三十 一ノ関 ― 一迫(宮城県栗原市) | 杏下庵

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四月二十二日24km
体調を崩したり、オペラに出演したりでだいぶ間があいてしまった。朝八時三十五分、一関駅に到着した。駅前通りと県道の交差点に「芭蕉の辻」という名前の案内板があった。県道を左折し、ほどなく奥州街道と迫街道の追分に案内板があり、岩出山方面に右折すると急に静かになる。次第に山の中に農村となり、新山の一里塚跡は道標のみである。歴史の道の道標があり、かつての林道が廃道になったような荒れた道が現れる。少し歩いてみるとなんとか進めそうなので、そのまま進むことにした。道の真ん中にすみれが咲いているのでほとんど使われていないのだろう。突然、林の中からメスの雉がバタバタと飛び立った。東北道をくぐり、苅又の一里塚は両側にきちんと土塁が残っており、立派なものである。人もあまり来ないのでそのまま残っているのかもしれない。しばらく行くと、ゴルフ場越しに残雪をいただく栗駒山が見える。普通の道路まであと五百メートル程度のところで、ゴルフ場のゲートが行く手を阻むように閉まっていた。乗り越えようとも思ったが、迂回することのした。ゴルフ場の柵のため大きく遠回りとなり、GPSと踏み迹だけが頼りの放浪となる。一時間ほど彷徨ののち、踏み跡が途絶えたところで十メートル下に高速道路が現れた。道なき道を立木に伝わりながら降りると普通の道が現れ、トンネルをくぐり民家の前に出た。
とんだ遠回りをしてしまった。おかげで一迫発十七時のバスに間に合いそうもない。ゆっくり食事をしている時間もなさそうなので用意していた歩きパンの昼食をとる。岩ヶ崎の街中に入ると、いくつかのカフェがある。どうせバスに間に合わないのだろうから、一迫からホテルまでタクシーを利用することにして少しここで休むことにした。「かいめんこや」という古民家カフェでケーキセットを注文し少し落ち着くことができた。ただ、休むと足の痛みが始まる。屈伸運動などして、和らげる。
ここから道は、ほぼ国道となり南下している。途中、「芭蕉の衣掛け松」というものがあったが、東屋に切り株だけが残っていた。ここで休憩したとのことである。ここから国道と合流するところでタヌキが登場した。少しあわてた様子で道路を横断して排水溝の中に隠れてしまった。この後、足を引きずりながら黙々と歩く。日が暮れて、タクシーの営業所の前で電話をしたが、予約でいっぱいだということで別のタクシーを呼んで十九時前にホテルに入ることができた。