本日は日曜日ですが、瑞穂区あたりへ。
年末らしく、バタバタとしております。
さて、最近、考えていること。
私は、遺言書作成サポートの場面で、法令違反の場合を除いて、「◯◯をすべき」と言うことに、とても抵抗があります。
例えば遺言書作成サポートの場面で、「どうやって分ければ良いと思いますか?」と聞かれることがたまにありますが、
そんなとき、例えば「兄弟平等にすべきです」とか、「お子さんがいないなら、慈善団体に寄付すると良いですよ」など、その方のスタンスを無視してこちらの意見を言うことはありません。
これはなぜかと言えば、財産の分け方や残し方をどうしたいのかという想いに、正解はないからです。
また、財産を築き、守ってきたのはその方ご自身であり、私ではないからです。
そして何より、仮にいま明白にはなっていなかったとしても、その方の中に、なんらかの答えがあると思っているから、というのが最大の理由です。
私は心理学部を出ていますが、そこで言う傾聴の考え方に近いかもしれませんね。
もちろん、専門家として、考えの手助けになる選択肢や情報は最大限お伝えします。
例えば、お子さんがいなくて財産を誰に渡そうか悩んでいる方には、
「お子さんのいない方の中には、活動を応援したい団体に寄付をされる方もみえますし、これからお墓を管理してくれたりお葬儀のことなどを頼んだりする親戚がいれば、その方に渡す方もいます。遺言書で財産を渡す相手には制限はありませんので、お友達などにも渡せます。どうですか?」
といった具合です。
もちろん、適切な選択肢を出すには、知識はもちろんのこと、その前にその方の話をじっくり聴いて、その方の考え方を踏まえる必要があります。
極端な例ですが、「寄付なんてお金が勿体ない、そんなことをする人の気が知れない!」と言っている人に対して、寄付の選択肢を出す必要はないからです。
(そんな選択肢を出せば、「お前、オレの話を全く聞いてなかったな!」と怒られてしまいそうですね。)
また、その方のお考えにリスクやデメリットがあれば、それはしっかりお伝えします。
例えば、
「長男には一切あげたくない。次男に全財産を渡したい」
と言われた場合、
次男には遺留分があることや、遺留分を侵害したらどうなるのかといったような、その方の考えに影響しそうな情報は、きちんとご案内します。
そのうえで、「それでも次男に全財産を渡す内容で作りたい」と言うのであればそれで良いですし、「それなら、次男にも遺留分くらいは渡す内容でつくりたい」のなら、それはそれで良いわけです。
このとき、例えば
「長男には渡さないなんて、実のお子さんなのにおかしい」とか、
「法律では兄弟平等なので、できるだけ平等に渡すべきですよ」
といったことは、私は言わないし、思いません。そういうことです。
人の考えは、それぞれです。
遺言書の作成のご相談をくださる方は私よりずっと年上である事が多いのですが、その方が長年生きて出した結論や、ましてやその方の想いに、客観的な正解も間違もありません。
その方が長男に渡したくないと思ったのであれば、それが例えば制度上で廃除の理由になるかどうかとは全く関係なく、その方の想いとしては正しいのです。
仮に、「たったそれだけの理由で?」と他の99人が思う理由だろうと、その人がそう思ったのなら、その人にとってはそれが正しいのです。
それを、「そんなことで財産を渡さないのはおかしい」と言うことは、私はしませんし、思いません。
ただ、「もし遺留分を請求されたら、次男さんはお金で払わないといけません。また、遺留分の計算でもめてしまう可能性もあります。それでも良いですか?」等と、情報を伝えるだけです。
このスタンスは、人によっては、もしかしたら冷たく聞こえるかもしれません。
もちろん、人によっては「あるべき」内容のアドバイスを受けたい場合もあるでしょうし、そういったスタンスの専門家もいるでしょう。
でも、これが私なりには冷たいどころか優しいつもりですし、また、専門家のあるべき姿だと思っています。
私は、遺言書作成サポートの専門家ですが、その方の人生の専門家ではないからです。
その方の人生の一番の専門家は、その方ご自身です。
また、人生万事塞翁が馬と言いますが、結局、正解なんていつまで経ってもわからないんです。
そんな時、後悔をしないためには、やっぱり自分の中から答えを出すしかないんだと思います。これは遺言書に限らず、ですが。
自分には人様に説くほど自分なりの考えがないのではないかと実は悩んだ時期もありましたが、実はそうではなく、「人の想いに正解も間違いもない」との考えこそが、自分の強いスタンスなんだとようやく気付けてきた年末です。
思えば著書に書いた遺言書のつくりかたでも、法律や制度云々の前にまずは遺言者さんの思いのままに仮案をつくり、そこからリスクや考慮すべきことを検討して修正を加えていくとの順序で書いたので、自分で気づくより先に、当たり前に自分のなかに浸透していた考えなんだと思います。
先日、心理学部が業務に活きているか?という話をある方としまして、その時はいまいちどう活きているかピンときてなかったんですが、
心理学部で学んだ一番のことってたぶん、「結局、人はわからない」ってことです。
心理学って統計なんですが、数学みたいにAならB!とはっきり言える事なんて皆無で、せいぜい、「Aなら、Bの傾向がある」って程度。
そんな感じで100%じゃない以上は、人の考えや反応を勝手に推測するなんて失礼だし、結局は人それぞれなんですよ。
遺言も人それぞれ。人生の正解も人それぞれ。
そんなものをこっちが正解だって決めつけてだいじな想いを否定するなんて、傲慢だなって私は思うし、私はそんなことができるほど偉くはないんです。
あんまりこうした想いって発信してこなかったんですが、年末ですし(?)、たまには。