ダメンズメーカーは言います。
「彼はDVをしてきますが、優しいときもあるんです」
会社でいじめられているダメリーマンは言います。
「上司や先輩だって、優しいときもあるんです。僕が仕事できないのがダメなんです」
はっきり言っておきます。
優しさを微塵も持ち合わせていない人間なんて、ほとんどいません。
ほぼ全ての人間が、なんだかんだ、少なくとも少量の優しさを持っています。
合わない人間がいるなら、優しさに目を向ける前に、さっさとその人から離れるべきです。
優しくない人間の全てが無慈悲ということは、ほとんどないのです。
もし全てが冷徹である人間がいるなら、その人物はサイコパスです。
サイコパスでない以上、なんらかの優しさはあって当たり前です。
「優しいときもあるから」
は、離れない理由には、ならないのです。
ほぼ全ての人間は、優しいときもあるのです。
ほぼ全ての人間に当てはまる事柄は、その人物を説明する材料になりえないのです。
たとえば、その人の人物像を説明するときに「目が二つある」とは言えません。
ほとんどの人には、目が二つあるからです。
目が一つしかないなら、その人を説明する材料に使えます。
「伊達正宗は、独眼竜と呼ばれる」は、アリです。
でも、「DV彼氏には、目が二つある」は、ナシです。
誰にでも当てはまるからです。
同じように、「DV彼氏には、優しいときもある」は、ナシです。
誰にでも当てはまるからです。
誰にでも当てはまる部分に光に当てるのは、やめよう。
ほとんど全ての人に優しい部分はあります。
誰にでも当てはまる部分をプラス面と誤解するのは、やめよう。
それは、勘違いなのです。