「清須」と「清洲」(3)~市名が「清須」になった理由(わけ)~ | 「旅時々日常」~田舎侍の徒然日記~

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尾張(愛知県西部)に居を構える田舎侍が、日々の雑感を徒然なるままに語ります。

写真は新川堤防の北側に位置する「清須市役所」です。

左側の茶色い建物、もともとは「新川町役場」でした。

2005年に清須市がスタートした際、ここが「清須市役所・本庁舎」となった訳ですが

役所の全機能を集約させるには手狭だったため

旧清洲町・西枇杷島町の役場を「分庁舎」として活用していましたね。

右側の増築された建物は、昨年末に完成したばかり。

もともとは、新川町の体育館やグラウンドなどがあった場所です。

清洲町・新川町・西枇杷島町が合併し「清須市」となることが決まった時点で

新庁舎の位置や、将来的に市役所機能を(本庁舎1か所に)集中させることも

決まっていたようですね(因みに隣接する北名古屋市・あま市は現在も「分庁舎方式」です)。

今年1月から「清須市」の市役所機能は、正式に本庁舎1か所に集約されました。

 

さて、「平成の大合併」で新しい市名を決める際、いろんな話題・問題が出てきましたね。

愛知県でも、知多半島のどっかの町が、隣の市(常滑)にできた空港にあやかろうと

「南セントレア市」という珍名を出したことで、合併話そのものが破談となる事件がありました。

その点、ここ清須市の場合は、極めて賢明な選択が行われたと思います。

因みに、新市名候補は合併協議会のメンバーの投票で「7つ→3つ→2つ」と絞ったそうです。

そうして残った2つが、「清須」と「清洲」。

資料によると、決戦投票は、この2つが同数の票を集めることが2度続き、

3度目の投票で「清須」の方が2票上回ったことで、新市名が「清須」に決まったとのことです。

「清洲」では、新川町・西枇杷島町が「清洲町に吸収された」というイメージを持たれかねません。

先日のブログでも書きましたが、歴史的に「清須」の方が古い名前であることを考えると、

いろいろな意味でバランスのとれた、良い市名の決め方だったと思います。

でも「清洲城」近辺では、今も「清洲」の方に愛着があるという人が多いですね。

清須市役所(本庁舎)の増築完成と同時に、市役所の西側にも入口が設けられました。

写真右側のキャラクターは、左が「うるるん」、右が「きよ丸」といいます。

ひょっとしたら、全国各地の「ゆるキャラコンテスト」に出没しているかも!

どこかで見かけたら「清須市」のこと、思い出してみてくださいね♪