アメトピ掲載していただきました
こちらもご覧ください。
私は3歳から8歳まで
ネフローゼと言う腎臓の病気で
入院していました。
状態が良ければお盆とか
お正月には家に帰してもらいましたが
3歳の幼い子供が親と離れて
入院しているのはとてもつらい事でした。
病気は重く、小学校入学を一年遅らせて
病院の付属の学校に通いましたが
しょっちゅう休んでいました。
病院は青森市にあって
家に帰るのに乗ったのは蒸気機関車です。
トンネルに入る前に母が窓を閉めていました。
窓を閉めなくても良くなったのは
つまり蒸気機関車でなくなったのは
昭和42年か43年ころでしたでしょうか。
8歳で退院して山奥の小学校に通いましたが
私の入院費の為に父は
離れた町で会社勤めを始めていて
通勤に便利な今も実家のある集落に引っ越しました。
まだ完全に出来上がっていない家に引っ越したのは
12月の28日。
なじめなくて不安がった妹が泣いて
母はなだめるために
近所のお店から売れ残りのクリスマスケーキを
買ってきました。
ネットで見つけた写真ですがこんな感じでした。
50年前のクリスマスケーキは
バタークリームで生のフルーツなんてものはなく
赤と緑のゼリー?が飾ってありました。
その上28日です。
スポンジもポソポソになっていましたが
それでもケーキなんていうものは
見たことも食べたことも無かったので
妹もあっという間に泣き止んで
喜んで食べました。
新しいこの家には
ひねれば水が出てくる蛇口があって
(井戸水をポンプでくみ上げたものです。)
(上水道が完備されたのは平成になってからです。)
トイレも家の中にあり
ストーブは石油でした。
何もかも便利になってワクワクしていました。
でも転校した小学校では
山奥の学校から来た田舎者と言うことで
馬鹿にされました。
一番困ったのは言葉です。
言葉を覚える時期に入院していたので
先生たちが使う標準語しか
話せなくなっていました。
それでも山奥の学校では
虐められたことは無かったので
その学校が大嫌いでした。
でもこの学校には給食が有りました。
丁度給食センターが出来て
何校もの小・中学校の給食を一度に作って
各学校にトラックで配送していました。
その話はまた後で。
濯ぎまでを自動でやってくれる洗濯機です。
濯いだ水を再利用できるので靴下だけ、雑巾だけとか
細かく洗い分け出来ます。
脱水層でも濯ぎが出来るので急ぐときも便利です。
汚れ落ちも抜群だし洗濯槽の裏が無いので清潔です。
4,200円相当が今なら1,980円
しかも希少な平飼い卵と旬の野菜が入って送料無料。
見つけた時にはしちゃいました。
美味しいです。すぐ無くなるので3点は必須です。
アレクサ、○○してで生活は変わります。確実に
お子さんの手が届かないように。スタイリッシュでプロっぽい
忙しくても、身体に良い物を。