










より良い自分、より良い明日を目指すことが「悩み」と化している。
これは、今が不十分であり、不十分さを回避する為の努力とも言える。
安泰な老後を送るため、、いざという時のための蓄えを確保するため、いま切り詰めた生活をする。
食べたいものを我慢し、行きたいところにも行かず、やりたいことに蓋をし、やりたくないことを「〇〇の為だ」と言い聞かせながら続ける。
まさにこれらが「いま」の不足感・不十分さを強めていることに気づいていない。
老後のため、アレのため、コレのため、、、と、何かにつけては〇〇のために頑張ろう!と自分のお尻を叩きながら歯を食いしばって我慢と努力を重ねる毎日。
満足感・達成感を味わうために、わざわざ不満足にしているようなもの。
今が不足なら、どこまでいっても不足で、不足さを回避することが、まさに不足さを煽っているのに。。。
より良い何かなどどこにもないし、「明日」や「老後」の心配をしたって、「明日」や「老後」なんて来やしない。
人生がある、明日がある、老後があるという勘違いな思い込みのおかげで、「いま」が「苦悩」と化しているなんて、ちゃんちゃら可笑しすぎる。
「いま」以外何も無く、「ここ」以外の何処も無いのに。
何もかもが個別に存在しているという幻想を見ている限り、幻想の中でずっと追いかけっこをするハメになる。
良さを追いかけて頑張っているつもりが、ただ悪さから逃げているだけという、永遠に終わらない幻想の追いかけっこ。
実は何も追いかけていないし、何も追いかけてきてはいないのだが。。。
これこそがまさに一人芝居(ひとり鬼ごっこ)。
決して、贅沢を推奨しているわけではないし、逆に欲を捨てろというメッセージでもない。
我慢しなくなると、相乗効果的に欲が減る。
アレが欲しい、コレが欲しい、こうしたい、ああしたいという、希望や理想や願望が薄れてくるんだょね。
欲求自体悪いことではないし贅沢なことでもないんだけど、そこに蓋をしていると、大して欲しくもないものや、大してやりたくもないことにまで魅力を感じてしまったりするんだょ。
我慢の反動でね。
我慢するから欲が出る。
我慢が消えると欲も消える。
だから、我慢しなくていいんだょ。
事実的には、我慢している人や努力している人なんて存在しないから、我慢していようが我慢してなかろうが、そんなのはあくまでも表面上のことだから、どっちでもいいんだけどね。
それでも、私は我慢してる!私は努力してる!って思いが溢れている人に届くといいなぁ〜なんて思ったり思わなかったりしながらのメッセージでした(笑)
我慢するから欲が出る。
我慢が消えると欲も消える。


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