ナン太郎にっき。

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ナン太郎の、ナン太郎による、ナン太郎のための、にっき。

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マサ斎藤が亡くなった。



マサ斎藤は私がプロレスを観るきっかけとなったプロレスラーである。



土曜日の夕方に放送されていた『ワールドプロレスリング』を、たまたま観た。



目の前には、外国人選手の攻撃を耐えに耐えて反撃に転じる、筋骨隆々で褐色の男。



その男が、マサ斎藤であった。



テレビマッチで放送される試合には限りがあり、マサ斎藤の試合を観ることができるのは2、3回に1回の割合だった。



その楽しみのために、番組を録画するようになり、プロレスの魅力に取り憑かれた。



長州力も好きだが、やはり私をプロレスの入口へと誘ってくれたのはマサ斎藤である。



そういう意味では、マサ斎藤は私の恩人である。



ちょこちょこ話題にしている、私の初観戦。



1992年5月17日、大阪城国際文化スポーツホール。



その時期のマサ斎藤は、内臓疾患で長期欠場中。



この日も欠場することは目に見えていたので残念であったが、致し方ないと思っていた。



この日は『クラッシュ・ザ・スーパーヘビーⅢ』の開幕戦、かつ新日本プロレス創立20周年記念興行第3弾『超戦士IN大阪城ホール』として開催。



珍しい2部構成の様相で全10試合がラインナップされた。



第5試合は前半のメインイベントとなる、アントニオ猪木、馳浩組とムッシュ・ランボー、ブラッド・レイガンズ組のタッグマッチ。



第4試合に組まれた橋本真也とグレートOZのシングルマッチの後、いよいよ猪木組が登場……となるところだった。



ホールのビジョンには、『ワールドプロレスリング』収録の実況席に座る実況の辻アナと、左隣に座る解説の山本小鉄が映し出された。



辻アナが何か口を動かしているが、ホール内には声は聞こえていない。



そして、その映像は少し引いた画となり、小鉄の左隣に映し出されたのは、なんと欠場中のマサ斎藤だった。



その時、ホール内に「オオーッ!!」と大きいどよめきが、今もなお耳に残っている。



とても元気そうで、辻アナが口を動かした後にマサ斎藤も何かたくさん口を動かしていた。



ゲスト解説として初めて実況席に座ったマサ斎藤に、私は試合がなくとも大満足。



テレビ中継では、その猪木組の試合中、辻アナからプロレスの世界で神様といえばカール・ゴッチがいるが、猪木は何か聞かれた時の答えが秀逸。



「猪木さんはぁ〜、神様というより仙人だよね!」



また、辻アナがマサ斎藤を獄門鬼と呼び続けていたが、そのことについても本音が。



「その獄門鬼っての、やめてほしいんだよなぁ〜。」



この日を境に小鉄とのダブル解説をしばらく務め、翌年の小鉄解説勇退に伴い、メイン解説を務めることに。



さらに程なくして、東京スポーツの柴田惣一が加わり三者が実況席を賑わせることになり、『ワールドプロレスリング』名物となった。



過去の記事にも書いた通り、マサ斎藤への思いは強い。



21日のお通夜にはアニマル浜口、天龍源一郎に古舘伊知郎、辻よしなりといった縁の深い人たちが姿を見せていた。



22日の告別式には坂口征二、北沢幹之、長州力、キラー・カーン、前田日明に蝶野正洋、佐々木健介、西村修らが参列。



長州とカーン、健介、西村というメンバーが、同じ写真に納まることを考えると、やはりマサ斎藤は何か超越している人柄を偲ばせる。



Go for broke!



当たって砕けろ!



その精神を、私も体現していきたい。



合掌