歴史のあるものが好き。古い建物、戦前の人たちの厳しさと優しさ、詠み継がれてきたうた、山奥に保存された原始宗教、アンデスの山の上で発見された500年前の子供たち、縄文時代の聖地、コーカサス辺りを通過したモンゴロイドがベーリング海峡を渡ったこと、大きくうねるように形を変えながら流れる川、北極の真ん中にある氷の中の空気、人類発祥といわれるアフリカの深い森、死なない生き物、地球、銀河、その向こう側。
なんか、とんでもない所までいっちゃっいましたけど(笑)、そう言う歴史あるものをもっと知りたいし、尊敬したり愛しく思ったりできたらいいなと。そして、私がしたいことの大きなひとつには、そんな私の想いを、あの手この手で誰かに伝えること、が、あり、ます。出来ればひとりでも多くの人。でも、10人とか、そんな単位でもそれは素晴らしいこと。
あと、私はこんな気持ちで生きてきたらこんな人間になってました、こういう例もあるわけです、どう?って、自分をサンプルにして、なにかを提案したい。ていうか、作品になりたいんでしょうね、自分自身も。後世の人がそのサンプルを見て、おお、この人と交信したい!なんて思ってくれたら、随分面白いと思いますし、でも、その前に大事だと思うのは、ニットンくんとかジャメくんとかサトルくんとかほなみなほちゃんとかケンケンくんとか、私のすぐ後の時代を歩いてきてる人たちの、ひとつの指針になれれば素敵だと思うし、同世代や目上の人たちにもおもしろがってもらえたらいいなぁ、と思う訳です。まあ、その割に自分自身があれこれまだまだ大変ですけどもね。まあ、万年思春期ですからね。万年思春期と言いながら、段々ブレはなくなってきたような気はしていますが。ま、そういうようなことの為にも、私は私らしい幸せの方向を探りながら、時に必死で、時にのらりくらりと生きていられたらな、と思う訳です。
いやん、照れる。
ここまで書いといて。
・・・ところで、
応援ソングねぇ。私の応援の仕方って、変な距離感があるんだよなあ。どこか気恥ずかしい。でも、頑張ってくれーと本気で思っていて、一方どこかで、頑張りすぎんなよーと思っていて、そういうのが制限時間の中でまとめきれないまま、ただもじもじしちゃってた、みたいな。どんくさっ。それが私らしい歌詞なんだろうけど、今回の曲はそう言うノリではないらしい。はて。
なんて書いてるうちに、刻一刻と締め切りの時間は迫ってくるのである。汗。
なんとなくこれを書きあげても、しっくりこなさそうだなぁと思う。そんな気持ちで書いてちゃ作詞家としてはよくないかもしれない・・・と、それでも無理矢理そっちにむかって書いていたら、段々、違う場所でひとりごとみたいに私の心が喋りはじめている。そっちでは、応援というより、自分のきた道をふりかえるような、そして、私は案外、突拍子もないような間違をせずにこれているのかなぁと思えるような気持ち。ちょっと大人になったかな。とにかく、作詞をしていたからなのだけど、作詞の主題とは全く関係ないような、全く関係なくもないような想いを巡らす夜明け前。ま、軽く、逃避。
あ、もちろん、私は万年思春期を自称している者。未だにひどく落ち込んだり、罪悪感に苛まれたり、イライラしすぎてやりきれなくなって泣きたくなったり、大笑いしたり、浮かれたり、うぬぼれたり、考え抜いたり、挙げ句、答えを出すのをためらったり、ただぼけーっとしていたかったり、そう言う自分をどうやって律するべきか考えたり、思うままに甘やかしたり。どこかもうひとり自分がいて、万年思春期の私を育てているような感覚になったり。色んな自分がいる。多分、このままあれこれ抱えたまま、こっちの方向に進んでいってもいいのだろうとも思う。
などと書いていたら、思い出した。
私は、どういう訳か高校生か大学生の頃、お能の世界に憧れてたんです(なぜか口調が変わる)。見たこともないのに。あ、テレビでちょっとみていて、多分最初は、それがお能なのかもっと別の伝統芸能なのかもよくわかっていなかったと思います。でも、当時のボイストレーニングの先生と話をしていて、その後、白洲正子さんの本に出会って、お能という世界の豊かな日本的精神世界とか、磨き抜かれて残ったカタチの芸術性、そういうものをしっかりと受け継いできた歴史というのに、自分の身を投じてみたいと夢想していました。
今でこそレポーターとして色々な世界の色々な歴史も紹介したりしてますけど、私は社会科の授業が中学校の頃、とっても苦手でした。歴史なんて全然覚えられなかったし。でも、考えてみると社会科の授業って、凄くおおざっぱに言えば、主に政治方面の歴史だった訳で、私が苦手な訳ですよ、ね。
かといって美術史が好きになるかもわからない。私は多分、歴史という枠の中で、何となくすべてを一括りにし、そして並列に置かれてしまうことが、よくわからなかったし(ほんと、何か掴みきれなかった)、嫌いだったのだと思います。これの後にはこれがあって、それがああいう風に変化して、後の時代にはこうなった、みたいな。そういう分析とか評価とか、客観的なところがあんまり好きじゃなかったのだと思います。もちろん分析とか客観的な視点も、大切なことです、が、私の体質には合わないような感じ。
でも私は、お能の世界に流れているような歴史には憧れました。どこか尊い点に向かっているうちに積み重ねられたような歴史。歴史の中に置かれているひとつひとつが生き生きとしているような歴史。それらと時を超えて交信したくなるような歴史。そういう歴史のあるものが好き。古い建物、戦前の人たちの厳しさと優しさ、詠み継がれてきたうた、山奥に保存された原始宗教、アンデスの山の上で発見された500年前の子供たち、縄文時代の聖地、コーカサス辺りを通過したモンゴロイドがベーリング海峡を渡ったこと、大きくうねるように形を変えながら流れる川、北極の真ん中にある氷の中の空気、人類発祥といわれるアフリカの深い森、死なない生き物、地球、銀河、その向こう側。
なんか、とんでもない所までいっちゃっいましたけど(笑)、そう言う歴史あるものをもっと知りたいし、尊敬したり愛しく思ったりできたらいいなと。そして、私がしたいことの大きなひとつには、そんな私の想いを、あの手この手で誰かに伝えること、が、あり、ます。出来ればひとりでも多くの人。でも、10人とか、そんな単位でもそれは素晴らしいこと。
あと、私はこんな気持ちで生きてきたらこんな人間になってました、こういう例もあるわけです、どう?って、自分をサンプルにして、なにかを提案したい。ていうか、作品になりたいんでしょうね、自分自身も。後世の人がそのサンプルを見て、おお、この人と交信したい!なんて思ってくれたら、随分面白いと思いますし、でも、その前に大事だと思うのは、ニットンくんとかジャメくんとかサトルくんとかほなみなほちゃんとかケンケンくんとか、私のすぐ後の時代を歩いてきてる人たちの、ひとつの指針になれれば素敵だと思うし、同世代や目上の人たちにもおもしろがってもらえたらいいなぁ、と思う訳です。まあ、その割に自分自身があれこれまだまだ大変ですけどもね。まあ、万年思春期ですからね。万年思春期と言いながら、段々ブレはなくなってきたような気はしていますが。ま、そういうようなことの為にも、私は私らしい幸せの方向を探りながら、時に必死で、時にのらりくらりと生きていられたらな、と思う訳です。
いやん、照れる。
ここまで書いといて。
・・・ところで、
応援ソングねぇ。私の応援の仕方って、変な距離感があるんだよなあ。どこか気恥ずかしい。でも、頑張ってくれーと本気で思っていて、一方どこかで、頑張りすぎんなよーと思っていて、そういうのが制限時間の中でまとめきれないまま、ただもじもじしちゃってた、みたいな。どんくさっ。それが私らしい歌詞なんだろうけど、今回の曲はそう言うノリではないらしい。はて。
なんて書いてるうちに、刻一刻と締め切りの時間は迫ってくるのである。汗。