この冬の余りの寒さのおかげで、学生時代ゼミの先生に冬の語源の一説に「殖ゆ」があると聞いたのをふと思い出しました。これは民俗学者の折口信夫という人が唱えていた説なんですが、なんだか突然それがとても面白いことのように感じられて、今日ネットで色々と知識を漁る旅に出てみました。そしたらなんか久々に賢くなった気分!
皆さんにも今日の成果を披露させて下さい。

そもそも「フユ」のオーソドックスな語源としては「冷える(ひゆ)」、寒さが威力を「振るう」、寒さに「震える(ふるう)」などがあるんだそうです。
で、折口信夫の「殖ゆ」の方はというと・・・、

古代の人々の考えていたこの寒い期間というのは、植物が枯れ果てたり動物が冬眠をしたりと、万物が命の再生を待つ期間でもあり、目に見えない場所でそういう新しい生命が「殖ゆ」期間だったのだそうです。
もう少し具体的に説明しましょう。例えば稲作をしている場所は、この冬の期間に田んぼをゆっくりと休ませることになります。その間に田んぼの中には新しい「御霊」が殖えて、次の年にはまた沢山のイネが収穫されることになる訳です。折口信夫は「御霊の殖ゆ」と表現していたんですが、これにはもうちょと深遠な解釈があるみたいですから、分かったふりをして割愛しておきましょう!

ちなみに、1年を表す「トシ」という言葉には「イネ」という意味もあるんだそう。歳神を迎えるお正月というのは、イネの神様を迎える訳で、つまり、山にいたイネの神様に戻ってきてもらって、豊作を祈願するということだった様です。

そうすると次に春がやってきて、植物の芽が「張る」訳です。

しかしこうやって見ていると、つまり稲作と季節の語源は関係あるのかということが分かってきて、じゃあ稲作っていつから日本に入ってきたんだっけか?なんて考え出しちゃうと今度は、弥生人って何者?!なんてことになってしまいます。
私のネットの旅はこうやって果てしなく続いてしまうのです。こういう教養系ならばまだいいんですけどねぇ。いつも本当にしょうもないことで夜更かししちゃったりするんで、このネットの便利さも考えものです。
でも私、さっきまで本気で「弥生人になるより、縄文人の生活の方が私には合ってるだろうなぁ。争いもなかったみたいだしぃ、稲作より狩りの方が楽しそうだしぃ、アート気分で土器とかのんびり作りたいしぃ。」なんて真剣に考えてました。

そしてもうひとつ深く頷いてしまったのは、季節の語源と私の身体の関係。
冬には体重がふゆ。春にはお腹が張る・・・。

この後の夏の折口流の語源が分かる方、是非教えて下さい。
そして私の体重の推移を予言して下さい。

ちなみに秋は、飽き食う、だそう。。。