“歩きスマホ” によって消された「二宮金次郎像」 だが、二宮尊徳の思想は生きている | なごみカルチャー

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最近見なくなったものの一つに「二宮金次郎像」がある。何十年前になるだろうか、徐々に小学校の校庭にあった二宮金次郎像が消えていき、我われの目に映らなくなった。その金次郎像が仏画曼荼羅アートでお世話になる法楽寺の境内の片隅にある。気づいたとき久しぶりの金次郎さんをちょっと懐かしむように見上げた。

ご存じ、二宮金次郎像は、薪(たきぎ)を背負って本を読みながら歩く姿である。法楽寺の金次郎像は石台の上にある。その石台に「分度推譲(ぶんどすいじょう)」とい文字が刻まれてある。あまり聞かない言葉であるが経済財政用語である。

調べてみると、分度とは分をわきまえるということ。財政的な意味でいうなら収入の中で、適切な支出範囲を決めバランスを保つこと、と記されていた。そして推譲とは分度をわきまえて儲けたお金の半分は他に分け与え自分で独り占めしない ということのようである。これが「報徳思想」として日本には根付いている。この思想のキーワードが「至誠・勤労・分度・推譲」ということのようだ。これらのキーワードから創造されたのが「二宮金次郎像」だ。

現代文明の申し子として生まれた「スマホ」が発展拡大していくなかで “歩きスマホ” が大きな社会問題になった。それが残念なことに、金次郎像の歩きながらの読書が歩きスマホ現象と同じ事象ととらえられ、教育上よろしくないという理由(他の理由もあったようだが)から小学校から消えていった。

表面的な事象だけで、善きこと悪しきことが判断されるようであるが、揺るぎのない確固たる思いなどが説明されないままに消えていくのは残念至極である。古き良きコトに、新しい良きコトが加わると新しい潮流が生まれる。日本の古き良きコトは、強い創造エネルギーを持っていることをいまさらであるが強調しておきたい。








文・写真/ 渡邉雄二

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