日本の仏教寺院の礎になった「比叡山延暦寺」。【比叡山延暦寺Ⅰ】 | なごみカルチャー

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昨年の晩秋に「比叡山延暦寺」を訪ねた。たぶん3回目のような気がするが、とにかく久しぶりだったので記憶が乏しい。私の中では、この比叡山延暦寺と高野山金剛峰寺は日本の寺院の二大巨頭だと思っている。延暦寺が天台宗で、金剛峰寺が真言宗の大本山である。社会の教科書にもよく登場した「最澄」と「空海」という僧侶が開建した寺院として有名である。



訪ねたときは、残念ながら国宝「根本中堂」は令和の大改修まっただ中だった。根本中堂は、織田信長の焼き討ちのあと、1642年に徳川家光によって再建され、約400年の間、補修を重ねてきものの老朽化でこの度の大改修になったようだ。この大改修で、日頃見ることができない、また入れない、感じられないものを体感することができた。



根本中堂は、工事のため鉄骨で覆われ国宝寺院とは思えない姿になっていたが、その鉄骨をくぐるといろんなものが目に入ってくる。屋根の構造、とち葺き(木材の板で葺く)や屋根瓦棒銅板葺き替えなど。そして回廊の外部壁塗りなど特定の寺院でしか見ることができない特殊塗りなども興味をそそるものであった。



その中でも感銘を受けたのが、改修中ということもあってか、本堂内部で何人もの僧侶が参拝者に延暦寺の歴史、概要等々を丁寧に説明されていた。これが天台宗に伝え継がれている「照千一隅」。"一隅を照らす"教えなのだろうか。
僧侶からの説明によると、僧侶自身も驚いたというのが根本中堂の本堂に入る扉が開いたこと。通常はこの扉をくぐるのは座主だけで、僧侶や参拝者が往き来できない通路の扉(写真にある扉)が解放され、誰でもが自由自在に往来できるようになったことに。これも大改修のご縁によるものだと説かれていた。

ちなみに「延暦寺」は単独のお堂の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域に所在する150ほどの堂塔の総称である。比叡山の寺社は、最盛期には三千を越える寺社で構成されていたと案内に記されていた。
その中核堂が、根本中堂にあたる。
そして比叡山延暦寺では数々の名僧が修行していたことで、日本の仏教の礎だったことがわかる。よく知られている僧としては、浄土宗の開祖法然上人、浄土真宗の開祖親鸞上人、日蓮宗の開祖日蓮上人、臨済宗の開祖栄西禅師、曹洞宗の開祖道元禅師など、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行している。そしてそれぞれの宗派を興し、それぞれの本山を開建した。
比叡山延暦寺Ⅱにつづく。