これは橋梁に書いてある通り、新扇橋という小さな橋です。そして、この下を流れているのが、今日のタイトルにもなっている小名木川。

実は、この小名木川の流れている本所・深川地区には、その昔、三池藩(国替えで下手渡藩と呼ばれていた頃ですが)の上屋敷がありました。三池藩と言えば、現在(私の通った)大牟田市立三池小学校のある場所に陣屋を築いていたわずか1万石の小さな小さな藩だったのですが、老中格にまで昇りつめ、後に学習院の初代院長をも務めた、8代藩主立花種恭(たちばなたねゆき)を始め、優秀な人材が輩出されています。というか、立花家が優秀だったのでしょうね。その立花種恭さんの住んでいた上屋敷跡を見に行ったり、下屋敷の場所を調べてみたり、最近、なぜか歴史散策みたいなことをやりはじめています。こういうのを趣味というんでしょうかね。でも、私は物事をあんまり体系的に頭の中に記憶できないので、あの時代もこの時代も頭の中でごっちゃごちゃ(苦笑。それでも、ともに三池から江戸にやってきたということに、時代を超えて「いやぁ、奇遇ですね~」と言わんばかりに、立花種恭の足跡を追ったりしています。
どんな人だったんだろう?
写真とか残ってないのかな??

そしてつい先日、某sinskyさんがこんなことを教えて下さったので、どうしても小名木川を見て回りたくなったのです。

『立花種恭は、下手渡への出立の際に小名木川の川舟を利用しており、彼に宛てられた諸大名の書簡のなかには通常の「立花出雲守様」という宛名のほかに「深川尊兄様」あるいは「小名木川尊君様」という宛名も散見され、立花家と深川のつながりを感じさせてくれます。』

今日の午後は自転車で小名木リバーサイドを走ったり止まったり、猛ダッシュしたり、息切れして再び止まってみたり、写真取ったり、カメラを自転車にぶつけて焦ってみたり、ひとり口から感嘆詞を漏らしてみたり、ニヤけたり、小雨に降られてみたり、ぼーっとしたりしてました。でも、なんか楽しかった~!!

まずは、出発の前にgoogle mapで小名木川の端から端までの地図を8枚に分けてプリントアウト。小名木川は隅田川と荒川をつなぐ運河で、全長4900m。これなら余裕だわ!と思い出発進行!!最初に、恐らくこの辺りから立花種恭が船に乗ったのではないかと思われる「高橋」や「西深川橋」を見て、ひとり心の中で静かにはしゃぐ。高橋は以前のエントリーで「伊せ喜」というどじょう鍋やさんがあることを紹介したことがありますが、すっかり現代の東京の姿になった今でも、江戸の匂いが所々に潜んでいる深川の町のひとつです。

そこから東へ東へと自転車をこいでいくとこの新扇橋があります。
でね、今日一番載せたかった写真はこちらなのです。



歴史とは何も関係ありませんが、ますます深川の街と私の心が近づいた瞬間@新扇橋、です。欠伸してる男性もいい感じに土曜日ですね。このあと5秒ぐらいは上手に自転車に乗れてた彼女、結局すぐに降りてしまって、手で押して帰ってました。



サウスポー?

で、あんまりにも川の表情や橋をじっくりと見すぎちゃって、気づけば辺りには夜がきてました。結局今日はプリントアウトした地図4枚分しか制覇できず。なんだ、全然余裕じゃないじゃーん、と自分にツッコミ入れながら、スポーツドリンクを口に含み、小雨のなか晴れ晴れとペダリング。

続きはいつかなぁ。