鳥海山―羽越線 | 杏下庵

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酒田駅から秋田方面に向かう列車の右手に鳥海山が現れる。鳥海山は裾野を日本海にまで達する成層火山で夏にも雪渓を残すため、雪、岩、海のコントラストが美しい。遊佐駅でもっとも接近し、その後、列車は日本海に添って走るようになり、線路わきの小高い山や林に邪魔されて見えなくなる。遊佐駅の先に女鹿というかわいらしい名の駅があるが、無人駅であるだけでなく、普通列車でさえほとんどが通過してしまう駅である。この区間は芭蕉と曾良が、象潟へ向かう途中、嵐の中苦労して歩いた区間である。秋田と山形の県境の「うやむやの関」というちょっと変わった名の関がある。列車はまもなく、歌枕や松の名所として知られ、芭蕉が訪れた象潟に到着する。江戸時代中期までは、松島と並ぶ多くの島が日本海に浮かぶ、名所であった。
もともと、象潟の地形は紀元前466年におきた山体崩壊により、白雪川に沿って一気に流下し象潟平野に達し、先端は日本海に突入した。その時、山頂から滑り落ちてきた巨大岩塊の小山の集まりが、東西1km南北2kmにわたり海の中に浮かぶ入り江を形成し、象潟の原形「九十九島」となった((社)にかほ市観光協会HP)とのことであるから。ところが、江戸時代の後半、1804年に象潟大地震がおこり、約2m以上隆起して、干潟(陸地)になり平地の中に松の小山がある状態になってしまった。このとき、本荘藩は、隆起した干潟を干拓し、新田開発を行うことを企図した。これに対し蚶満寺住職の覚林は朝廷の権威を背景に象潟の開拓反対運動を展開し、象潟の湖域は開拓されたが、島々はそのまま残されることになった。覚林自身は獄死したという。今でも田園地帯の中に松の小山が多数存在して、ちょっと変わった風景を描き出している。自然と人間の関係が織りなす微妙なバランスを垣間見る思いに駆られます。
列車が象潟の駅を出発し、蚶満寺の脇を通過するあたりで、田園に浮かぶ松の小山群と鳥海山の雄姿が見られる。