泣きそうにならなくても・・・辛かったんだね | 凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

高校1年生の時に滑膜肉腫を発症した息子の記録です。
約6年の闘病生活。転移、所術は数知れず。
亡くなる瞬間まで生きることに全力を傾けた息子の生の姿です。
2023.11.19以降は、母の想いを綴る独り言日記に変わりそうです。

 

火曜日のストレス満載外来から帰宅してすぐに、依頼していた廃品回収業のトラックが来た。

 

息子の汚部屋の片付けをしてもらうため。

 

必要なものだけ非難させて、何もかも持って行ってもらう。

 

タンス類もさっさと運び出し、ロフトベッドも解体してポイポイ外へ。

 

2tトラック満載になった。

 

引っ越しよりもお高い料金^^;

 

冬服とかもみーんな捨てちゃって、いいのかな?

 

何にも口出ししなかったけど、冬は来るよ?

 

足りなかったら買ってあげるけど。

 

なんにも無くなった空間は寂しいね。

 

これから介護ペッドが入るから、また風景が変わるはず。

 

息子の落ち着く空間を作って行こう。

 

 

 

金曜日は、初めての緩和外来。

 

主治医はちょっと年配の、落ち着いた感じの先生。

 

立ち上がって、丁寧にご挨拶していただいた。

 

一番ストレスに感じているのは主治医の言動だと伝えた。

 

何一つ、希望を持てるような言葉をかけてくれないと、息子が不満を伝える。

 

毎回、「1カ月以内に死ぬぞ」「突然死もあるぞ」って言われたら、医師の言葉にはそれなりの重さがあるから、嫌になってしまうと。

 

そして、息子がちょっと不眠気味なのでオランザピンというお薬を出してもらった。

 

癖があって、ブログでも賛否両論のお薬。

 

息子はよく眠れたし、副作用も無いって。

 

よかった。

 

緩和の診察室を出る時に、

 

「愚痴の部分はオフレコでお願いします」

 

と言ったら、

 

「大丈夫です。パソコンに打ち込んでいなかったでしょ」

 

と言われ、やっぱりメンタル系の先生は、吐き出してもらってスッキリさせるのがお仕事なのねって感じた。

 

1度も笑顔が無かった先生だけど、誠実な感じはしたので上手くやっていけるといいな。

 

 

 

病院に行った日はなんだか疲れてしまって、それでも不在だった分の家事はやらなきゃいけなくてドタバタ。

 

当然のように、皺寄せは夕食のメニューに関わってくる。

 

慌てて作った、がんもどきに椎茸やら何やらを適当に入れた煮物と、お豆腐とワカメのお味噌汁とカツオのたたき。

 

またいつものように、1口2口食べて「ごちそうさま」と言うのかと思っていたら、

 

「おいしい ! すごくおいしい ! ご飯ってこんなにおいしかったんだね !」

 

ん? 何がどうした?

 

そんなに褒められるようなものは無いけど。。。

 

「ずっと口内炎が舌から喉まで全部あって、痛くて食べられなかったのと、食べても味がしなかった。やっと喉とかも痛くなくなったし、普通に食べられる !」

「おいしい ! ご飯っていいね !」

「ご飯っておいしいね !」

 

何度「おいしい!」って言っただろう。

 

しかもちょっとウルウルしているし。

 

作っても作っても、食べてもらえないのも切なかったけど、食べられない本人が一番苦しかったんだよね。

 

これから頑張って、おいしいものをたくさん作るからね。

 

たくさん食べて、体力と抵抗力を取り戻そうね。

 

 

 

 

そう思っている傍から、今日は夕方から介護ベッドの搬入。

 

介護保険はまだ使えないし、体幹での障害者手帳は持っていないので困っていたら、福祉用品の会社から、月々1750円でレンタルできることになった。

 

マットレスも付いてるし、搬入、組み立てもしてくれる。

 

3モーターのベッドで、マットレスも新品。

 

手すりも付いててお布団も落ちない。

 

もう、ここで会社の宣伝をしたいくらい有難い。

 

息子も、病院のベッドみたいに自在に動くベッドにご満悦。

 

カーテンとカーペットも優しいグリーンのものに取り換えた。

 

家にいる時には最高にゆったり気分で過ごしてほしい。

 

さてさて、私は大急ぎで夕飯の支度しなきゃ。

 

我家の夕飯は、いつもちょっと遅めです。