三池新町の大蛇山が格納されている、田町の弥剣神社に帰ってきてほっとしている諸岡です。私が子供のころも、大蛇山地域巡行の日はここに集合していました。

というわけで、

更新が速過ぎるとの声もありましたが、ないよりは早い方がいいだろうと(笑)、早速7月23日に行われた地域巡行『三池巡行』を紹介しますね。もうお分かりかもしれませんが、ここでは旧柳川藩の三池本町、それと旧三池藩の三池新町の古くからライバル関係にあった2つの大蛇山の競演が行われます。この日は特別に遠く柳川からも変わった大蛇山と地域の方々が参加しに来て下さっていました。色合いも山車の形も山車でのパフォーマンスも全く違っていて、とても興味深かったです。ですが、すみません、写真は端折らせて頂きます。


午後5時半過ぎ、降りしきる雨の中、三池新町の『御前山』が倉庫から出されます。この周りには、三池藩のはっぴを着た子供たちとそのお母さんが傘をさして、不安げに見守っていました。


しかし、肝腎の大蛇の表情はこの通り。キリリと引き締まっています。雨も似合いますね。


山車の上では、日頃お囃子の練習を重ねてきた男の子たちが横笛や太鼓を奏でています。女の子は「竹笛」を、山車の後ろをついてきながら演奏。
私も小学校の帰り道なんかにこの練習する笛の音が聞こえてきて、お囃子のメロディーを何度も頭の中で一緒に歌っていました。懐かしい。


そして、大蛇山には忘れてはならないイベントがあります。『かませ』です。
『かませ』とは、大蛇の口の中に、赤ちゃんや小さな子供を入れて咬ませるようにすること。「たかいたかい」の要領です。これをする事で、その子の1年間の健康を祈願します。大体の子供は訳も分からず大泣きします。確か私も子供の目線で見上げたら凄く怖かった。


巡行の最中に『かませ』などをしながら、大きな通りまで来ると、先に三池本町の大蛇山が到着していました。この通りはちょうど、本町と新町の中間あたりにあります。かつての宿場町と城下町の境目です。大牟田市街で行われた六山巡行に比べると、地元の人たちしかいないので、より近くに大蛇山を感じられます。


雨の止む気配もないまま、競演が行われました。辺りは煙で真っ白。時々、私のさしている傘の上にも火薬や火の粉が落ちてきました。手前が新町、奥が本町の大蛇です。


競演が終わると、大蛇はそれぞれの神社に戻ります。私はもちろん新町の神社へ。戻ると大蛇の最後の勇姿を見せるため、山車の上から下から花火を浴びせかけます。


そして、祭りの最後には、地元の子供たちが闘志を燃やす、大蛇山くずしが行われます。子供たちが我先にと大蛇にのぼり、大蛇山の目玉を取ると、無病息災、商売繁盛などのご利益があると言われています。私が子供の頃、目玉を取ったお宅では、その目玉を目立つ所に飾ったりしていました。今はどうなんだろう?


これは、山崩しの前の天筒花火の風景。子供たちもこの花火を怖々とあげていました。目の前も、頭の中も真っ白になります。幻想的。

これが、大牟田のジリジリと焦げる様な夏の始まりです。

はぁ、一気に紹介しましたね。皆さんも読みおえて疲れちゃったんじゃないですか?
私、画像をアップしたりしていたら、それぞれの瞬間にまた見とれたりしてしまって、もう一回、ひとり大蛇山祭りを終えた気分です。それにしても今回はひどい雨だった。きちんとカバーしていなかったのが悪いんだけど、カメラが壊れてしまった(><) 修理に出さなくては・・・。

でも、今回実家へ帰って大蛇山の追っかけをしていて良かったなぁと思ったのは、地元に残ってくれている若い人たちが、しっかり祭りを引き継いでいるというだけじゃなく、更に祭りや大牟田全体を盛り上げようと言う心意気を持っていてくれる、というのを知れた事。頼もしいです!
私は東京に出てきて随分長い、郷土不孝者ですが、こっちにいても何かできることがあるといいなぁ。